J. D. サリンジャー
ライ麦畑で捕まえるやつ

母に

1

ホンマにおれの話きたい言うんやったら,どうせおれがどこで生まれたとか,小さいときどんなカスみたいやったかとか,おれ生まれるまえ親なにしとったとか,そんなデヴィッド・カッパーフィールドみたいなウンコみたいな話から聞きたいんかもしれんけどな,おれそんなはなしするきいないで,マジで。そもそもそんなんおれおもんないし,せやし,うちのおとんとおかん,もしちょっとでも自分らのこと言われたらひとり二回ずつぐらい出血してまう思うわ。そんなんめちゃくちゃ気にすんねん,とくにおとんが。ええひとらやねんけどな──それぐらい言うてええ思うけど──めちゃめちゃ気にすんねん。せやし,おれアホみたいに自伝とか全部しゃべきいないで。おれ,もうあかんようなってここまで来て落ちつくようなるちょっとまえ,去年のクリスマスごろ,きちがいみたいなめえうててん。そんときの話だけするわ。いっかいD.B.にはなししたこと全部。D.B.は兄貴。ハリウッド住んどおんねん。こっからあんまとおないから,たいがい土曜とか日曜わざわざこんなむっさいとこ面会に来てくれんねん。たぶん来月おれうち帰るから,そんとき車で送ってもらうことなってんねん。兄貴,ジャグア乗っとおんねん。時速二百マイルぐらい出るイギリスのちっこいやつ。四千ドルまでいってへんけど,アホみたいにそれぐらいしてんて。金持ちなりよってん,兄貴。前はちゃうかってんけどな。前はふつうの作家やってん,うちおったときは。知らんかな,『秘密の金魚』てすごい短編集いてんねん。その本でいちばんええんは,「秘密の金魚」いう男の子の話やねん。そのこおだれにも金魚せへんねんけど,なんでかいうたら,その金魚自分じぶんのカネでうたから言いよんねん。びびったわ。兄貴いまハリウッド行って,売春やっとおるわ。おれ嫌いなもんひとつ言うとしたら映画やな。話くのも嫌やわ。

とにかくおれはなししたいんのは,ペンシー・プレップ出てきたひいからやねん。ペンシーてペンシルヴァニアのエーガーズタウンいうとこある学校やねんけど,名前ぐらい聞いたことないかな。たぶん広告ぐらい見たことある思うわ。雑誌千種類ぐらい広告しとおんねん。いっつもイキったやつ馬って柵びこえてる写真ってんねん。ペンシーではいっつもポロばっかりやってます,みたいな。あのへん馬なんか一頭もおれへんで。ほんで,馬ったやつの写真のしたにいっつも「一八八八年以来,男の子たちが,私たちの陶冶とうやによって聡明な青年に変貌しています」て書いたあんねん。アホかっちゅうねん。なんやねん,陶冶とうやって,そんなんペンシーでもほかの学校でもやってるかあ。あっこで聡明な青年なんか見たことなかったわ。二人ぐらいかな。おったとしても。けどそいつらペンシー来るまえからそうやってん。

とにかくあのひい土曜で,サクソン・ホールとフットボールの試合あってん。その試合,ペンシーでかなんことなっとってん。去年の最後の試合で,もしペンシー勝てへんかったら自殺かなんかせなあかん雰囲気やってん。覚えてるわ,あの日の昼三時ごろおれトムセン・ヒル登っとってん。アホみたいな独立戦争のキャノン砲かなんかの横っとってん。そっからフィールド全部えんねん。両方の選手あっちこっちでぶつかっとったわ。観客席あんま見えへんかったけど,ペンシーの応援席からうおおってごっつい低音の声援こえんねん。おれ以外のやつら,ほとんどみんなそっち行っとったからな。サクソン・ホールの声援は,ぱらぱらやったわ。遠征するほう,あんま仰山ぎょうさんひと連れてこられへんやろ。

フットボールの試合て,女あんまおれへんねん。女んでええん,四年生よねんだけやねん。嫌な学校やで,どことっても。おれ,女いっぺんに最低二,三人は見えるとこおりたいねん。その女,ぼりぼり腕いててもええし,鼻かんでてもええし,なんかのこと馬鹿にしてわろててもええわ。セルマ・サーマーいう校長の娘,よう試合とってん。けど,うわええ女やあて感じのこおちゃうかってん。まあええやつやねんけど。いっかいエーガーズタウンからのバスで隣すわって,ちょっと喋ってん。ええやつやったで。そいつはなでかいねん,ほんで爪んどおるからぼろぼろでちいにじんでるし,アホみたいに乳パッド入れとおるからこうやってぴいんぴいんてとがってんねん。せやけどなんかかわいそうなやつやってん。おれそいつええやつやおもたん,親立派りっぱとか馬のウンコみたいな話あんませえへんかったからやねん。あれたぶん親父パチもんの嫌なやつて分かっててんやろな。

おれ試合に行かんとトムセン・ヒルおったん,フェンシング部のやつらとニュー・ヨークから帰ってきたとこやったからやねん。おれフェンシング部のマネージャーとかやっとってん,アホみたいに。かなんで。おれらあの日マクバーニー高校と試合することなっとって,朝からニュー・ヨーク行っとってん。けど試合中止ちゅうしなってん。おれ,フルーレとか防具とか全部アホの地下鉄に忘れてもうてん。おれのせいちゃうねんで。降りるとこちごうたらあかんから,なんかあるたび,おれ立って地図見なあかんかってん。せやから,ホンマやったら晩飯のころ帰ってくるはずやってんけど,二時半ごろ帰ってきてん。帰りの汽車でずっとみんなおれのこと陶片追放とうへんついほうしとおったわ。ある意味おもろかったけどな。

ペンシー戻ってきたのになんで試合に行けへんかったいうたら,おれ,歴史の先生のスペンサーに最後の挨拶しにおもてん。スペンサー,インフルエンザかかってて,クリスマス休み始まるまでにたぶんもう会うことなかったから。おれがうち帰るまえにいっかい会いたいて便箋びんせんに書いてきよってん。先生,もうおれペンシー戻ってけえへんて分かってたから。

それ言うの忘れてた。おれ退学なってん。クリスマス休み終わっても,戻ってけえへんことなっててん。四教科としたし,学校に適応とかしてなかったし。ええかげん適応せえて何回も警告されててんけど──とくに中間テストのごろしょっちゅう言われてて,親びだされてサーマーと面談してんけど──けど,おれ言うこと聞けへんかってん。ほんで退学なってん。ペンシーしょっちゅう退学しよんねん。成績めちゃめちゃ厳しいねん。ホンマ。

とにかく十二月やん。寒いちゅうか冷たいちゅうか,魔女の乳首みたいやってん,おれ丘のいっちゃん高いとこ立っててんから。そんときおれ,リヴァーシブルのコート着てるだけで,手袋もなんもしてへんかってん。その前の週だれかおれの部屋でラクダの毛皮のコート盗みよってん。そのポケットに,ふさふさの毛皮いてる手袋も入っとってん。ペンシーてパクリばっかりやねん。たいていのやつ,家めちゃめちゃ金持ちやねんけど,それでもみんなひとのもんパクリよんねん。金持ち多い学校ほどパクリ多いで──マジで。とにかくおれ,アホみたいなキャノン砲の横って試合とってんけど,さむうてケツちぎれそうやったわ。けど試合あんま見てへんかってん。なんかおれ,最後の気分あじわいたかってん。おれそれまで,いつが最後て自分でも分からんまんまなんぼも学校やめたり場所わったりしとったから。そんなん嫌やねん。べつに悲しいお別れでも嫌なお別れでもええから,この場所はこれがもう最後いうとき,最後て分かっときたいねん。知らんうちに最後なってたら余計よけ嫌やん。

おれ,ついとったわ。いよいよここ出ていくて感じられること思いついてん。十月の中ごろ,おれロバート・ティチェナーとポール・キャンベルと校舎の前でフットボール投げて遊んどってん。そんときそれ思いだしてん。そいつらええやつやねん,とくにティチェナーが。晩飯まえでもうかなり暗かってんけど,それでもおれらずっとフットボール投げとってん。だんだんくらなって,もうほとんどボール見えへんかってんけど,おれらめたなかってん。けど,めさせられてん。生物おしえてるザンベジ先生いうんが,校舎の窓から顔して,もう晩飯の時間やから寮もどれ言いよってん。そんなことでも,思いだしたらお別れせなあかんときお別れできるきいなれんねん──すくなくとも,たいていの場合なれんねん。それ思いだしたら,あとはもう反対いて,スペンサーのうち行こおもて校舎と反対の坂はしって降りてん。スペンサー,アンソニー・ウェーン通りいうて,学校の敷地の外んどってん。

正門までずっと走って,息れたからちょっと休憩してん。おれすぐ息れんねん,マジで。おれかなりヘヴィー・スモーカーやし──や,ヘヴィー・スモーカーやってん。ここ来てめさせられてんけど。それと,おれ去年六インチ半せえ伸びてん。ほんで,結核けっかくなりかけて,アホみたいな検査とかなんかでここてん。いまはもう元気やけど。

とにかく息もどってから二〇四号はしって渡ってん。道めちゃめちゃ凍ってて,アホみたいにこけそうなったわ。なんで走ったかていまでも分からんけど,なんか走りたい気分やってんやろな。道わたったあと,なんか自分が消えていきそうな感じしてん。昼やのにアホみたいに寒いし,ひい出てへんし,道わたるたびに自分えていきそうな感じするひいやってん。

スペンサーのうち着いて,ううわあって思いっきりベル鳴らしたわ。ホンマこごえてたからな,おれ。耳いたいし指ほとんど動けへんねん。「よ,よ」て大きい声で呼んで,もうちょっとで「だれかあ,ドア開けてえ」言おおもたら,奥さん開けてくれてん。スペンサーんとこメードおれへんから,自分らでドア開けに出てくんねん。あんま給料もうてへんねやろな。

「ホールデン!」奥さん言いはってん。「まあ,ようお越し!よおはいりいな!あんた,こごぬんとちゃいますか」奥さん,おれ歓迎してくれはった思うわ。奥さん,おれのこと気に入ってはったわ。すくなくともおれはそうおもてんねん。

おれあわてて中はいってん。「こんにちは,お邪魔します」おれ言うてん。「先生の具合いかがですか?」

「コートはこっちでお預かりしますよって」奥さん言わはってん。おれが先生の具合いたん,聞こえてへんねん。奥さん,耳とおいねん。

奥さん,玄関のクローゼットにおれのコート吊るしはってん。しゃあないから,おれ片手で髪の毛でつけとってん。おれしょっちゅうクルー・カットにしてるから,髪の毛なんか乱れへんねんけど。「お元気ですか」もっかい,こんどは奥さんに聞こえるように大きい声で訊いてみてん。

「おかげさんで,わては平気だすけど」そう言うてクローゼット閉めはってん。「あんさんは大丈夫だっか」奥さんそう言わはったんで,おれ退学なったんスペンサー言いよってんなて分かったわ。

「大丈夫です。スペンサー先生の具合いかがですか。インフルエンザもうなおらはりました?」

「おおきに,もうぴんぴんしてまっせ。なにせまあ──奥の部屋にいてまっせ。よお行きなはれ」

2

先生んとこ夫婦別々の部屋にいてはんねん。ふたりとも七十歳ぐらいかそれ以上やけど,いろんなことおもろがりはんねん──当然くっさいことおもろがんねんけど。そんなん言うたらわるう聞こえるやろけど,べつに悪口ちゃうねん。おれスペンサーのことしょっちゅう考えててん。そんなん考えすぎたら,このおじんなにおもろうて生きてんねやろておもてまうねん。もう腰がっとおるし,姿勢も悪いし,授業ちゅう黒板いてるときチョーク落としたら,いっつもいっちゃん前すわってるやつ立ってチョークひろて渡さなあかんねん。そんなんいやなんで,おれに言わしたら。けど,スペンサーのことほどほどに考えてな,考えすぎひんかったら,このおっさんしょうもないことおもろがっとおるて分からんねん。たとえば,スペンサー,ココア飲ましてくれる言うから,日曜日に友だちといっしょに家ってん。ほしたら,夫婦でイェローストーン・パーク行ったときインディアンからうたぼろぼろのナヴァホの毛布せてきよんねん。あれ,毛布うたんスペンサーすごいおもろかってんやろな。そういうことやねん。スペンサーみたいにめちゃめちゃ年とったら,毛布うだけでおもろいねん。

先生の部屋のドアいててんけど,いちおう礼儀やからノックとかしてん。そこ座ってんの見えとってんけど。スペンサー,大きいかわの椅子すわっててんけど,いま言うてた毛布すっぽりかぶっとってん。おれノックしたら,こっち見て,大きい声で「どなた」言いよんねん。「コールフィールドか? こっちおいで」あいつ,教室の外やと,いっつも声でかいねん。ときどきムカついたわ。

部屋はいった瞬間,おれ来たん後悔したわ。あいつ『アトランティック・マンスリー』読んどって,薬あちこち置いたあってんけど,全部ヴィックス鼻ドロップみたいなにおいすんねん。悲しなんで。病人て,おれあんま好きちゃうねん。ほんで,もっと悲しなったん,あいつ,生まれたとっからとおるような汚いよれよれのバスローブとおってん。年寄りがパジャマとかバスローブとおんのん,おれあんま見たないねん。肋骨いてんのとか見たないねん。それと脚も。海水浴場とか行ったら,年寄りの脚って色白でけえ生えてへんやん。「こんにちは」おれ言うてん。「メモ見ました。ありがとうございます」休み入るまえに家ってください,挨拶したいから,いうメモ回してきよってん,おれもう戻ってけえへんから。「わざわざホンマすいませんでした。そもそもぼくも,先生にはご挨拶にとおもてましたんで」

「まあそこ座りいな,おまえ」スペンサー言いよってん。そこて,ベッドや。

おれ座ったがな。「先生,インフルエンザどうですのん?」

「おまえ,これ以上元気んなったら医者ばなあかんがな」スペンサー言いよってん。ほんで,自分でうけとおんねん。ひとりでわろとおんねん,きちがいみたいに。ほんで真面目な顔なって「きみはなんで試合に行ってへんねん」言いよってん。「今日の試合は大事おおごとやなかったか」

「そうです。行ってきました。ただ,ぼく,さっきまでフェンシング部のやつらとニュー・ヨーク行ってたんです」ううわあっ,ベッド,石みたいに固かったわ。

スペンサー,めちゃくちゃ真剣な顔しよってん。いよいよ本題や。「ほんで,きみはもうこの学校に戻ってけえへんねんな」

「はい,そうなる思います」

ほしたら,スペンサー,こうやってうなずきだしよってん。あんなうなずくやつ,ほかにおらんで。うなずく言うたかて,なんか考えとおんのか,ケツとひじの区別がつかんぐらいボケとおんのか,よう分からんねんけど。

「サーマー先生は,どんなはなししはった。おまえ,十分はなしあいしたんやろ」

「はい,しました。たぶん二時間ぐらい校長室おった思います」

「どんなはなししはってん」

「ええと,人生は試合やとか,試合はルール守ってせなあかんとか。丁寧にはなししてくれはりました。怒鳴られたりとかしませんでした。人生は試合やいうはなししてはりました。そんな感じです」

「そらそうや,人生は試合やねん,おまえ。人生は,ルールのある試合やねん」

「はい,分かってます。分かってます」

試合やて。えらい試合や。そらイキったやつらそろてるほうおったら試合やろ,そらそうやわ。けど,その相手どうなんねん。ヘタレばっかり集まっとったら,なにが試合やねん。なんやそれ。そんなん試合ちゃうわ。「サーマー先生は,もうご両親に手紙かはったんか」スペンサー言いよってん。

「月曜日に書く言うてはりました」

「きみは,ご両親に連絡したんか」

「いえ,まだしてません。どうせ家かえったら水曜に会いますんで,まだ連絡してません」

「ご両親は,このこと聞かはったら,どない思いはるやろ」

「ええと,たぶん相当おこるでしょうね」おれ言うてん。「ホンマ。ぼく,ここ四つめの学校やったんで」おれ,こうやってかお左右に振ってたわ。なんか癖やねん。ほんで「ううわあっ」て言うてん。それ口癖やねん。おれ語彙ごいカスみたいに貧弱やろ,せやしときどき小さいこおみたいなことしてまうねん。おれ,あのころ十六で,いま十七やけど,いまだに十三歳みたいなことしてまうねん。ホンマ皮肉やで,おれ身長六フィート二インチ半あって,白髪えてんのに。ホンマ。頭のこっち側──右側──白髪しらが何百万本もえてんねん。小さいとっからずっと。せやのに,いまだに十二歳みたいなことしてまうことあんねん。みんなにそう言われるわ,とくにおとんに。そら,そういうときもあるかもしれんけど,いっつもちゃうで。いっかいそんなんあったら,みんな,いっつもそうや思いよんねん。まあおれ,いちいち文句えへんけど。けど,十七歳らしいせえ言われんのん,おもんないときあんねん。おれ,自分の年齢としより上みたいにしてることもあんねん──いやホンマに──せやけどそんなんだれもきいつけへんねん。みんな,なんもきいつけへんねん。

スペンサー,またうなずいとってん。ほんで,鼻クソほじりだしよってん。鼻つまんでるだけのふりしとったけど,親指ぐう穴はいっとったわ。部屋おんのおれだけやからかめへんおもてんやろな。まあ,おれかめへんかったけど,鼻クソほじってるおっさん見てるん気分うなかったわ。

ほんで,あいつ言いよってん。「何週間か前にご両親が校長と面談にお見えになったとき,私もお目にかかりました。ご立派なご両親やないかい」

「はい,ええひとらですよ」

立派。ホンマ嫌いな言葉や。パチもんやん。聞くたびにゲエ吐きそうなるわ。

そしたら急にスペンサー椅子んなかで背筋ばしてこっち向きよったから,最後になんかええこと言うんかなおもてん。けど,ちゃうかってん。あいつ,膝せたあった『アトランティック・マンスリー』持って,ベッドの,おれの横んとこぽおんりよってん。けど,失敗しよってん。二インチぐらい足りひんだけやったけど,失敗は失敗やん。しゃあないから,おれ立ってひろてベッド置いたがな。急に部屋ていきたなったわ。そのままおったら,うっとしい話かされそうな感じしてん。話だけやったらええねんけど,話いてるあいだずっと,ヴィックス鼻ドロップのにおいかいで,パジャマとバスローブ着たスペンサー見てんのん嫌やってん。ホンマ。

けど,話はじまったわ。「おまえ,いったい,なにが問題やねん」スペンサー言いよってん。あいつにしては,かなり厳しい口調くちょうやったわ。「きみは,今学期,何科目受講しとったんや」

「五科目です」

「五科目。で,そのうちいくつ落第してん」

「四つです」おれ,ベッドでちょっとケツ動かしてん。あんな固いベッド座ったことなかったわ。「英語は合格しました。前にウートンおったとき,『ベオウルフ』とか『ロード・ランダル』とか全部なろてたんです。せやから,英語はときどき作文くだけで,あんまり勉強せんでよかったんで」

あいつ,おれの話いとおれへんねん。あいつ,ひとの話ほとんど聞きよれへんねん。

「私が歴史できみを落としたんは,きみがなあんも覚えてへんかったからや」

「分かってます。ううわあっ,ホンマそうです。先生が落としはんのは当たりまえや思います」

「ほんま,なあんも覚えてへん」また言いよんねん。そういうの腹つわ。おれ始めに,そうです言うて認めてんのに,二回も言わんでええやん。ほんだら,あいつ,また言いよんねん。「けど,なあんも覚えてへんねやぞ。今学期,教科書いっかいでも開けてみたんかい,それすら疑わしい。どないやってん,おまえ。ホンマのこと言うてみ」

「ええと,教科書は最初から最後まで二回ぱらぱらと読みました」おれ言うてん。ホンマのこと言うたって,スペンサーの機嫌わるなるだけやん。あいつ,歴史のことマジやから。

「最後までぱらぱらとまはったん?」あいつ,皮肉いよんねん。「私のサイドボードに,きみの,あれ,試験の答案が置いたあんねん。書類のいちばん上や。あれ,持ってきてくれますか」

めちゃくちゃ汚いてえ使いよるわ。しゃあないから,答案ってきて,あいつに渡してん──しゃあなかったわ。ほんで,またコンクリートみたいなベッド座ってん。ううわあっ,挨拶なんかんといたらよかったわ。

あいつ,おれの答案,ウンコ触るみたいに持ちよってん。「授業では,エジプトについて,十一月の四日から十二月の二日まで勉強しました」あいつ言いよってん。「で,きみは,選択式の小論文の試験で,自分でエジプトを選んだわけや。試験で自分がなに書いたか聞きたいか」

「いえ,あんま聞きたないです」おれ言うてん。

せやのに,あいつ,読みよんねん。教師がなんかしようてしたら,だれも止められへんねん。あいつら結局やりよんねん。

エジプト人とは,アフリカ北部に住んでいたコーカソイドの古代人種である。彼らが住んでいたアフリカ大陸は,よく知られているように,東半球で最大の大陸である。

おれ,座って聞いてなしゃあないやん。こすいことしよるわ。

エジプト人は,さまざまな理由で,今日も私たちの関心を集めている。エジプト人は,死者の顔が何千年も腐らないように,秘密の薬品を使って死者を布で包んだが,その薬品の成分がなんであったか,近代科学はいまだに解明していない。これは,興味をそそる謎であり,いまなお二十世紀の近代科学に立ちはだかっている。

あいつ,そこで読むの止めて,答案きよってん。おれ,だんだんあいつに腹ってきたわ。「これで,おしまいですわ。これが小論文やて,あんたわはんねんな」めちゃくちゃ皮肉な声で,あいつ言いよってん。年寄りがあんな皮肉うの初めて見たわ。「これでおしまいかとおもたら,ページの下のとこに,私への伝言が書いたある」

「ええ書きました」おれ,めちゃくちゃ早口で言うてん。そこまで聞かされたないからよあいつ止めたかってん。けど,止められへんかってん。ひい点いた爆竹みたいやったわ。

スペンサー先生[結局,読みよってん]。ぼくがエジプト人について知っていることは,これで全部です。ぼくは,エジプト人についてあまり興味が持てなかったようです。先生の授業はとても面白かったのですが。落第にしてもらっても,ぼくはかまいません。英語以外の全教科を落としそうです。
敬具。ホールデン・コールフィールド

あいつ,おれのアホみたいな答案いて,卓球でおれに勝ったみたいな顔でこっち見よってん。あんなん読んで聞かせたん,おれ一生ゆるせへん思うわ。おれやったら,もしあいつがあんなこと書いてきよっても,声して読めへん思うわ──ホンマ。そもそも,そのアホみたいな伝言て,あいつがおれ落としてもあんま気にせんでええように書いたっただけやん。

「落第したんは私のせいやおもてんのか,おまえ」

「そんなことありません! そんなんおもてません」おれ言うてん。おれのこと,「おまえ」言うの,もう止めてほしかったわ。

あいつ,おれの答案んだあと,またベッドにりよってん。ほんで,また失敗しよってん。当然。しゃあないから,おれまた立ってひろて『アトランティック・マンスリー』のうえ置いてん。そんなん二分に一回すんのん疲れんで。

「もしきみが私の立場やったら,どうしてた。おまえ,言うてみ」

あいつ,おれ落としてホンマ,カスみたいな気持ちなっとった思うわ。せやから,口から出まかせ言うたってん。おれはアホです,とか。おれがもし先生の立場やったとしても,やっぱりおんなじように落第にする思います,とか,先生いう立場は辛いもんやてみんなあんまり分かってへん,とか。そんなん。バレバレのべんちゃらや。

けど,おもろいんは,そんなん言うてるとき,おれ別のこと思いついてん。おれのうちニュー・ヨークあるから,セントラル・パークの池のこと考えとってん,セントラル・パーク・サウスから入ったとこにある池。うち帰ったらあの池もう凍ってんのかなあ,とか,もし凍ってたら鴨どこ行ってんねんやろ,とか。あの池全体ぜんたいってもうたら,鴨どこ行くんやろ。だれかトラック載せて,動物園かどっか連れていくんか。それか,自分らでどっか飛んでいきよんのか。

それにしても,おれついてるわ。口ではスぺンサーにバレバレのべんちゃら言うとったけど,頭んなかで鴨のこと思いついたとか。おもろいわ。教師とはなしするときは,あんま頭使つかわんでええねん。けど,あいつ,べんちゃらも最後まで聞きよれへんかってん。あいつ,いっつもひとのはなし最後まで聞きよれへんねん。

「こういうことになって,いったいきみはどういう気持ちやねん,おまえ。教えてほしいわ。教えて」

「こういうことて,ぼくがペンシー退学なることですか」て,おれ言うてん。肋骨いてんの隠してほしかったわ。ええ眺めやないやろ。

「私の記憶違いやなければ,たしかきみは,ウートンでもエルクトン・ヒルズでもよう勉強に付いていかんかったんとちゃいましたかな」こんどは,皮肉だけやのうて,汚いもんに触るような口調くちょうで言いよんねん。

「エルクトン・ヒルズでは勉強いていってました」おれ言うてん。「あそこは,ぼく,退学になったんやのうて,自分からやめたんです」

「なんでですか」

「なんでって,長い話があるんです。混みいってまして」おれ,そんなん全部うつもりなかったわ。どうせ言うたかて,あいつ分からんやろし。あいつの分からん話やから。おれがエルクトン・ヒルズやめたいちばんの理由は,あそこ,パチもんばっかりやったからやねん。それだけやねん。アホみたいに窓からいっぱい入ってきよんねん。たとえば,校長のハース先生いうんおってんけど,あんなパチもん見たことないで。サーマーの十倍ぐらいひどかったわ。たとえば日曜日,生徒の親が車って学校るやん。ほしたら,ハース,みんなの親と握手して回りよんねん。めちゃめちゃ愛想ええねん。けどな,ヘンな恰好かっこの親には態度えよんねん。おれの同室のやつの親たときそうやってん。生徒のおかんがちょっとデブやったりブサイクやったり,おとんが肩の張ったスーツ着てようある白黒の靴いてたりしたら,ハース,パチもんの笑顔で握手して,ほんで別の親と三十分ぐらいはなししとおんねん。あんなん,おれ我慢でけへんわ。腹ってしゃあないわ。悲しすぎて腹ってくんねん。ホンマ,エルクトン・ヒルズ,アホみたいで嫌やったわ。

スペンサーなんか言いよってんけど,なに言うたか聞こえへんかってん。ハースのこと思いだしてたから。「え,なんですか」て,おれ言うてん。

「きみは,ペンシーをやめるにあたって,なにがしかの呵責かしゃくを感じてへんのか」

「ああ,呵責かしゃくですか。ちょっと感じてます,もちろん。そら当然... けど,そんな強くは感じてません。すくなくとも,いまはまだ。まだホンマにこたえてない思うんです。ぼく,そういうの時間かかるんです。いまは,水曜に家かえることばっかり考えてます。アホなんです,ぼく」

「きみは自分の将来が心配になれへんのか,おまえ」

「そら心配ですよ,もちろん。もちろん,心配です」おれ,将来のことちょっと考えてみてん。「まあけど,あんまり心配してない思います。あんまり心配してない思います」

「そのうち心配するようなんねん」スペンサー言いよったわ。「そのうち心配するようになるんや,おまえ。心配したときには,もう手遅れなってるんや」

そんなん言われたなかったわ。そんなん,もうおれ死んでもたみたいな言いかたやん。悲しなったわ。「そうかもしれません」おれ言うてん。

「私はな,きみの頭んなかに,なにがしかの分別ふんべつのこしてやりたいんや,おまえ。私は,きみのためをおもうてるんや。できることなら,きみの役に立ちたいおもてるんや」

それもホンマや思うわ。そら分かんねん。せやけど,スペンサーとおれ反対のきょくにおんねん,それだけやねん。「先生の気持ちは分かってます」おれ言うてん。「ありがとうございます,冗談やのうて。感謝してます,ホンマ」おれ,ベッドから立ちあがってん。ううわあっ,あと十分すわってたら命にかかわってた思うわ。「けど,すいません,ぼく,そろそろ行かなあきませんねん。家って帰らなあかんもん,まだ体育館にいっぱい残ってるんです,ホンマ」あいつ,おれ見上げて,またうなずきだしよってん。こんな,めちゃくちゃ真剣な顔して。急におれ,あいつにめちゃめちゃ悪いきいしたわ。けど,もうそれ以上そこおんの嫌やってん。スペンサーとおれ反対のきょくおんの嫌やったし,あいつベッドになんかるたび失敗しよんの嫌やったし,しょぼいバスローブからあいつの胸見えてんの嫌やったし,ヴィックス鼻ドロップの風邪のにおいぷんぷんしてんの嫌やってん。「先生,ぼくのことは心配せんといてください」おれ言うてん。「ホンマ。たぶん,なんとかなる思います。いまは,ぼく,ひとつの段階を通過してるだけや思うんです。だれでもこうやって段階を通過していくんでしょ」

「私には分からん,おまえ。分からんわ」

そんな言いかたせんといてほしかったわ。「みんな通過していくんですよ,ホンマ」て,おれ言うてん。「ホンマ,ぼくのことは気にせんといてください」おれ,あいつの肩にてえ載せてん。「先生は気にせんといてください」

「ココアでも飲んでいったらどうや。あっちでもう用意したあるんや──」

「ありがとうございます,ホンマ,ココア飲んでいきたいんですけど,もう行かなあきませんねん。このまま体育館かなあきませんので。けど,ありがとうございます。ありがとうございました」

それで,おれら握手してん。ウンコみたいやろ。けどめちゃめちゃ淋しかったわ。

「葉書きます。ほしたら。インフルエンザ,きいつけてください」

「ほたらな,おまえ」

おれ部屋のドア閉めてリヴィング・ルーム行こおもたら,あいつでっかい声でおれになんか言いよってん。けど,なに言うてんのかはっきり聞こえへんかってん。たぶん「幸運をグッド・ラック!」て言いよってんやろな。せやなかったらええねんけど。ホンマせやないほうがええねんけど。おれ,あんなでっかい声で「幸運をグッド・ラック!」なんか,だれにもよう言わんわ。そんなん考えてみたら,気色わるい言葉やん。

3

おれみたいに嘘ばっかりついてるやつ,そうおらん思うで。ホンマひどいわ。もしおれ店に雑誌かなんか買いに行く途中で,どこ行くねん言われたら,オペラ見に行く言うかもしれんわ。ろくでもないやっちゃろ。せやから,体育館にもの取りに行かなあかんてスペンサーに言うたんも,まるっきり嘘やってん。おれ,アホみたいに体育館にものなんか置けへんわ。

おれペンシーおるとき住んどったとこ,新寮しんりょうのオッセンバーガー記念翼きねんよくいうねん。そこ,三年生さんねん四年生よねんしかおれへんとこやねん。おれ,三年生さんねんやったから。ルームメートが四年生よねん。オッセンバーガーて,ペンシーの卒業生の名前やねん。そいつ,卒業したあと葬儀屋やって,えらいカネ儲けよってん。その葬儀屋,全国いろんなとこあんねんけど,埋葬料,一人五ドルぐらいやねん。だれか,オッセンバーガー見張ってなあかんで。袋めて川てとおるかもしれんし。そいつがペンシーにどっさり寄付しよったから,学校がおれらおったよくにそいつの名前けよってん。フットボールの開幕戦に,そいつ,こんなでっかいアホのキャディラック乗ってきよってん。そんとき,おれらみんな,正面スタンドで立って機関車いうのやらされてん──そいつに声援おくんねん。ほんで,次のひいの朝,礼拝堂でそいつスピーチしよってん。十時間ぐらい。はじめ,おもんないジョーク五十連発ぐらいかましよんねん。自分は普通のやつや言いたかったんやろな。かなんで。ほんでそいつ,苦境に立ったときその場でひざまずいて神に祈るんを恥ずかしいおもたことない言いよんねん。人間はどこおってもいっつも神に祈ってなあかん,神とはなしせなあかん言いよんねん。イエスを親友や思わなあかんねんて。そいつ,いっつもイエスにはなししとおんねんて。くるま運転してるときでも。びびったわ。あのパチもん,きっと,ギア一速れながら,もうちょっと死人やしてくださいてイエスに頼んどおんねんで。そいつスピーチしてるとき,いっこだけおもろかったん,そいつイキりの自慢しとおったとき,おれの前の列すわっとったエドガー・マーサラいうやつ,でっかいへえこきよってん。礼拝堂であかんやろいうぐらいでっかいへえで,おもろかったわ。マーサラ,やりよったわ。天井きとびそうなアホみたいなへえやったもん。だれも声して笑えへんかったし,オッセンバーガー聞こえへんふりしとおったけど,演壇えんだんの隣すわっとった校長のサーマー,聞こえたぞいう顔しよってん。ううわあっ,どんだけ腹てとったか。そんときはなんも言えへんかったけど,次のひいの夜,おれら校舎の居残り学習室びだされて,サーマーに説教されてん。礼拝堂みだすやつはペンシーの生徒としてふさわしない言いよんねん。おれら,マーサラに,サーマー説教しとおるあいだにもう一発へえこかそおもてんけど,マーサラ乗ってけえへんかったわ。とにかく,おれそういうとこ住んどってん。オッセンバーガー記念翼きねんよく新寮しんりょうの。

スペンサーとっから部屋かえってきたら,気持ちよかったわ。みんな試合に行っとおったし,うってかわって暖房はいっとったし。ほっとしたわ。おれ,コート脱いで,ネクタイとシャツの襟のボタンはずして,その日の朝ニュー・ヨークでうた帽子かぶってみてん。赤のハンティングで,ひさしめちゃめちゃ長いねん。地下鉄の駅て,アホのフルーレとか全部わすれてもうたおもてるとき,スポーツ用品店のウィンドーに飾ったあってん。一ドルやってん,安いやろ。それおれ,ひさしぐるっと後ろ回してかぶってみてん──ださださやけど,それ気に入ってん。似合におとってん。ほんで,そんとき読んどった本って自分の椅子すわってん。椅子,部屋にふたつずつあってん。いっこはおれので,もういっこはルームメートのウォード・ストラドレーターの。腕んとこ,みんな座りよるからしょぼなっとったけど,座り心地ええ椅子やったわ。

そんとき読んどった本,おれ図書館でちごうて借りてきてん。むこが間違いよってんけど,おれも部屋かえるまできいつけへんかってん。アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』いうねんけど。しょうもない本ちゃうかおもたけど,ちゃうかってん。めちゃくちゃええ本やったわ。おれ難しい言葉とか知らんけど,本けっこう読んでんねん。おれいっちゃん好きな作家は兄貴のD.B.やけど,その次はリング・ラードナーやねん。兄貴,おれの誕生日にリング・ラードナーの本うてくれてん,ペンシーに転校するちょっとまえ。その本,めちゃくちゃおもろい戯曲とか載っててんけど,あと,いっつもスピード違反してる美人のこと好きになってまう交通警官の話っとってん。警官もう結婚してるから,その美人と結婚でけへんねん。せやけど,その美人んでまうねん,スピード違反で。その話,びびったわ。おれがええ思うんは,やっぱおもろい話やな,すくなくとも部分的にでも。古典とか,『帰郷』とかいろいろ読んでええおもたし,戦争の本とか探偵小説とか,いっぱい読んでみたけど心底しんそこええとは思わんかったわ。心底しんそこその本きんなったら,おれ最後まで読んだあと,その本いた小説家が友だちで好きなとき電話できたらええのに思うねん。けど,そんな本あんまないわ。アイザック・ディーネセンやったら電話したいな。あと,リング・ラードナーも。ただ,リング・ラードナーはもう死んでるてD.B.言うとったわ。けど,サマセット・モームの『人間の絆』てあるやん。おれ去年の夏んでん。めちゃくちゃええ本やったけど,サマセット・モームは電話したい思わんかったわ。なんでか知らんけど。なんか,電話かけたなれへん小説家やねん。それやったら,トマス・ハーディーに電話するわ。『帰郷』に出てくるユーステーシア・ヴァイて,おれ好きやわ。

とにかく,おれ,新品の帽子かぶって,座ってその『アフリカの日々』読んどってん。いっかい読んでてんけど,もっかい読みたなったとこあってん。けど,三ページぐらい読んだとこで,シャワー・カーテンのとっからだれか入ってくる音してん。見やんでも,だれか分かったわ。ロバート・アクリーいう隣の部屋のやつやねん。おれらのおったよく,二部屋のあいだにいっこずつシャワーあって,アクリー,毎日八十五回ぐらいこっちよんねん。おれ以外りょうで試合に行ってなかったん,あいつだけやった思うわ。あいつ,そんなん,なんも行きよれへんねん。ちょっと変わったやつやねん。四年生よねんで,丸々四年ペンシーおんのに,みんなあいつのこと苗字でしか呼んでへんかってん。ルームメートのハーブ・ゲールも「ボブ」言うてへんかったし,「アク」ですらないねん。あいつ,もし結婚しても,嫁さんに「アクリー」て呼ばれる思うわ。めちゃくちゃせえ高い猫背のやつで──六フィート四インチあんねん──はあカスみたいやねん。おれ隣んでるあいだ,あいつはあ磨いてんの,いっかいも見たことないねん。はあいっつもこけえてるみたいに汚いねん。食堂で飯うとき,そいつマッシュト・ポテトとか豆とかぐわあって口めこみよんねん。見たらアホみたいに気分わるなんで。それと,そいつ,にきびいっぱいあんねん。ふつうやったら,でことかあごだけやん,にきび。けど,そいつ顔中全部にきびやねん。ほんで,性格わるいねん。ほんで,スケベエやねん。あいつのこと,おれあんま好きちゃうかったわ,マジで。

おれ見てへんかったけど,たぶんあいつ,おれ座ってる椅子の真後ろの,シャワーの段なってるとこで,ストラドレーターおれへんかどうか確かめとおってん。あいつ,ストラドレーターおるときこっちえへんねん,ストラドレーターの性格きろとおったから。まあ,だれの性格でもきろとおってんけど,アホみたいにたいがい。

あいつ,シャワーの段りて,「おお」言うてこっち入ってきよってん。いっつも,すごいおもんないかすごい眠たそうな声して「おお」言いよんねん。あれ,わざわざ隣の部屋たて思われたないねんやろな。ちごうて来てもうたわてふりしとんねん。アホやわ。

「ちわ」て,おれ言うたけど,本んだまま顔げへんかってん。アクリーみたいなやつ来たら,本から顔げたら餌食えじきにされてまうねん。どっちにしても餌食えじきにされんねんけど,すぐ顔げへんかったら時間かせげるやん。

あいつ,ゆっくり部屋あるいて回りよってん。いっつもそうや。ほんで,机とかサイドボードにあるひとのもん,勝手に触りよんねん。いっつも,ひとのもん持って,なんやこれ言うて見よんねん。ううわあっ,ときどきホンマ腹つで。「フェンシングどやってん」あいつ言いよってん。おれが本んで機嫌うしとったん,邪魔したかっただけやねん,それ。フェンシングなんか全然興味ないねん。「どっち勝ってん」

「どっちも勝ってません」おれ言うてん。本たまま。

ほしたら「なんやて」言いよんねん。あいつ,いっつもおんなじこと二回わせよんねん。

「どっちも勝ってません」あいつ,おれのサイドボードでなんかいじくっとおったから,ちらっと見てん。ほしたら,おれがニュー・ヨークで付きおうとったサリー・ヘーズいう子の写真とおんねん。あいつその写真,おれそこ置いてからアホみたいに五千回はてえ取って見とおったわ。ほんで,いっつも元あったとことちゃうとこ置きよんねん。あれ,わざとやで。たぶん。

「どっちも勝ってへん」あいつ言いよってん。「なんでや」

「フルーレとかのアホみたいな道具,おれ全部地下鉄に忘れてもうたんです」おれ,まだあいつのこと見てなかってん。

「地下鉄! おまえ,なくしたんか」

「おれら,地下鉄りまちがえましてん。ほんで,おれずっと壁の地図アホみたいに見てなあきませんでしてん」

あいつ,わざわざこっち来て電気の前ちよんねん。「ちょっと」おれ言うてん。「さっきからおれおんなじ文,二十回ぐらい読んでんですけど」

アホみたいにそんなん言うたら,だれでも意味かるやろ。けど,アクリーには通じひんねん。「おまえ弁償させられんのん?」言いよんねん。

「知りませんて。そんなんどっちでもええすわ。アクリーちゃん,ちょっと座ってくださいよ。そこ立ってたら,こっちアホみたいに暗いんですわ」そいつ,「アクリーちゃん」言われんの嫌いやねん。おれ十六歳であいつ十八歳やったから,子どもなんはおまえのほうじゃアホて,いっつも言うとったわ。おれが「アクリーちゃん」言うたら怒りよんねん。

あいつ,どきよれへんかってん。暗いからどいて言うたらどけへんやつやねん。結局はどきよんねんけど,どいて言うたら余計よけ時間かかんねん。「おまえなに読んでんねん」言いよんねん。

「アホな本ですわ」

あいつ,おれの本ぐう持ちあげて題名よってん。「おもろいか」

「さっきからおんなじ文ばっかり読んでますねん。これ名文ちゃいますか」おれもそのきいなったら,けっこう皮肉えんねん。けど,通じひんかったわ。そいつ,また部屋うろうろして,おれとかストラドレーターのもんいじくりだしよってん。とうとう,おれ本ゆか置いたわ。アクリーみたいなやつそばおったら,本なんか読まれへんて。無理や。

おれ,ケツ前ずらして椅子もたれて,アクリーなにしとおるかじっと見とってん。おれ,ニュー・ヨーク行ってちょっと眠たかったから,欠伸あくび出てきてん。せやから,ちょっとちょけてみてん。おれ,おもんないなあおもたら,ようちょけたんねん。そんときは,ハンティング帽のひさしもどして,めえかぶせてん。ほしたら,アホみたいになんも見えへんやん。「めえ見えへん」おれ苦しそうに言うてん。「おかあちゃあん,暗いよお」

「アホ。おまえホンマ,アホやろ」

「おかあちゃあん,助けてえ。助けてえ」

「ボケ,子どもか,おまえ」

おれ座ったまま,めえ見えへんみたいに,空中,手探りしてん。ほんで,「おかあちゃあん,助けてえ」てずっと言うとってん。ちょけてただけやねんけど,当然。そういうの,たまにおもろいねん。せやし,そんなんしとったら,アクリーうっとしがりよるやろ。あいつとおったら,おれサディストのめん目覚めんねん。おれ,あいつには,けっこうサディスティックなことやったわ。けど結局やめてん。またひさし後ろ回して,椅子もたれてん。

「これだれのや」アクリー言いよってん。ストラドレーターの膝のサポーター持って,こっち見せよんねん。あいつ,ホンマなんでも触りよんねん。金玉まもるサポーターでも触りよんねん。ストラドレーターの,言うたら,あいつそれストラドレーターのベッドにぽおんりよんねん。スタラドレーターのサイドボードから取って,ベッドにりよんねん。

あいつ,こっち来て,ストラドレーターの椅子の腕んとこ座りよってん。まともに椅子すわりよれへんねん。いっつも腕すわりよんねん。「おまえその帽子どこでうてん」

「ニュー・ヨーク」

「なんぼや」

「一ドル」

「ぼられたな」あいつ,マッチの軸でアホみたいにつめ掃除しだしよってん。あいつ,爪の掃除ばっかりしとおんねん。ある意味,おもろかったわ。はあこけえてるみたいやし,耳もめちゃめちゃ汚いのに,いっつもつめ掃除しとおんねん。そうしといたら,めちゃくちゃすっきりした人間なれる思とおってんやろな。ほんで,つめ掃除しながら,またおれの帽子よってん。「うっとこのほうやと,そういう帽子,鹿ちに行くときかぶんねん」あいつ言いよってん。「それ鹿撃ち帽やろ」

ちゃいます」おれ帽子いで,よう見てみてん。ほんで片目つむって,帽子に狙いつけるみたいにしてみてん。「これ人間撃ち帽ですわ」おれ言うてん。「おれこれかぶって人間ちに行きますねん」

「おまえの親おまえ退学なったんもう知ってんのか」

「いや」

「そらそうとストラドレーターどこ行きよってん」

「試合に行ってますわ。女んでましたから」おれ欠伸あくびしてん。そんとき欠伸あくび出てしゃあなかったわ。部屋アホみたいに暑かったいうんもあったわ。あんなん眠たなんで。ペンシーおったら,凍死するかあつうて死ぬかどっちかやねん。

「華麗なるストラドレーターやのお」アクリー言いよってん。「おいちょっとはさみ貸してくれや。そのへんないんか」

「ありません。もう荷物に詰めてもうたんです。戸棚のいっちゃん上んとこに」

「ちょっと取ってくれや」アクリー言いよんねん。「ここささくれ出来て切りたいねん」

あいつ,ひとが荷物めて戸棚の上の段いてても,そんなん関係ないやつやねん。しゃあないから取りに行ったわ。ほしたら,そんときおれもうちょっとで死にかけてん。戸棚けたら,ストラドレーターのテニス・ラケット──きいのプレスめたあってん──おれの頭にどっしいん落ちてきてん。すっごい音して,めちゃめちゃ痛かったわ。アクリー,それ見てアホみたいに笑いやがんねん。笑い声,裏声なっとおんねん。おれスーツケース下ろしてはさみ出すあいだ,ずっとわろとったわ。アクリー,そんなん──だれかの頭に石ぶつかるとか──見たら,腹かかえてとことん笑いよんねん。「アクリーちゃん,アホみたいに笑いのセンスありますわ」おれ言うてん。「思いません?」おれはさみ渡してん。「おれ,マネージャーしましょか。ラジオのアホみたいな番組ってきますわ」おれまた椅子すわって,あいつでっかい硬そうな爪りだしよってん。「テーブルかなんか使つこてくださいよ」おれ言うてん。「テーブルの上で切ってくれません? 今晩裸足でその硬い爪むの嫌ですもん」けど,あいつ,ずっと床の上で爪っとおんねん。あいつ,カスみたいなことばっかりしよんねん。ホンマ。

「ストラドレーター,どこの女びよってん」あいつ,ストラドレーターだれと付きおうてるか,いっつも気にしとおんねん。ストラドレーターの性格きらいやのに。

「知りませんよ。なんでですか」

「べつに。くそ,あのボケ気に入らんわ。あのボケ,ホンマ腹つねん」

「ストラドレーターはアクリーちゃんのこと好きですよ。あのボケ王子様みたいやなあ言うてましたもん」おれ言うてん。おれ,ひとおちょくるとき,よう「王子様」言うねん。ほしたら,おもんないときでも,おもろなるやん。

「あいついつもひとのことアホみたいに見下しとおるやろ」アクリー言いよってん。「あのボケ我慢でけへんわ。おまえ,あいつのこと──」

「ちょお,テーブルの上で切ってくださいよ」おれ言うてん。「もう五十回ぐらい言うて──」

「あいついつもひとのことめちゃくちゃ見下しとおるやろ」アクリー言いよってん。「あのボケ,自分のこと頭ええおもとおんねん。アホかちゅうねん。あいつ自分がいっちゃん──」

「アクリーさん! お願いやから,爪るんやったら,テーブルの上で切ってくださいよ。もう五十回言うてますやん」

ほしたら,あいつ,テーブルの上で爪りだしよってん。あいつになんかしてもらおうおもたら,でっかい声で言うしかないねん。

おれ,しばらくあいつのこととってん。ほんで言うたってん。「ストラドレーターさんのこと腹つんは,たまにははあ磨けとか言わはったからでしょ。あれ,馬鹿にして言わはったんちゃいますやん,まあでっかい声で言わはりましたけど。本心が伝わる言いかたやなかったかもしれませんけど,なんも馬鹿にして言わはったんちゃいますよ。はあはときどき磨いたほうが,見た目もええし気分もええ言わはっただけですやん」

「おれかてはあぐらい磨いてるわ。うっさいねん」

「磨いてませんて。おれが見た範囲では磨いてませんて」おれ言うてん。けど,なるべく追いつめへん言いかたしてん。ある意味,おれもアクリーのことかわいそやおもとってん。当たりまえやけど,だれかて,ひとからはあ磨け言われたらええ気分せえへんやん。「ストラドレーターさんは,そんなひとちゃいますよ。そんな悪いひとやないですて」おれ言うてん。「ストラドレーターさんのこと知らんからそう思うだけですて,問題はそこでしょ」

「いや,あのボケ,イキっとおんねん。イキっとおんねん,あのボケ」

「たしかにイキってますけど,めちゃくちゃ気のええとこもありますやん。ホンマに」おれ言うてん。「たとえば,ストラドレーターさんのしてるネクタイ,だれか気に入ったとしますやん。だれかストラドレーターさんのネクタイめちゃくちゃええなあ言うたとしましょ──こらひとつの例ですけどね。ほしたら,あのひとどうする思います。たぶん,その場でネクタイはずして,そいつにあげる思いますよ。ホンマ。それか,あとでそいつのベッドに置いてくるか。どっちにしても,あのひと,そんなん言われたらアホみたいにそのネクタイあげますよ。そんなんできるひとめったに──」

「アホか」アクリー言いよってん。「おれかて,あいつぐらいカネ持ってたらネクタイぐらいやるわ」

「いや,あげへん思いますよ」おれ左右に顔ってん。「アクリーちゃんは,あげへん思いますよ。もしカネ持ってても,アクリーちゃんは──」

「ちゃん付けすんな,ボケ。おれ,おまえの親父でもおかしないぐらい年上やねんぞ」

「おかしいですよ,そんなん」ううわあっ,あいつときどきホンマむかつくこと言うてきよんねん。おまえは十六でおれは十八や言いくるめるチャンスあったら,ぜったい逃せへんねん。「そもそも,おれの家族に入れたげません」おれ言うてん。

「アホ,とにかくおれのこと──」

そんとき急にドア開いて,ストラドレーターおおあわてで入ってきよってん。あいつ,いっつもおおあわてしとおんねん。なんでも大事おおごとやねん。あいつ,おれんとこ来て,おれの頬っぺた遊びでぴしぴして往復ビンタしよってん──あれもたまにうっとしかったわ。「なあ」あいつ言いよってん。「おまえ今晩どっか行く予定あるか」

「さあ。行くかもしれませんけど。外どうなってるんですか──雪ですか」あいつのコートに雪いとってん。

「おお雪や。なあ,今晩どっか行く予定なかったら,おまえのあのチェックの上着してくれへんかな」

「試合,どっち勝ちましたん」

「まだハーフ・タイムや。おれら,これからちょっと抜けるから」ストラドレーター言いよってん。「なあ頼むわ,あのチェックの上着,今晩るんか。おれ,グレーのフランネルの上着にものこぼしてもてん」

「着ませんけど,肩幅アホみたいにちゃいますから,上着びるんちゃいますか」おれ言うてん。おれら,身長ほとんどおんなじやったけど,体重はむこがおれの二倍ぐらいあってん。あいつ,肩幅めちゃめちゃ広いねん。

「伸びひん,伸びひん」あいつ,そう言うておおあわてでクローゼットのほう行きよってん。「アクリー,おっす」アクリーに言いよってん。ストラドレーター,すくなくとも気さくなやつやねん。まあパチもんの気さくさいうとこもあんねんけど,すくなくともいつでもアクリーに挨拶しよんねん。

アクリー,「おっす」言われて,ぼそっとなんか言いよったわ。返事したなかったんやろけど,完全に無視できるほど根性ないねん。ほんで,おれに言いよんねん。「おれそろそろ行くわ。ほなな」

「はい」て,おれ言うてん。あいつ,部屋かえる言うても,全然名残なごりしなかったわ。

ストラドレーター,コート脱いでネクタイはずしとってん。ほんで「さっとヒゲらなあかんな」言いよってん。あいつ,ヒゲ濃いねん。ホンマ。

「女の子,どこいてますのん」

「別館で待たしてる」そう言うて,洗面道具とタオル抱えて部屋て行きよってん。シャツもなんもんと。あいつ,いっつも裸で歩きまわっとおってん。アホみたいにええ体してるおもとってんやろな。実際,ええ体しとったわ。たしかに,そら認めるわ。

4

おれなんもすることなかったから,あいつ洗面所でヒゲんのん付いてって喋っとってん。洗面所,おれらのほかだれもおらんかったわ。まだ試合やっとったから。めちゃめちゃあつうて,窓全部湯気ゆげで曇っとってん。洗面台,壁に一列に十個ぐらい並んでんねん。ストラドレーター,まんなかの使いよったから,おれ隣の洗面台すわって,冷たい水したり止めたりしとってん──なんか苛々いらいらしてるみたいやけど癖やねん,それ。ストラドレーター,ヒゲってるあいだ,ずっと口笛で「インドの歌」吹いとおってん。あいつの口笛,めちゃくちゃ高い音んねんけど,だいたい音程うてへんねん。せやのに,「インドの歌」とか「十番街の殺人」とか,口笛上手うまいやつでも難しい曲ばっかりやりよんねん。曲ぶちこわしにしよんねん,ホンマ。

さっき,アクリーが身の回り,だらしない言うてたん覚えてる? ストラドレーターもだらしないねん。アクリーとちゃうとこでやけど。ストラドレーターだらしないん,ひとに分からんねん。見た目いっつもきれいにしとおるから。けど,いっかいあいつのヒゲりとか見てほしいわ。はあめちゃめちゃびてるし,石鹸とかけえとか付いてんねん。そんなん全然あらいよれへんねん。あいつ仕度したくしたらいっつも見た目きれいねんけど,おれみたいに近くでとったら,ひとに見えへんとこでだらしないねん。なんで見た目きれいにしとおるかて,あいつアホみたいに自分のこと好きやねん。自分のこと,西半球でいっちゃんかっこええおもとおんねん。たしかに,かなりかっこええけど──そら認めるわ。けど,それ,親が生徒年鑑の写真てまっさきに「この子だれ」て訊くかっこよさやねん。ペンシーでストラドレーターよりかっこええておれおもたやついっぱいおったけど,そいつら年鑑で見たらたぶんかっこよないねん。なんか,鼻でかいか耳きでてるみたいに見えんねん。そんなん,しょっちゅうあったわ。

とにかくおれ,ストラドレーター,ヒゲってる横の洗面台すわって,水したり止めたりしとってん。そんときも赤のハンティング帽かぶって,ひさし後ろ回しとってん。帽子そうやってんの,ホンマおもろかってん。

「なあ」ストラドレーター言いよってん。「ちょっと頼まれてくれるかな」

「なんですのん」おれ言うてん。あんまやる気なさそうに。あいつ,いっつもひとにもの頼みよんねん。かっこええやつとかイキっとおるやつとか,いっつもひとにもの頼みよんねん。そいつら,自分のこと好きやから,周りのやつもそいつらのこと好きで好きで死ぬほどもの頼まれたがってるおもとおんねん。ある意味,おもろいわ。

「おまえ今晩どっか行くんか」

「さあ。どうしましょ。分かりませんわ。なんでですか」

「おれ月曜に歴史あるから,百ページぐらい読んどかなあかんもんあんねん」あいつ言いよってん。「おれの代わりに英語の作文いてくれへんかな。月曜にそのアホみたいなん出せへんかったらやばいねん。頼むわ。どや」

めちゃくちゃ皮肉な話やで。ホンマ。

「そんな,おれここ退学なる人間やのに,せやのにアホみたいに作文け言いますのん」おれ言うてん。

「ああ,そらそやけどな。けど,作文さな,おれやばいねん。頼むわ。ホンマ頼むわ。なあ」

おれ返事せんと,ちょっとじらしたってん。ストラドレーターみたいなやつは,そういう沈黙くねん。

「なに書きますのん?」おれ言うてん。

「なんでもええ。言葉で描写できるもんやったら,なんでもええねん。部屋とか。家とか。前んどったとことか──そんなもん,なんでもええねん。描写できるもんやったら,なんでもええわ」そう言いながら,あいつでっかい欠伸あくびしよんねん。そんなんケツからぶりぶりて出したなんで。ひとにアホみたいにもの頼んでるさいちゅう欠伸あくびしよんの。「あんま本気さんでかめへんで」あいつ言いよってん。「ハーツェル,おまえのこと英語できるおもとおるし,おれのルームメートやて分かってるからな。せやから,コンマ打つ場所とか,ときどきわざとちごうといて」

それもまたケツからぶりぶりて出したなったわ。作文とくな人間の前でコンマのはなしするか。ストラドレーター,そんなことばっかり言いよんねん。あいつ,自分が作文カスみたいに苦手なん,コンマ打つ位置ちごうてるだけや言いたかってんで。その点,アクリーに似てるわ。おれ前,バスケットボールの試合アクリーと見にいってん。ペンシーにハウィー・コイルいうすごい選手おって,そいつフロアのまんなかからでもシュート決めよんねん。しかも,バックボードに当てんと。アクリー,コイルの体は完璧にバスケットやる向きに出来てんねんとか,アホみたいに試合のあいだずっと言うとったわ。そんなん,おれホンマ嫌いやねん。

しばらくしたら洗面台すわってんのおもんのうなってきて,ちょっと後ろ立ってなんとなくタップ・ダンス始めてん。だれに見せるつもりでもなかってんけど。おれタップ・ダンスとかちゃんとできるわけちゃうけど,その洗面所の床いしやったからええ音してん。おれ映画のマネしてん。ミュージカル映画の。映画は嫌いやけど,マネすんのはおもろいやん。ストラドレーター,ヒゲりながら鏡でおれのこととってん。観客おんねやったら,やったろ思うねん。おれ目立ちやから。「おれ知事の息子ですねん」おれ言うてん。乗ってきたわ。タップ・ダンスしながら洗面所のなか動きまわってん。「父はぼくをトップ・ダンサーにしたないんです。オックスフォード行かせたいんです。けど,ぼくの体には,アホみたいなタップ・ダンスの血が流れてるんです」ストラドレーター,わろとったわ。あいつ,笑いのセンスあんまわるないねん。「いよいよ『ジーグフェルド・フォーリーズ』の初日」おれ,息れかけとったわ。すぐ息れんねん。「主役のダンサーが舞台に上がれんようになりました。アホみたいに酒に酔うてもて。代役を務めるのはだれ。それはぼくです。この知事のアホ息子です」

「おまえ,その帽子どこでうてきてん」ストラドレーター言いよってん。おれのハンティング帽。それまで見たことなかったから。

おれもう息れとったから,ダンスめてん。帽子いで,また帽子てん。その日,九十回目ぐらいやったわ。「今朝ニュー・ヨークで買いましてん。これ一ドル。ええでしょ」

ストラドレーターうなずきよったわ。ほんで「かっこええやん」言いよってん。けど,それべんちゃらやったわ。すぐ「なあ,作文いてくれんのか。どっちやねん」言いよってん。

「時間あったら書きますけど,なかったら書きませんわ」おれ言うてん。ほんでまた,あいつの隣の洗面台すわってん。「今日の相手だれですのん」おれ訊いてん。「フィッツジェラルドさん?」

「アホ,やめてくれ! 言うたやろ,あんな豚もう別れたわ」

「ううわあっ,せやったらおれに譲ってくださいよ。ホンマ。おれ,あのこおタイプですわ」

「好きにせえや... けど,あいつ年上すぎて,おまえには無理やろ」

そんとき急に──ストラドレーターおちょくったろいう以外ホンマたいした理由なかってんけど──おれ洗面台からストラドレーターに跳びかかってハーフ・ネルソンかけたなってん。ハーフ・ネルソン知らんかな。レスリングの技やねんけど,相手の首つかまえて,そのきいなったら相手窒息死させられんねん。それおれやってん。アホみたいにひょうなったつもりでストラドレーターに襲いかかってん。

「アホ,やめとけホールデン,あかん」ストラドレーター言いよってん。あいつ,乗ってけえへんかったわ。ヒゲっとったからな。「アホおまえ,そんなんしたら,ボケ,首れるやんけ」

けどおれ,はなせへんかってん。ハーフ・ネルソン,ばっちし決まっとったわ。「おまえの力でこの万力まんりきのような拘束こうそくいてみろ」

「もう,しょうもないこと」あいつ,剃刀かみそり置いて,思いっきり腕げて,おれのハーフ・ネルソン破りよってん。あいつ,めちゃくちゃ力あるわ。おれ,めちゃくちゃ力なかったわ。「もう,アホなことすな,おまえ」ほんで,あいつまた,顔中りだしよってん。あいついっつもヒゲ二回りよんねん。かっこええ思われたいねん。ぼろぼろの剃刀かみそりで。

「フィッツジェラルドさんやなかったら,今日の相手ていったいだれですのん」おれ言うてん。おれまた,あいつの横の洗面台すわっとったわ。「あのフィリス・スミスいうこお?」

「いや。そのはずやってんけど,られへんようなってん。せやから,バッド・ソーの彼女のルームメートに来てもうてん... そや。忘れとったわ。そいつ,おまえのこと知っとったぞ」

「だれが」おれ言うてん。

「今日こお

「マジで?」おれ言うてん。「なんて名前ですか」おれ,みい乗りだしたわ。

「なんやっけ... そう,ジーン・ギャラガー」

ううわあっ,それ聞いたとき,死ぬかおもたわ。

「それジェーンちゃいますのん」おれ言うてん。ジェーンの名前いて,おれ洗面台から立ってもうたわ。おれアホみたいに死ぬかおもたわ。「そらアホみたいに知ってますわ。それ,おととしの夏,うちの家のホンマすぐ隣んでたこおですわ。でっかいドーベルマンうてましてん。その犬しょっちゅううち来て──」

「ちょっとおまえ邪魔や,暗いねん,ホールデン」ストラドレーター言いよってん。「もうちょい,どっちか寄ってくれへんか」

ううわあっ,おれどんだけ興奮しとったか。ホンマ。

「いまどこいてますのん」おれ言うてん。「おれ挨拶してこなあきませんわ。どこいてますのん。別館ですか」

「おう」

「なんで,おれのはなしなったんですか。あのこおいま,ブリン・マー行ってるんですか。ブリン・マー行くかもしれん言うてましたから。シプリー行くかもとかも言うてましたけど。おれ,シプリー行ってるんちゃうかおもてたんですけど。なんで,おれのはなしなったんですか」おれかなり興奮しとったわ。ホンマ。

「なんでかて,おれは知らんわ。ちょっとおまえ,ケツどけてくれ。おれのタオルのうえ座ってる」ストラドレーター言いよってん。おれ,あいつのタオルのうえ座っとってん。

「ジェーン・ギャラガーかあ」おれまだ言うとったわ。「驚き桃の木ですわ」

ストラドレーター,髪にヴァイタリス付けとってん。おれのヴァイタリスやけど。

「あのこお,バレエなろてたんですよ」おれ言うてん。「毎日二時間練習してましたよ,いっちゃん暑い時期に。練習しすぎたら脚ふとなるんちゃうかて心配してましたけど。おれいっつも,あの子とチェッカーやってましてん」

「うん,いっつもなにやってたて?」

「チェッカー」

「チェッカーかい!」

「そうですよ。あのこお,キングんなった駒,全然うごかしませんねん。いっつも,駒がキングんなったら使いませんねん。いっちゃん後ろの列いときよるんですわ。キングんなった駒,全部いっちゃん後ろに並べますねん。ほんで,全然使つかいませんねん。キングいっちゃん後ろの列ならんでんのん好きなんですわ」

ストラドレーターなんも言いよれへんかったわ。あんまみんな,そういうこと,おもしろい思えへんねん。

「あそこのお母さん,うちとおんなじゴルフ・クラブ入っとったんです」おれ言うてん。「おれときどきバイトでキャディーやってましてん。二回ぐらい,あそこのお母さんのキャディーやりましてん。九ホール百七十ぐらいで回ってましたわ」

ストラドレーター,おれの言うこと聞いとおれへんかってん。くしで髪の毛いとおってん。

「おれ挨拶だけでもしに行かなあきませんわ」

「おう,行ってこいや」

「もうちょっとしたら行きますわ」

あいつ,髪の毛けなおしだしよってん。あいつ,髪の毛けんのん一時間ぐらいかかんねん。

「あそこのお母さん,離婚してますねん。ほんで大酒飲みと再婚しよったんですわ」おれ言うてん。「ガリガリで脚むくじゃらですねん,新しいお父さん。おれよう覚えてますわ。いっつもパンツ一丁の恰好かっこしとおるんですわ。脚本家かなんかアホなことやってるてジェーン言うてましたけど,おれの見るかぎり,いっつも酒んで,ラジオの探偵ドラマ,アホみたいに全部いとおるんですよ。ほんで,アホみたいに家んなか裸で走りまわりよるんです。そばにジェーンとかおんのに」

「へえ」ストラドレーター言いよってん。あいつ,そういう話は聞いとおんねん。酒飲みが家んなか裸で走りまわって,そばにジェーンおるいう話は。あいつ,めちゃめちゃスケベエやねん。

「あのこお,子ども時代カスみたいやったんです。マジで」

けど,そういう話ストラドレーター聞いとおれへんねん。スケベエな話しか聞いとおれへんねん。

「ジェーン・ギャラガーか。まいったな」おれ,ジェーンのことばっかり思いだしとったわ。止まれへんかってん。「挨拶ぐらいしてこなあきませんわ」

「そんなこと言うてんとよ行ってきたらどやねん」ストラドレーター言いよってん。

おれ,窓んとこまで行ったけど,外えへんかったわ。洗面所あつかったから曇っとってん。「いま,なんか気分ってませんねん」おれ言うてん。ホンマ乗ってへんかってん。そんなん,気分らな行かれへんやん。「あのこお,シプリー行ってるおもとったんですよ,おれ。せや,絶対シプリーやわ」おれ,しばらく洗面所のなかうろうろしとってん。ほかにすることなかったし。「あのこお,試合て喜んでました?」おれ言うてん。

「ああ,せやったんちゃうか。知らんけど」

「おれといっつもチェッカーやってたとか言うてませんでした?」

「知らんがな,そんなん。アホかおまえ。おれまだうたばっかりやで」 ストラドレーター言いよってん。ちょうどアホみたいな髪きおわって,汚い洗面道具かたけとってん。

「あの。よろしゅう言うといてください」

「分かった」ストラドレーター言いよってん。けど,そんなんたぶん言いよれへんねん。分かってんねん。ストラドレーターみたいなやつ,ひとの伝言とか絶対つたえよれへんねん。

あいつ部屋もどっていってんけど,おれしばらく洗面所でジェーンのこと思いだしとってん。ほんで,おれも部屋もどってん。

部屋はいったら,あいつ鏡の前ってネクタイ結んどってん。あいつ人生の半分ぐらいアホみたいに鏡の前っとおんねん。おれ,椅子すわって,しばらくあいつのこと見とってん。

「あの」おれ言うてん。「あの子に,おれ退学なったて言わんといてください」

「分かった」

それはストラドレーターのええとこやねん。細かいアホみたいなことごちゃごちゃ言わんでええねん,アクリーやったらそうはいけへんけど。あれ,興味ないねやろな,ストラドレーターは。そうや思うわ。アクリーはちゃうねん。あいつ,なんでも根掘り葉掘り訊きよんねん。

ストラドレーター,おれのチェックの上着よってん。

「ホンマそれ,あちこち伸ばさんといてくださいよ」おれ言うてん。おれその上着まだ二回ぐらいしか着てへんかってん。

「伸びひんて。おれ,煙草どこやったっけ」

「机のうえですわ」あいつ,自分がものどこ置いたかなんも覚えてへんねん。「マフラーに隠れてますわ」あいつそれ上着のポケット入れよってん──おれの上着の。

おれ,ハンティング帽のひさし,急に前まわしてん。気持ち入れなおそおもて。おれ急に,なんか心配なってきてん。おれ,めちゃめちゃきい弱いねん。「デート,どこ行きますのん」おれ言うてん。「もう決まってますのん?」

「さあ,どうしよ。時間あったらニュー・ヨーク行きたいねんけどな。むこう,九時半までしか外出許可っとおれへんねん。アホかっちゅうに」

ジェーンのことアホ言われて,おれちょっと嫌やってん。「そんなん,先輩がどんだけかっこええか,ええ人間か知らんかったからでしょ。もしあの子がそれ知ってたら,明日の朝の九時半まで外出許可ってますって」

「ホンマやで,ボケ」ストラドレーター言いよんねん。悩みっちゅうもんがあれへんねん。自信満々や。「なあ。作文ホンマ頼むで」あいつ言いよってん。コート着て,やっと行く準備しよってん。「おまえ,本気さんでええからな。そんなもん,描写するだけでええねん。頼むで」

おれ返事せえへんかってん。返事したなかってん。「あの子に,キングなった駒まだいっちゃん後ろ並べてんのか,訊いといてください」おれ言うてん。

「分かった」ストラドレーター言いよってん。けど,そんなん訊きよれへんわ。「まかしとけ」あいつ,バンてドア閉めて出ていきよってん。

あいつ出てったあと,おれ三十分ぐらいそのまま座っとってん。なあんもせんと,椅子すわっとってん。ずうっとジェーンのこと考えてて,ストラドレーター,デートでどんなとこ連れていくねやろて考えとってん。おれ気になって気になってきい狂いそうなったわ。ストラドレーターのアホどんだけスケベエか,さっきも言うたやろ。

そしたら急に,アクリーまた部屋はいってきよってん,アホみたいにシャワー・カーテンからいつもどおり。おれ生まれて初めて,アクリー来たん嬉しかったわ。あいつ来たら,ほかのこと考えてられへんもん。

あいつ,晩飯まで部屋おって,ペンシーでだれのこと嫌いか言うとおってん。ほんで,あごのでっかいニキビ潰しよってん。ハンカチも使わんと。あいつ,ハンカチなんか一枚も持ってなかった思うわ,マジで。すくなくとも,おれ,あいつがハンカチ使つこてるとこ,いっかいも見たことなかったわ。

5

ペンシーの土曜の晩飯て,メニューいっつもおんなじやねん。大事おおごとやねん,ステーキ出るから。なんでステーキかて,おれ千ドル賭けてもええけど,あれ日曜,生徒の親いっぱいよるからやで。おかん息子に「昨日の晩なに食べたん」て訊きよるやん。ほしたら「ステーキ」いうことなるやん。たぶんサーマー考えよってんやろけど,せこいだましやで。どんなステーキか,いっかい見てほしいわ。ちっこい固いパサパサのステーキで,ナイフでんのも苦労すんねん。ステーキ出るとき,こんなごつごつの不細工なマッシュト・ポテト付いてくんねん。ほんで,デザート,リンゴのプディングて決まってんねん。そんなん,だれも食えへんて。食うとしたら,うまいもん知らん下級生のやつら──ほんで,アクリーみたいになんでも食うやつだけやん。

せやけど,おれら食堂から出てきたら,ええことあってん。雪っとってん。地面に三インチほど積もっとってんけど,まだきちがいみたいに降ってきとってん。めちゃめちゃきれいやったわ。おれら,そこら中で雪合戦してん。子どもみたいやけどな,みんなホンマ嬉しそうやったわ。

おれデートの相手とかおれへんかったから,おれと,レスリング部のマル・ブロサードいう友だちで,バスでエーガーズタウン行ってハンバーガー食うてカスみたいな映画でも見よかいうことなってん。おれらふたりとも,その夜じっとしてんの嫌やってん。おれ,マルに,アクリーさそたらあかんかなあてきいてみてん。アクリー,土曜の夜て,なんもすることないねん。部屋おって,ニキビ潰すとかしとおるだけやねん。あかんことないけどあんまりりせんなあてマル言いよってん。あいつ,アクリーのことあんま好きちゃうかってん。とにかく,おれら仕度したくしに部屋もどって,おれ自分の部屋でオーヴァーシューズ穿きながら,アクリーに,映画に行きませんかあてでっかい声で訊いてみてん。シャワー・カーテンあっても十分おれの声こえてるはずやねんけど,あいつすぐ返事せえへんねん。すぐ返事すんの嫌やねん。しばらくしたらカーテンのとっからアホみたいにこっち来て,シャワーの段とこで,ほかだれ行くねん言いよんねん。あいついっつも,だれ行くねんて訊きよんねん。たぶんあいつ,どっかで難破してアホみたいに救命ボートに助けてもらうときでも,このボートだれいでんねん言いよんで。マル・ブロサードておれ言うてん。ほしたら「あいつか... まあええやろ。ちょっと待っといて」言いよんねん。頼まれたらしゃあないわ言いたかってんやろな。

あいつ仕度したくすんの五時間ぐらいかかんねん。待ってるあいだ,おれ窓んとこ行って,窓けて,素手すでで雪のボール作ってん。雪,すっごい固まりやすかったわ。けど,どっこも投げへんかってん。投げかけてんけど。道の向こう駐まってる車に。けど,やっぱりめてん。車,しろうて綺麗きれかってん。ほんで消火栓に投げよかおもてんけど,消火栓もしろうて綺麗きれかってん。結局どっこも投げへんかってん。しゃあないから窓めて,部屋んなかうろうろしながら,ボールがちがちに固めとってん。あとで,おれとブロサードとアクリーでバス乗るときも,おれそのボール持っとってん。ほたら,バスの運転手,ドア開けて,外にボール捨ててくれ言いよんねん。だれにもぶつけませんておれ言うてんけど,運転手,おれの言うこと信じよれへんねん。だれも,ひとの言うこと信じよれへんねん。

そんときやってた映画,ブロサードとアクリー見たことあるやつやってん。せやから,おれらハンバーガー二個うて,ちょっとピンボールやってから,またバス乗ってペンシー帰ってん。おれ,その映画やんでもよかってん。ケーリー・グラント出ててコメディーや言うとったけど。せやしおれ,前にブロサードとアクリーといっしょに映画たことあってん。あいつらふたりともハイエナみたいに笑いよんねん,いっこもおもんないとこで。映画館であいつらの隣の席すわってるだけで,おもんなかったわ。

おれら寮もどったん,まだ八時四十五分ぐらいやったわ。ブロサード,ブリッジ好きやから,どっかでだれかブリッジやってないか見に行きよってん。アクリー,自分の部屋もどらんと,おれんとこよってん。あいつこんど,ストラドレーターの椅子の腕やのうて,おれのベッド寝よってん。おれの枕に顔つけて。ほんで,ぶつぶつ言いながら,ニキビ潰しよんねん。おれ千回ぐらい分かるように嫌味うてんけど,どきよれへんねん。あいつ,夏にセックスしたいう女の話ぶつぶつ言いよんねん。その話,おれもう百回ぐらい聞かされとったわ。聞くたびに話わんねん。いとこのビュイックでやった言うとったんが,いつのまにか,海辺の遊歩道のしたでやったことなってんねん。ほんで,当然ウンコみたいなことばっかり言いよんねん。おれの知りあいでだれ童貞いうたら,まずアクリーやて。ちゅうか,あいつ,女さわったこともないんちゃうか。しばらくしてしゃあないから,おれストラドレーターの作文かなあきませんねん,集中でけへんから出ていってもらえますか,てはっきり言うてん。あいつ,いつもどおりのろのろしよったけど,結局ていきよったわ。ほんでおれ,パジャマとバスローブに着替えて,ハンティング帽かぶって,作文きだしてん。

けど,ストラドレーター書かなあかん言うとった部屋とか家とかって,なに書いてええか思いつけへんかってん。おれ,部屋とか家とかのこと書くん好きちゃうねん。しゃあないから,弟のアリー使つことった野球のミットのこと書いてん。それやったら描写しやすかったから。ホンマ。弟のアリー,こんな左利き用のミット持っとってん。あいつ左利きやったから。なんでそれ描写しやすかったかいうたら,あいつ,ミットにしい書いとってん,指んとことかポケットのとことか全部。緑のインクで。あいつ,守備いてだれも打席はいってへんとき,それ読もおもとってん。死んでもうてんけどな。白血病なって,おれらメーン州おったとき死んでもうてん,一九四六年七月十八日。ええやつやってん。おれよりふたつ下やねんけど,おれの五十倍あたま良かったわ。めちゃくちゃ頭かってん。アリーの担任なった先生,みんないっつもおかんに手紙いてきとったわ,アリーみたいなこお教えんの楽しいとかうて。それ,お世辞ちゃうねんで。マジでそううとってん。せやけど,あいつ,うちでいっちゃん頭ええいうだけちゃうかってん。ひとも良かってん,いろんな意味で。あいつ,だれにも腹てたことなかってん。赤毛のやつてすぐ怒る言うやん,けどアリーはちゃうかってん,めちゃくちゃ赤毛やってんけど。どんな赤毛やったか教えたろか。おれ初めてゴルフやったん,まだ十歳のときやってんけど,いっぺん十二ぐらいのときの夏,ティー・ショット打ったとき,いま振りかえったらアリーおんのちゃうかて予感してん。ほんで見たら,案のじょうフェンスの外で自転車すわっとってん──コースの外ずうっとフェンスあってんけど──百五十ヤードぐらい後ろんとこ座って,おれがティー・ショット打つの見とおってん。そんな赤毛やねん。けど,ええやつやってん。みんなで晩飯うてるとき,自分で思いついたことおもろがってハハハハいうて笑いすぎて,よう椅子から落ちかけとったわ。おれまだ十三やってんけど,精神分析とか受けさせられそうなってん,ガレージの窓全部ぜんぶ割ってもうて。そら精神分析もしゃあなかった思うわ,ホンマ。アリー死んだひいの夜,おれガレージで寝て,拳骨げんこつでアホみたいに窓全部ぜんぶ割ってもうてん,なんでそんなことやったか分からんけど。その夏うたばっかりのステーション・ワゴンの窓も割ろとしてんけど,そんときもうおれのてえの骨れとったから,割られへんかってん。アホなことした言われるし,たしかにせやねんけど,やってるさいちゅう,おれ自分でそんなことしてるて意識あんまなかったし,せやしみんなアリーのこと知らんやん。いまでも雨ったりしたら,ときどきてえいたなるし,おれもうちゃんとした拳骨げんこつでけへんねん──堅い拳骨げんこつは──けど,そんなんどうでもええわ。どっちみち外科医げかいとかヴァイオリニストとかそんなアホみたいなんなるつもりないし。

とにかく,そのことストラドレーターの作文に書いてん。アリーの野球のミットのこと。おれ,そのミット,たまたまスーツケース入れて持っとったから,それ出してきてそこに書いたあるしい写してん。アリーの名前だけしゃあないから変えてんけど。だれかが,おれの弟やん,ストラドレーターの弟ちゃうやんてきいついたらあかんから。べつにそれどうしても書きたいわけちゃうかってんけど,描写できるもんて,ほかなんも思いつけへんかってん。せやし,それ書いてよかった思たわ。書くの,一時間ぐらいかかってんけど。ストラドレーターのカスみたいなタイプライター使わなあかんかったから。あれ,すぐひっかかんねん。おれ,自分のタイプライター,おんなじ階の部屋のやつに貸しとったから。

それ完成したん,十時半ぐらいやった思うわ。まだ眠たなかったから,しばらく窓の外とってん。そんときもう雪ってなかったけど,ときどき,どっかでくるま発進でけへん音こえとったわ。アクリーのいびきも聞こえとってん。シャワー・カーテン通しても,アホみたいにいびき聞こえんねん。鼻の奥わるいから,寝てるときちゃんと息でけへんねん,あいつ。なんでもそろてるやつやで。鼻の奥わるい,ニキビ,はあ汚い,口くさい,爪ぼろぼろ。ちょっと気の毒なるわ。

6

思いだされへんことかてあんねん。いま,ストラドレーター,ジェーンとデートして帰ってきたときのこと思いだそてしとってんけど。あいつのアホみたいな足音こえてきたとき,おれなにしとったかあんま覚えてへんねん。たぶん窓の外とった思うけど,ホンマ覚えてへんねん。おれアホみたいに心配やってん,それでやわ。おれ,ホンマ心配なったら,ほかのことでけへんようなんねん。心配なったら,すぐ便所きとなんねん。けど行かれへんねん。心配すぎて,動かれへんようなんねん。心配してんのれんのが嫌やねん。もしストラドレーターのこと知ってたら,だれかて心配なんで。おれ,あいつと二回ダブルデートしたことあってんけど,なんやっけ,あいつ信義則しんぎそくに反してんねん。いや,ホンマ。

とにかく,廊下ろうか全部リノリウムりやから,あいつのアホみたいな足音ちかづいてくんの聞こえんねん。あいつ部屋はいってきたとき,おれどこ座っとったかも覚えてへんわ──窓んとこか,自分の椅子か,あいつの椅子か。ホンマ思いだされへんねん。

あいつ,外どんだけ寒いねんとか文句いながら,入ってきよってん。ほんで「みんなどこ行きよってん。アホかおまえ,このへん霊安室れいあんしつみたいやんけ」言いよってん。おれ返事する気せんかったわ。土曜なんか,みんな外ってるか寝てるか土日で家かえってるかに決まってるやん。そんなんも分からんアホに教えたってもしゃあないやん。あいつ,服ぎだしよってん。ジェーンのこと,あのボケなんも言いよれへんかったわ。ひとことも。おれも,なんも言えへんかってん。ただ,あいつのことじいっとにらんだってん。これチェックの上着ありがとうな,言いよっただけや。ほんでハンガー掛けてクローゼットにしまいよってん。

ほんで,ネクタイはずしながら,作文いてくれたかあ言いよったから,出来たやつベッドに置いたあります言うてん。あいつ,ベッドんとこ行って,シャツのボタンはずしながら読みよってん。まっすぐ立って,それ読みながら,自分の裸の胸とか腹さわって,アホみたいな顔しとおってん。あいつ,いっつも胸とか腹さわっとおんねん。自分好きやねん。

ほんで急に言いよってん。「たのむで,ホールデン。これなんやねんボケ,野球のグローヴのこと書いたあるやんけ」

「それがなんですのん」おれ言うてん。めちゃめちゃ冷たい感じで。

「それがなんですのんって,どういうこっちゃ。アホ,おれ,部屋とか家とかそういうもん書いといてくれ言うたやろ」

「描写できるもんやったらなんでもええ言うてはりましたやん。なんであきませんのん,野球のグローヴやと」

「ボケ」あいつ,めちゃめちゃいらつきよってん。ほんま,すぐ怒りよんねん。「しょうもないチョカばっかりさらしやがって」おれのことにらんで「そら,おまえ落ちんのしゃあないわ」言いよってん。「おまえ,やれ言われたことアホみたいにいっこもせえへんやろ。せやろ。ホンマいっこも,アホみたいに」

「分かりました,ほな返してください」おれ言うて,あいつのてえから原稿ってアホみたいに破ったってん。

「おまえ,なんでそんなんばっかりしてんねん」

おれ,返事せんと,破った原稿ゴミ箱てて,ベッドころんでん。ふたりとも,しばらく黙っとってん。あいつ服いでパンツ一丁で,おれベッドころんで煙草ひい点けて。ホンマは寮で吸うたあかんねんけど,夜みんな寝とってにおいかぐやつおれへんかったら吸えんねん。それと,ストラドレーターいらつかせたろ思てん。あいつ,だれか規則やぶったら怒りよんねん。あいつ,寮で吸うたこといっかいもなかったわ。おれだけやったわ。

ほんでも,あいつ,ジェーンのこと,ひとことも全然いよれへんねん。しゃあないから,おれから訊いてん。「ジェーン帰んの九時半うてはったのに,アホみたいに遅かったですやん。ジェーンに門限やぶらせはったんですか」

それ訊いたとき,あいつ,自分のベッドの端っこでアホみたいに足の爪っとおってん。「二,三分な」あいつ言いよってん。「土曜の夜に九時半に帰るて,そんなアホふつうおるか」どんだけムカつくか。

「ニュー・ヨーク行ってはったんですか」おれ言うてん。

「アホ,九時半までに帰らなあかんかった言うてるやんけ。ニュー・ヨークなんかどうやって行けんねんボケ」

「きついですね」

あいつ,こっち見て「おい」言いよってん。「おまえ,部屋で吸うんやったら,便所って吸うてくれへんか。おまえもうここ出ていくかもしれんけど,おれ卒業まで長いことおらなあかんねん」

無視したったわ。マジ無視して,きちがいみたいにスパスパ吸うたってん。で,ごろんがえりして,あいつアホみたいに爪んの見とってん。えらい学校やで。いっつもだれかアホみたいに爪っとおんのとか,ニキビ潰しとおんの見てなあかんねん。

「おれがよろしゅう言うといてください言うたん,言うてくれましたか」おれ訊いてん。

「おお」

絶対うてへんわ,あのアホ。

「なんて言うてました」おれ言うてん。「まだキングいっちゃん後ろ置いてるかどうか訊いてくれました?」

「そんなん訊くわけないやろ。おまえ,おれら今晩なにしとった思てんねん。チェッカーしてたおもてんのかボケ」

おれ,なんも言えへんかったわ。どんだけムカついたか。

「ニュー・ヨーク行かはらへんかったんやったら,どこ行ってはったんですか」しばらくして,おれ訊いてん。声ふるえんのおさえんの必死やったわ。ううわあっ,どんだけ心配なっとったか。なんかわろてまうような気分やったわ。

あいつアホみたいな爪って,ベッドから立って,アホみたいなパンツ一丁でアホみたいにおちょくってきよってん。おれのベッドんとこ来て,おれにかぶさって遊びで肩グーで殴ってきよんねん。「やめてくださいよ」おれ言うてん。「どこ行ってきはったんですか,ニュー・ヨークやなかったら」

「どこも行ってへん。アホみたいにずっと車んなかおった」あいつまた,おれの肩グーで一発なぐってきよってん。

「ほんま,やめてくださいよ」おれ言うてん。「車て,だれのんですか」

「エド・バンキー」

エド・バンキーて,ペンシーのバスケ部の監督やねん。ストラドレーター,センターやから贔屓ひいきされとって,車りたいときいつでも貸してもうとってん。生徒が教職員の車りんのん,ほんまはあかんねんけど,運動部のやつらてみんなグルやねん。おれ行った学校どこも,運動部のやつらみんなグルやったわ。

ストラドレーター,まだおれの背中にシャドー・パンチしてきよってん,手に持っとった歯ブラシ,口んなか入れて。「なにしてはったんですか」おれ言うてん。「エド・バンキーの車でやったんですか」声,完全に震えとったわ。

「なんちゅうこと言うねん。石鹸で口んなかあろたろか」

「やったんですか」

守秘義務しゅひぎむや,言われへん」

その次のこと,あんま覚えてへんねん。いま覚えてるんは,おれ便所くふりしてベッドから起きあがって,あいつの歯ブラシ全力で殴ったろ思てん。あのアホののどまっぷたつにしたるつもりやってん。けど,はずしてもうてん。命中せえへんかってん。頭の横んとこに当たってもうてん。ちょっとは痛かった思うけど,おれがやったろ思てたほどちゃうかったわ。ほんまやったらもうちょっと痛かったんやろうけど,おれ右手でちゃんと拳骨にぎられへんねん。前怪我けがしたん言うたやろ。

とにかく,その次おぼえてんの,おれアホみたいに床たおれてて,あいつおれの胸んとこ乗っててん。あいつ,顔真赤まっかやったわ。両方の膝,アホみたいにおれの胸んとこ乗せとおってん。一トンぐらい重たかってん。それに,おれ,手首,両方ともつかまれとってん。そうやなかったら,おれ,あいつのこと殺しとったわ。

「おまえ,なにが問題やねん」あいつ,そればっかり言うて,アホな顔どんどんあかなったわ。

「そのカスみたいな膝どけてくださいよ」おれ言うてん。かなりでかい声しとったわ。「聞こえたんか,どけよアホ」

けど,あいつ,どきよれへんねん。おれ,手首,両方とも床おさえつけられたまま,アホ,ボケて十時間ぐらい言うとってん。なに言うたか全部は覚えてへんけど,おまえ,やろおもた女だれでもやれる思てんねやろとか,そのこおキングいっちゃん後ろに置いたままにしてるかどうかなんかどうでもええねやろとか,おまえがそういうこと気になれへんのはおまえがマジで頭わるいからじゃボケとか。あいつ,頭わるい言われんの嫌やねん。頭わるいやつて,みんな,頭わるい言われんの嫌がりよんねん。

「黙れ,ホールデン」アホみたいな赤い顔で言いよってん。「ちょう,いっかい黙れや」

「おまえ,相手の子の名前がジェーンかジーンかも分かってへん,頭わるいんじゃこら」

「ええから,いっかい黙れて。ホールデン,ええか,警告やぞ」あいつ言いよってん。なに言うんかな思てたら「黙れへんかったらな,おまえ,ホンマいてまうぞ」言いよんねん。

「くっさい膝どけろや」

「おまえ,この膝どけたったら立って黙るか」

おれ,無視したってん。

ほな,また言いよんねん。「ホールデン,おまえ,この膝どけたったら立って黙るか」

「わあった」

ほんで,あいつ立って,おれも立ってん。あいつの膝のせいで胸めちゃくちゃ痛かってん。せやから,「おまえ,くっさい,頭わるい,おかんパンパン」言うたってん。

ほんで,あいつ正味しょうみ怒りよってん。おれの顔,指して言いよってん。「おまえな,よう聞けホールデン,こっちは警告したってんねんぞ。もう最後や。おまえ,これで黙れへんかったら──」

「なんで黙んなあかんねんボケ」おれ言うてん。思いっきりでかい声で言うとったわ。「頭わるいやつ,これやから困んねん。おまえら,議論ちゅうもんがでけへんやろ。せやから,頭わるいのんバレバレやねん。おまえら知的なことは──」

ほんで,一発かましてきよって,おれまたアホみたいに床たおれとってん。一発で気絶したかどうかは覚えてへんけど,してへん思うわ。アホな映画ちゃうねんから,そう簡単に気絶なんかせえへんやろ。けど,鼻血すんごい出とってん。上たら,ストラドレーター,おれのほとんど真上っとおってん。ほんで,旅行くときのアホみたいな救急袋っとってん。「おまえ,おれ黙れ言うてんのに,なんで黙れへんねんな」言いよんねん。ちょっと焦っとったわ。おれが床たおれたとき頭蓋骨ずがいこつ陥没かんぼつかなんかしたんちゃうかおもて,こわなったんやろな。ホンマ陥没かんぼつしとったらよかったわ。「おまえのせいやからな,ええか」言いよんねん。ううわあっ,どんだけびびっとおんねん。

おれもう立つんめんどくさかったから,しばらく床ころんだまま,おまえ頭わるいんじゃボケ言うとってん。ホンマ腹っとったから,思いっきりでかい声しとったわ。

「おい,顔あろてこいや」ストラドレーター言いよってん。「聞いてるか」

おまえの頭わるい顔のほうこそあろてこいて,おれ言うてん。子どもの喧嘩けんかみたいやけど,めちゃめちゃ腹っとってん。便所ってこい,ほんで途中でシュミットの嫁はんとやってこい言うたってん。シュミットて,寮の用務員のおっさんおってん。嫁さん,六十五歳ぐらい。

おれずっと床すわっとったら,ストラドレーター,ドア閉めて廊下あるいて便所のほう行きよってん。足音で分かんねん。せやから,おれ立って,帽子どこ行ってんやろ思てアホみたいに探したら,ベッドの下はいっとんてん。おれ,それかぶって,ひさし後ろ回してん。気に入っとってん,それ。ほんで鏡んとこ行って,顔どうなってんのか見てみてん。あんなちい出てんの見たことない思うで。口とかあごとかな,パジャマとかバス・ローブまで血だらけやってん。ちょっと怖かったけど,ちょっとええなあ思たわ。ちいとか飛んでたら,なんか強なったように見えてん。おれそれまでに喧嘩けんかて二回しかしたことなかってん。二回とも負けてん。あんま強ないねん。おれ平和主義者やねん,マジで。

アクリー,この騒ぎずっと聞いとって起きてんちゃうかなあおもてん。せやからシャワー・カーテンくぐって,アクリーなにしてんのか部屋に行ってん。おれのほうから行くて,めったになかってんけど。あいつの部屋いっつもヘンなにおいすんねん,あいつ,だらしないから。

7

おれらの部屋のほうからシャワー・カーテン越しにちょっとあかり入っとったから,あいつベッド入ってんの見えてん。ぱちーんめえめてんのアホみたいにすぐ分かったわ。「アクリー」おれ言うてん。「起きてます?」

「おお」

暗かったから,床に置いたあるだれかの靴んで,頭から倒れそうなったわ。アクリー,ベッドで起きあがって,体ななめにして片手で支えとおんねん。顔にいっぱい,なんか白いもん塗っとおんねん,ニキビの薬かなんか。暗いとこで見たら,お化けみたいやで。「なにしてはりますのん」て,おれ言うてん。

「なにしてるて,どういうこっちゃ。こっちが寝よおもてたら,おまえらが騒ぎだしたんやんけ。なんの喧嘩けんかしとってん」

「電気どこですか」おれ,電気つけられへんかってん。壁中にてえわしててんけど。

「なんで電気んねん... おまえのてえのすぐ横や」

やっとスイッチ見つけて電気けたわ。アクリー,まぶしいから,てえさえぎりよってん。

「どないしてん」あいつ言いよってん。「なにあってん」ちいのこと言うとおんねん。

「ストラドレーターとアホみたいなことでちょっとあって」おれ言うて,床すわってん。あいつらの部屋,椅子なかってん。椅子どないしよってんやろ,分からんわ。「ちょっと」おれ言うてん,「カナスタしませんか」あいつカナスタ好きやねん。

「おまえ,まだちい出てるやんけ。それ,なんか塗っといたほうがええぞ」

「こんなんそのうち止まりますて。カナスタやりませんか」

「カナスタて,おまえ,いま何時か分かってんのか」

「そんなおそないですよ,まだ十一時か,十一時半ぐらいですやん」

「まだて,おまえな」アクリー言いよってん。「おい,おれ明日,朝きてミサ行かなあかんねん。せやのに,おまえらこんな真夜中にバタバタして喧嘩けんか始めやがって,ボケ──ほんで,なに喧嘩けんかしとってん」

「長い話なりますよ。そんなん,退屈してもうたら申しわけありませんやん。ぼく,アクリーさんのことおもて言うてるんです」おれ言うてん。そんな込みいったこと,アクリーに言うたことなかったわ。だいたいあいつ,ストラドレーターよりアホやもん。アクリーといっしょにおったら,ストラドレーターなんか,あのボケ天才やで。「あの」おれ言うてん,「おれ今晩イーライのベッド寝てかまいませんか。どうせ明日の夜まで帰ってけえへんでしょ」それアホみたいにはっきり分かっとってん。イーライ,毎週アホみたいにうち帰っとおったから。

「あいついつ帰るか,おれは知らんわ」アクリー言いよってん。

ううわあっ,どんだけうっとおしいか。「イーライいつ帰ってくるか知りはれへんて,どういう意味ですか。いっつも日曜の夜まで帰ってきませんやん」

「いつもはな。けど,あいつのベッドで寝てええかどうか,おれには分からんわボケ」

マジびびったわ。おれ,床すわったままてえ伸ばして,アホみたいにあいつの肩たたいてん。「アクリーちゃん,かっこええ」おれ言うてん。「そうおもてはるでしょ」

「アホ,あのな,あいつのベッドで寝てええかどうかやなんて,おれには」

「ホンマかっこええ思いますよ。紳士的やし学者みたいなとこあるし」おれ言うてん。それは,ほんまのとこもあってん。「煙草ってはりませんか。ない言うてみてください,しからずんば,おれバタン倒れて死にますから」

「ないわ,持ってへんわ,すまんの。ほんで,さっきの喧嘩けんかなんやってん」

おれ黙っとってん。ほんで,立って,窓んとこ行って外てん。急に,おれおるとこなくなったきいしてん。もう死んでもええ思うとこやったわ。

「なあ,喧嘩けんか,なんやってんな」アクリー,五十回ぐらい訊きよんねん。そのへん,たしかにおもんないやつやねん。

「アクリーさんのことですやん」

「おれのこと。なんやそれ」

「そうですよ,おれ,アホみたいにアクリーさんの肩ったんですよ。ストラドレーターさんが,アクリーさんのことカスみたいな性格してる言いはったんで,そらちゃいます言うてもうたんですよ」

アクリー,乗ってきよってん。「マジか。ホンマに。あいつ,そんなん言いよったんか」

嘘ですよ言うて,おれイーライのベッドんとこ行って,ごろん転がってん。ううわあっ,もうおれあかんおもたわ。アホみたいにひとりなったきいしてん。

「この部屋,くさいですよ」おれ言うてん。「あちこちから靴下のにおいしますよ。洗濯したことありますのん」

「気に入らんかったら,どうしたらええか考えろや」アクリー言いよってん。案外ひねったこと言うやっちゃ。「電気したらどやボケ」

けど,おれ消せへんかってん。イーライのベッドでよこなって,ジェーンのこととか考えとってん。ジェーンとストラドレーターどっかにエド・バンキーのケツでっかい車めてんの想像したら,目の焦点うてへんきちがいみたいなってもうたわ。それ想像するたび,窓から跳びだしたなってん。それ,ストラドレーター知らんかったら,分からんねん。おれ知ってたからな。ペンシーのやつらて,たいてい,女とやったとか言うとおるだけやねん,アクリーみたいに。けどストラドレーターはホンマにやっとってん。おれがホンマに知ってるこおだけでも,二人とやっとおったもん。ホンマ。

「アクリーちゃんの,おもろいはなししてくださいよ」おれ言うてん。

「電気せやボケ。おれ,朝ミサ行かなあかんねん」

アクリーいらつくの嫌やったから,おれ起きて電気しに行ってん。ほんでまたイーライのベッド寝てん。

「おまえ,どうするつもりや。イーライのベッドで寝んのか」アクリー言いよってん。おもてなしの心あるやっちゃ。

「寝よかな。やめとこかな。まあ心配せんといてください」

「心配なんかしてへんけど,ただイーライ急に帰ってきて自分のベッドだれか寝てんの見たら──」

「気にせんでかまいませんて。おれ,ここで寝ませんて。これ以上アクリーさんにアホみたいにおもてなししてもうたら,申しわけありませんわ」

二,三分したら,あいつ,きちがいみたいにいびきかいとってん。けどおれ,真っ暗んなか寝転んで,エド・バンキーのアホみたいな車ってるジェーンとストラドレーターのこと考えんようにしとってん。けど,そんなん無理やったわ。おれ,ストラドレーターのテクニック知っとったからな。せやから,余計よけ気になってん。いっかいエド・バンキーの車でおれらダブルデートしたとき,ストラドレーター女の子と後ろ座って,ほんでおれ別の子と前おってん。こいつのテクニックすごいおもたわ。おとなしい,真面目な声で嘘ばっかり言いだしよんねん。ただの顔ええだけのやつやのうて,性格ええ,真面目なやつのふりしよんねん。あいつの話いてたら,ゲエ出そうなったわ。相手の女のこお「いや,やめて,お願い,やめて」言うとおんねん。けどストラドレーター,エイブラハム・リンカーンみたいな真面目な声でずっと嘘ばっかり言うとおってんけど,急に後ろの席,静かなってん。ホンマ焦ったわ。そんとき,あいつ,やってへん思うけど,あと一歩のとこまでアホみたいに行きよってん。あと一歩やで,アホ。

おれ,なんも考えんとこおもてベッドで横なっとったら,便所からストラドレーター帰ってきて部屋はいったん聞こえてん。救急セット片付けて,窓けよってん。あいつ,すぐ風たりたがりよんねん。ほんで,しばらくして電気しよってん。おれがどこおるかとか全然にしてへんかったわ。

通りのようすとか,悲しかったわ。もう車とおる音も聞こえへんかってん。おれもうあかんいうきいなって,アクリー起こしたろおもてん。

「ちょっと,アクリー」カーテンからストラドレーターに聞こえへんように,小さい声で言うてん。

けど,アクリー起きよれへん。

「ちょっと,アクリー!」

まだ起きよれへん。石みたいに寝とおんねん。

「ちょっと,アクリー!」

やっと起きよってん。

「なんやねん,おまえ」あいつ言いよってん。「おれ寝とってんぞ」

「ちょっとだけ訊きたいんですけど。修道院はいんのんて,どうしたらええんですか」おれ,修道院でも入ろかなおもとってん。「カトリックやなかったら入れませんか」

「あたりまえやんけ,カトリックしか入れるか。ボケ,おまえ,それ訊くのに,おれ起こし──」

「分かりました,もう寝てください。どうせおれ修道院はいりませんから。おれの持ってる運やと,ヘンな修道士ばっかりおるとこ入りそうなんで。嫌なアホばっかりんとことか。せやなかったら,ただ嫌なやつばっかりんとことか」

そう言うたら,アクリー,ベッドんなかで起きあがりよってん。「あのな」あいつ言いよってん。「そら,おれのことはなに言うてもええで,けどカトリックのこと言うんやったらなボケ──」

「落ちついてくださいよ」おれ言うてん。「だれもアクリーさんの宗教のこと言うてませんやん」おれ,イーライのベッドから出て,ドアのほう行きかけてん。もうこんなアホな空気のとこでうろうろしてんのめよおもてん。けど思いなおして,アクリーのてえ握って,アホみたいにでっかい握手してん。あいつ,てえ引きよったわ。「なんやねん」あいつ言いよってん。

「なんもありませんて。こんな王子様でいてくれてありがとうございますて言いたかったんです,それだけです」おれ言うてん。すんごい真面目な声で。「アクリーちゃん,エースですわ」おれ言うてん。「分かってますか」

「口らんやつやのう。いつかだれかおまえの──」

おれもうめんどくさいから,聞かんと,ドア閉めてアホみたいに廊下てん。

みんな,寝てるか,どっか行ってるか,土日でうち帰ってるかやったから,廊下,めちゃくちゃ,めちゃくちゃ静かで悲しなったわ。リーヒーとホフマンの部屋のとおんとこにコリノスの歯磨きのからの箱ちとって,階段のほう歩きながら,おれいてた羊のけえのスリッパでそれずっと蹴っとってん。なにしようかなおもて,下ってマル・ブロサードなにしとおるか見てこうかおもてんけど,やっぱりやめよおもてん。急に決めてんけど,もうペンシー出たろおもてん──そのよるのうちに。水曜まで待ってんと。なんもすることないのに,おってもしゃあないやんおもて。悲しいし,取りのこされた気分なるし。せやから,ニュー・ヨークのホテル泊まって──どっか安いホテルな──水曜までゆっくりしてよおもてん。ほんで,のんびり休んで気分らしてから水曜にうち帰ろおもてん。おれ退学なったいうサーマーの手紙,親むん,たぶん火曜か水曜なってからやろおもてん。それ読んでもうて,なにもかも納得してもうてからやないと,うち帰る気せえへんかってん。おとん,おかんがその手紙はじめて読むとき,近くにおりたなかってん。おかん,そういうとき,めちゃくちゃ怒るから。納得したあとやったら,まあええねんけど。せやし,ちょっと休み要るおもてん。神経ずたずたやったから。ホンマ。

とにかくそうしよおもてん。せやから部屋もどって電気けて荷物まとめてん。もうだいたい詰めとってんけどな。ストラドレーター,ずっと寝とったわ。煙草けて,服て,ここにも持ってきたグラッドストーンのカバンふたつに荷物めてん。二分で終わったわ。おれ,荷物めんの早いねん。

荷物まとめてるとき,いっこちょっと悲しなったことあったわ。ホンマちょうど二日前におかん送ってきた新品のスケート入れなあかんかってん。悲しなったわ。スポールディング行って,わけ分からんこと店員に百万回いてんの,目に浮かんだわ──ほんでまたおれ退学やん。悲しなったわ。おかん,靴の種類ちごうとってんけど──おれ,スピード・スケートのやつ欲しかったのに,ホッケーのやつ送ってきよってん──それでも悲しなんねん。だれかにプレゼントもうたら,結局,悲しなんねん。

荷物めたら,カネ数えてみてん。なんぼ持ってたかはっきり覚えてないけど,けっこうあってん。一週間ほど前に,おばんが束で送ってくれとったから。うちのおばん,気前ええねん。ちょっとボケてきてて──めちゃくちゃ年とってるからな──おれの誕生日のお祝いいうて年に四回ぐらいカネ送ってくれんねん。せやけど,そんだけ持ってても,いざとなったらもっと要るかもしれんわおもてん。なにあるか分からんやん。ほんで,おんなじ階のフレデリック・ウドラフ起こしてん,そいつにタイプライター貸しとったから。タイプライターなんぼでうてくれる,ておれ訊いてん。カネ持ちやったからな。そいつ,知らん,言いよんねん。あんまり買いたない言いよってん。けど,結局うてくれよったわ。もともと九十ドルぐらいしたやつやけど,そいつ二十ドルしか出しよれへんかってん。おれ起こしたから機嫌わるかってんな。

出ていく準備できて,カバン持ったとき,しばらく階段の横って,最後にアホみたいな廊下はしから端まで見てん。泣きそうなったわ。なんでかいまも分からんけど。赤のハンティング帽かぶって,ひさし後ろ回して。それ気に入っとってん。ほんでおれのいちばんでかいアホみたいな声で言うたってん。「よう寝ろよ,このアホども!」あの階の全員こしたった思うわ。ほんで,おれ出ていってん。どっかのアホが階段じゅうにピーナッツの殻てとおったから,もうちょっとでアホみたいに首るとこやったわ。

8

もうタクシーとか呼ばれへん時間やったから,おれ駅までずっと歩いてん。あんまとおなかったけど,めちゃめちゃ寒かったし,雪で歩きにくいし,グラッドストーンずっとばんばん脚たんねん。けど,外の空気うて気持ちよかったわ。寒いんで鼻いたかったけど。あとうわくちびるの裏んとこ。ストラドレーターに殴られたとこ。あいつ,はああたるとこ殴りよったから,けっこう傷できとってん。耳は大丈夫,ぬくかったわ。うた帽子に耳あて付いてて,それしとったから──見た目なんかどうでもよかってん。どうせ,だれとも会えへんし。みんな寝とおったから。

いたら,めちゃくちゃ運かってん,十分じゅっぷん待ったら汽車たから。待ってるあいだ,おれ雪つかかんで,それで顔いてん。まだ,けっこうちい付いとったわ。

ふつうやったら,おれ汽車んの好きやねん,とくに夜とか,電気いてて窓まっくらで,通路にコーヒーとかサンドウィッチとか雑誌とか売りに来るやん。ふつうやったら,おれハム・サンドウィッチと雑誌四冊ぐらい買うねん。夜に汽車ったら,ふつうやったら,雑誌に載ってるしょうもない短編小説んでもゲエ出そうなれへんねん。分かるやろ。デヴィッドとかいう名前の,あごすっとしたパチもんのやつらいっぱい出てきて,リンダとかマーシャとかいうアホな女いっぱい出てきて,そいつらいっつもアホみたいにデヴィッドとかのパイプにひい点けとおるやつ。そんなカスみたいな短編小説でも,おれ夜に汽車っとったら読めんねん,ふつうやったら。せやけど,そんときは,そんなきいなれへんかったわ。座って,なんもせえへんかってん。ハンティング帽いでポケットに仕舞しもて,それだけ。

ほしたら急に,トレントンで,上品なおばさん乗ってきて,おれの横すわってん。かなり夜おそかったから,ホンマがらがらやってんけど,空いてる席すわらんと,おれの隣すわってん。そのおばさん,こんなでっかいカバン持ってて,おれ,いっちゃん前の席すわってたから。おばさん,そのカバン,通路のどまんなかにでーん置きよんねん。車掌とかほかの客つまずくかもしれんのに。らんの花けとったわ,でっかいパーティーかなんかの帰りやってんやろな。四十よんじゅうか,四十五よんじゅうごぐらいやった思うわ,けどすごいきれいやってん。女って,びびるわ。ホンマに。べつにおれ,そんなスケベエちゃうねんけど──まあ,けっこうスケベエやけど。おれ,女て好きやねん。女ていっつも,カバン,アホみたいに通路のまんなか置きよるやろ。

とにかく,おばさんとおれ並んで座ってたら,おばさん急に言いよってん。「ごめんなさい,あれ,ひょっとしたらペンシー高校のステッカーやないかしら」おばさん,網棚あみだなのうえの,おれのスーツケース見上げとってん。

「はい,そうです」おれ言うてん。そのとおりやってん。おれ,グラッドストーンの片方にアホみたいにペンシーのステッカー貼っとってん。めちゃくちゃパチもんやわ,認めるわ。

「まあ,ペンシー行ってはるの」おばさん言いよってん。感じええ声やったわ。電話に出たら感じええ声。アホみたいに電話ちあるいとったらよかったのに。

「はい,そうです」おれ言うてん。

「まあ,素敵! そしたら,うちの息子,アーネスト・モローご存じありませんか。ペンシーに行ってるんですよ」

「はい,知ってます。おんなじクラスです」

その息子って,いままでペンシーに入学したやつのなかで,いちばん嫌なやつやねん,あの学校の全歴史のなかで。そいついっつも,シャワー浴びて階段りるとき,しずくぼたぼた落ちてる濡れタオルでみんなのケツぱしーんしばいていきよんねん。ホンマそういうやつやねん。

「まあ,うれしいわ!」おばさん言いよってん。ほんまそうおもてるみたいやったわ。ほんまに感じよかってん。「こうやってお会いしたこと,アーネストに言うとかなあきませんね」おばさん言いよってん。「お名前,おうかがいしてよろしいですか」

「ルドルフ・シュミットです」おれ言うてん。おれ,それまでの人生,おばさんに語るきいせえへんかったから。ルドルフ・シュミットて,おれらの寮の用務員のおっさんや。

「ペンシーは気に入ってはる?」おばさん訊いてきてん。

「ペンシーですか。悪いとこやないですよ。天国とか,そういうとことはちゃいますけど,ほかのだいたいの学校とおんなじぐらいええとこです。先生のなかには,すごい良心的なひとがいてはります」

「そこがええいうて,アーネストも言うてるんです」

「そうや思います」おれ言うてん。ほんで,ウンコみたいなこと言いだしてん。「アーネストくんは,いろんなことに適応してます。ホンマに。適応のしかたがホンマよう分かってる思います」

「そんなふうに見てくれてはるんですか」おばさん言うてん。めちゃくちゃ興味ありそうな感じやったわ。

「アーネストくんでしょ。ホンマですよ」おれ言うてん。そんとき,おばさん,手袋はずしてん。ううわあっ,宝石だらけやったわ。

「爪が割れてしもうたんですよ,さっきタクシー降りるときに」おばさん言うてん。おばさん,顔げて,おれ見て,にこって笑いはってん。すごいええ顔やったわ。ホンマに。だいたいみんな笑顔なんかなれへんし,なったとしてもカスみたいなやつやん。「アーネストの父親とわたしは,心配になることがあるんです」おばさん言うてん。「あの子,人づきあいがあんまり上手じょうずやないんやないかと思うんです」

「どういうとこですか」

「うん,あの子,ちょっとしたことを気にしすぎるでしょ。せやから,いままで,学校のみなさんとホンマうまいことやっていかれへんかったんです。あの年齢としにしては,なんでもちょっと深刻に考えすぎるんやないかと思うんです」

ちょっとしたことを気にしすぎる,て。めちゃくちゃびびったわ。モローがちょっとしたこと気にする言うんやったら,トイレの便座かてそう言うたらなあかんわ。

おれ,おばさんの顔じっと見てん。おれが見るかぎり,アホな顔してへんかってん。どんだけ嫌なやつの母親か,自分でアホみたいによう分かってる顔しててん。けど,分からんもんやな,おかんて。どこのおかんも,みんなちょっとくるてんねん。けど,おれ,モローのお母さん,気に入ってん。感じよかってん。「煙草わはりますか」おれ訊いてん。

おばさん,まわり見て「ここは喫煙車やないと思いますけど,ルドルフくん」言うてん。ルドルフくんやて。めちゃくちゃびびったわ。

「かまいませんて。やいやい言われるまで吸うててええんですよ」おれ言うてん。おばさん,おれの煙草一本取って,おれがひい点けてん。

おばさん,ええ感じに煙草うねん。煙うねんけど,ぐうって吸いこめへんねん。ああいう年齢としのおばはんて,だいたいぐうって思いきり吸いこむやん。ずっと見てたなるおばさんやったわ。けっこうセックス・アピールもあったわ,マジな話。

おばさん,おれのこと見て,なんか不思議がっとってん。「かんちがいやったらごめんなさい,けど鼻のとこちい出てんのとちゃいますか」おばさん急に言うてん。

はい,てうなずいて,おれハンカチ出してん。「さっき雪合戦ゆきがっせんの玉たったんです」おれ言うてん。「すごい氷のかたまりみたいなやつが」ホンマのことおかなともおもてんけど,話ながなるやん。けど,おれ,おばさんのこと好きなってたから,ルドルフ・シュミットてったん後悔しとったわ。「アーニーくんですけど」おれ言うてん。「ペンシーでいちばん人望じんぼうあるんです。知ってはりますか」

「いいええ,そんなこと」

そうです,て,おれうなずいてん。「みんな,アーニーくんのことちゃんと分かんの,けっこう時間かかったんですよ。アーニーくん,おもしろいんですけど,ちょっと変わってるんです──いろんな意味で。分からはりますよね。ぼくも,初めてうたときはそうでした。初めてアーニーくんにうたとき,なんか気取ったひとかなあておもたんです。おもただけですよ。ホンマはちゃうかったんです。アーニーくんは,ちゃんと分かんのにちょっと時間がかかる,めちゃくちゃ独特な性格なんですよ」

モローのお母さん,なんも言えへんかったけど,ううわあっ,見てほしかったわ。汽車の席でくぎけなっとってん。だれかのおかんて,聞きたいんは結局,息子がどんだけすごいかいうことやねん。

ほんで,おれ,ホンマにウンコみたいなこと言いだしてん。「アーニーくん,選挙のこと,お母さんにはなししました?」おれ訊いてん。「クラス選挙のこと」

いいえ,て,おばさん首ってん。おばさん,おれの話にられとったわ,ホンマ。

「ぼくら,アーニーくんにクラスの委員長になってもらいたかったんですよ。全員一致で。委員長なんかできんの,ホンマ,アーニーくんしかおれへんかったんです」おれ言うてん──ううわあっ,どんだけ口から出まかせか。「けど,結局ほかのやつ,ハリー・フェンサーが委員長なったんです。そいつが選ばれた理由は,単純明白な理由やったんですけど,アーニーがぼくらに推薦させてくれへんかったからなんです。アーニーくん,めちゃくちゃ内気で謙虚けんきょやから。固辞こじしたんですよ... ううわあっ,ホンマ内気ですよ。お母さん,あれ,アーニーくんに克服させてあげたほうがええ思いますよ」おれ,おばさんの顔てん。「アーニーくん,そのはなししてませんか」

「いいええ,聞いたことありません」

おれうなずいてん。「やっぱり,アーニーらしいですわ。そら,そんなん言いませんわ。それがアーニーくんの唯一の欠点なんです──内気で謙虚けんきょなとこ。ホンマ,時々は羽根ばさせてあげなあかん思います」

そんとき,車掌がモローのお母さんの切符に来て,おれやっと出まかせ言うのめられてん。けど,あれ言うてよかった思うわ。モローみたいな,いっつもタオルでひとのケツしばいとおるやつ──マジで怪我けがさせたろおもてやっとおんねんで──あんなやつ,うっとおしいん,子どものときだけちゃうで。あんなやつ,一生うっとおしいねん。けど,あんだけ出まかせ言うたから,モローのお母さん,いまでも息子のこと,おれらにクラス委員の推薦させへんめちゃくちゃ内気で謙虚けんきょなやつやおもてる思うわ。たぶん。分からんけどな。母親って,そういうとこ鈍いやろ。

「カクテル飲みに行きませんか」おれ言うてん。おれ飲みたい気分やってん。「食堂車ったら飲めますよ。どうですか」

「まあ,お酒なんかたのまはってええんですか」おばさん,言うてん。けど,頭ごなしにあかん言う感じちゃうかったわ。魅力とかありすぎて,そんな感じせえへんねん。

「いえ,ホンマはあかんのですけど,ぼく,せえ高いから,だいたい出してもらえるんです」おれ言うてん。「せやし,めちゃくちゃ白髪えてますし」おれ,横いて,おばさんに白髪せてん。おばさん,じいっと見とったわ。「ほな行きましょか,どうしはります」おれ言うてん。いっしょに行きたかってん。

「ここは行かんほうがええと思います。けど,お誘いいただいて,どうもありがとう」おばさん言うてん。「そやし,食堂車はたぶんもう閉まってる思いますよ。こんな時間やから」そのとおりやったわ。おれ,何時か忘れとってん。

ほしたら,おばさん,おれの顔て,訊かれんのちゃうかなあおもてたこと訊いてきてん。「アーネストは手紙で,水曜に帰るいうて,水曜からクリスマス休みいうて書いてきてましたけど」おばさん言うてん。「ご家族のどなたかがご病気で急にお見舞いにかはるとかやなければええのやけれど」おばさん,ホンマにそんな心配してる感じやったわ。ただ詮索せんさくしてきただけちゃう思うわ。

「いえ,家族はみんな元気です」おれ言うてん。「ぼくなんです。ぼくが手術けなあきませんねん」

「まあ,ごめんなさい」おばさん言うてん。ホンマ気の毒そうやったわ。おれ,そんとき,そんなこと言うたん申しわけのうおもたけど,手遅れやったわ。

「そんな深刻なんとちゃうんですよ。脳に小さい腫瘍しゅようがあるんです」

「まあ」おばさん,片手げて口おさえてん。

「いえ,たぶん大丈夫なんです。外のほうの近くやから。せやし,めちゃくちゃ小さいんです。手術したら二分ぐらいで取れるみたいです」

ほんで,おれ,ポケットの時刻表して読みだしてん。嘘つくのめよおもて。おれ,いっかい嘘つきだしたら,そのきいなったら,何時間も続けられんねん。マジで。何時間も。

そのあと,おばさんとあんまりはなしせえへんかってん。おばさん,持ってた『ヴォーグ』読んでたし,おれしばらく窓の外とってん。おばさん,ニュー・アークで降りはったわ。手術が成功しますように祈ってますよ,言うてくれはってん。ずっと,ルドルフくん言うてはったわ。ほんで,夏休みにマサチューッセッツのグロスターにあるアーニーのうち遊びに来てくださいね,言いはってん。うちホンマに砂浜にってて,テニス・コートとかあんねんて。けど,おれ,夏は祖母そぼと南アメリカに行くことなってます言うて,お礼うて断ってん。ホンマめちゃくちゃやわ,うちのおばん,家の外もめったに出えへんのに。たまにアホみたいなマティネーとか見に行くだけやのに。けど,おれ,どんだけヤケんなっても,世界中のカネ全部やる言われても,あんなモローみたいなやつサナヴァビッチ・モローのとこ行けへんわ。

9

ペン・ステーション出て,まず電話ボックス入ってん。だれかに電話したかってん。カバン見張ってられるように電話ボックスの外いて中はいってんけど,ほしたら電話する相手ぜんぜん思いつけへんねん。兄貴のD.B.はハリウッドやん。妹のフィービーは九時頃るから──フィービーにかけられへんやん。起こしても文句えへんかった思うけど,電話んの,たぶんフィービーちゃうやん。出んの親やろ。せやから,それもあかんかってん。ジェーン・ギャラガーのお母さんに電話して,ジェーンいつから休みかこかなおもてんけど,なんかそんなきいせえへんかってん。せやし,電話するにはかなり時間おそかったし。ほんで,昔からしょっちゅう遊んどったサリー・ヘーズいう子に電話しよおもてん。そいつの休み,もう始まってんの知ってたから。こんな長い,パチもんの手紙おくってきて,クリスマス・イヴにクリスマス・トゥリー飾るの手伝いに来て,て書いたあってん。けど,電話んの,むこうのおばちゃんちゃうかおもてん。あのおばちゃん,うちのおかん知ってるから,おおあわてでアホみたいに脚の骨ってでも,おかんに電話して,おれがニュー・ヨークおる言うわおもてん。せやし,おれ,あそこのおばちゃんとあんま電話で喋りたなかってん。おばちゃん,まえにサリーに,おれのこと,はぐれもんや言いよってん。おれのこと,はぐれもんで,人生の方向さだまってへん,て。せやから,ウートン高校ってたとき先輩やったカール・ルースいうやつに電話しょうかおもてんけど,おれ,そいつのことあんま好きちゃうかってん。せやから,結局だれにも電話せえへんかってん。二十分ぐらい電話ボックスおって,ほんで外てカバン持って,タクシー停まってるトンネルんとこまで歩いてってタクシー乗ってん。

おれ,うっかりしとったから,アホみたいに運転手にうちの住所うてもうてん,いつものくせで──二,三日ホテル泊まって休み始まるまでうち帰れへんつもりやったん完全に忘れとってん。公園ザ・パークの途中まで行って,おれ,やっときいついてん。ほんで言うてん,「すんません,Uターンできるとこあったら曲がってもらえませんか。住所間違まちごうてたんで。ダウンタウン戻ってください」

運転手,ある意味かしこいやつやったわ。「ここはUターンでけへんねん,お兄さん。ここらは一方通行やさかい。このままずっと九十丁目まで行かんならんわ」

おれ,言いあいとかしとなかってん。「ほなそうして」言うてん。ほんで,ふとおもてん。「なあ,運転手さん」おれ言うてん。「セントラル・パーク・サウスのすぐ近くの池に,鴨いっぱいいてますやん。あのちっこい池。あの鴨て,池こおったらどこ行くんか知りません? ひょっとして,なんか知ってます?」百万分の一の確率しかないて分かってたけどな。

運転手,振りかえって,きちがい乗ってきよったみたいなめえで,おれ見よってん。「なに言いたいの,兄さん」運転手,言いよってん。「わしのこと,おちょくってまんのん?」

「いや,ちょっと知りたかっただけですやん,それだけですやん」

運転手,もうなんも言えへんかったから,おれも黙っとってん。ほんで九十丁目で公園ザ・パーク出てん。ほしたら,運転手,言いよってん。「ほた,兄さん,それでどこ行きまんのん」

「えーと,イースト・サイドのホテルは泊まりたないねんな,だれか知りあいに会うかもしれんから。おれここおれへんことなってんねん,いまお忍びの旅やねん」おれ言うてん。「お忍びの旅」とかパチもんみたいなこと言うの嫌やねんけど,パチもんといっしょにおったら,おれもいっつもパチもんなってまうねん。「タフトかニュー・ヨーカーに今夜だれのバンド出てるか知りません?」

「知らんわ」

「うーん,ほしたらエドモント行って」おれ言うてん。「途中でどっか寄ってカクテル付きおうてもらえませんか。おれのおごりで。カネはあるんで」

「そらあきませんわ,兄さん,すんまへんな」いっしょにおってホンマ楽しいやつやったわ。すごい性格や。

エドモント・ホテル着いて,チェック・インしてん。おれ,タクシーんなかで赤いハンティング帽かぶっとってん,たいした意味なしに。けどチェック・インする前にそれ脱いでん。ヘンなやつや思われたらあかんおもて。ホンマ皮肉やわ。おれ,そんとき,あのボケのホテル,変態とかアホばっかりやて,まだ知らんかってん。ヘンなやつだらけやってん。

しょぼい部屋やったわ。窓から見えんの,ホテルの反対側だけで。まあ,どうでもよかってん。悲しすぎて,景色なんか気になれへんかったから。部屋まで案内してくれたベルボーイ,六十五ぐらいのおじんやってん。そのおじん,部屋より悲しかったわ。髪の毛全部,こっちからくしで伸ばしてハゲ隠しとおるおじんやってん。おれやったら,あんなんせんと,ハゲのままでええわ。せやけど,六十五ぐらいなって,うらやましい仕事やで。ひとのスーツケース運んで,ティップもらうの待って。おじん,あんまり頭さそうちゃうかったけど,ぞっとしたわ。

おじん出てったあと,おれ,しばらく窓の外とってん,コートとか着たまま。なんもすることなかったし。ほしたら,あんなんびっくりすんで,ホテルの反対側のやつらやっとおったこと見たら。あいつら,シェードぐらい下げとけや。白髪のおっさん,それもけっこうひん良さそうなおっさん,パンツ一丁で,おれが言うても信じてもらわれへんようなことしてんの見えてん。まずスーツケース,ベッド置いて,女もんの服して着よんねん。マジで女もんの服──きぬのストッキングとかハイヒールとかブラジャーとかひも付いたコルセットとか。ほんで,おっさん,めちゃくちゃ細身ほそみの黒いイヴニング・ドレス着よってん。ホンマに。ほんで,部屋んなか,あっち行ったりこっち来たりしよんねん,女みたいに一歩一歩ちょっとずつ。ほんで煙草うて鏡よんねん。ひとりでやで。トイレにだれかおったかもしれんけど──そこまでは見えへんかったから。ほんで,そのおっさんのだいたい真上の窓で,男と女が口から水いて,おたがいにかけおうとおってん。たぶん水やのうてハイボールやったかもしれんけど。グラスになに入ってるかまでは分からんかったわ。とにかく,まず男がグラス一息でけて,それ女の体中に吹きかけて,こんどは女がおんなじこと男にしよんねん──何回も順番にやりよんねん,かなんで。あれ見てほしかったわ。そいつら,それが世界中でいっちゃんおもろいことみたいに,ずっと発作ほっさ起こしたみたいに興奮しとおってん。嘘ちゃうで,あのホテル,変態だらけのカスみたいなとこやってん。たぶんあのホテル中で正常やったん,おれだけやわ──言いすぎちゃうで。もうちょっとでアホみたいにストラドレーターに電報打って,朝一の汽車でニュー・ヨーク来い,言うとこやったわ。あいつやったら,あのホテルの王様なれたのに。

問題は,そういうクズみたいなやつらて,見だしたらずっと見てまうことやねん,そんなつもりのうても。たとえば,顔中に水きかけられてる女,けっこうかわいかってん。問題は,おれやねん。おれの頭んなか,だれも見たことないぐらい,めちゃくちゃセックスのことばっかりやねん。おれかて,できるもんやったらやってみたいクズみたいなこと考えることあんねん。ああいうクズみたいなこと,二人とも酔うてたらめちゃくちゃおもろいやろて分かんねん,女とおたがいの顔に水とか吹きあうのん。けど,おれ,そんなこと考えんの嫌やねん。よう考えたら,ひどいやん。その女のことホンマは好きちゃうんやったら,その子とそんなんしたらあかん思うし,ホンマにその子のこと好きやったら,ほしたらその子の顔も好きやねんから,その子の顔きやったら,顔中に水きかけるとかカスみたいなことやろて思わんやろ。そんなカスみたいなことがけっこうおもろいこともあるいうんが,ホンマかなんわ。カスみたいなことあんませんとこおもてても,ホンマに好きなもんはグチャグチャにせんとこおもてても,女のほうが台無しにしてまうことあんねん。二,三年前,おれよりカスの女おったわ。ううわあっ,そいつどんだけカスやったか。けど,しばらくは,おれらカスみたいにしてて,おもろかってん。セックスてどうなってんのか,おれよう分からんわ。おれの立ち位置が分からんねん。おれ,セックスのルール,自分で決めてんねんけど,すぐ破ってまうねん。去年,ケツからぶりぶりて出したろおもた女と,もう付きあうのめよて決めてんけど,それ決めたおんなじ週に破ってもうたわ──おんなじ週ちゃう,それ決めた夜のうちにやわ,ホンマ。ほんでアン・ルイーズ・シャーマンいうすんごいパチもんの女と一晩中ペッティングしてん。セックスって,よう分からんわ。ホンマ分からんねん。

おれ,そこ立ってて,いまジェーンに電話したらどうなんねやろて考えてん──おばさんに電話していつ家かえってくるか訊くんやのうて,ジェーン行ってるB.M.に長距離電話かけたらどうなんねやろ,て。生徒に夜おそう電話したらあかんねんけど,どうなるか想像してみてん。電話たひとに,ジェーンの叔父ですけどて,おれ言うねん。ジェーンの叔母が交通事故で死んだんで,ジェーンにいますぐはなししたいんです言うねん。もしやってみたら,うまいこといった思うわ。けど,そんな気分ちゃうかってん。そんな気分ちゃうかったら,そんなことちゃんとでけへんやろ。

しばらくして,おれ椅子すわって煙草二本ほど吸うてん。かなりスケベエな気分なってたわ。認めるわ。ほんで急に思いだして,財布して,夏にパーティーでうたやつ,プリンストン行ってるやつくれた住所さがしてん。やっと見つけたら,財布んなかでヘンな色なっとったけど,なんとか読めたわ。だれにでもやらしてくれるわけちゃうけど,時々やったらかめへんいう女の住所やってん。そいつ,その女プリンストンのダンス・パーティー連れてったら,追いだされかけた言うとったわ。バーレスクでストリッパーかなんかやっててんて。とにかく,おれ電話んとこ行って,電話してん。名前はフェース・キャヴェンディッシュ,ブロードウェー六十五丁目のスタンフォード・アームズ・ホテルいうとこ住んどってん。ボロいとこやろ,どうせ。

しばらく留守かなんかかなおもてん。だれも出えへんかったから。そしたら,やっとだれか出てん。

「もしもし」おれ言うてん。年齢としとかばれんように,めちゃくちゃ低い声で。おれ,もともと声ひくいねんけど。

「もしもし」その女の声こえてん。愛想あいそのかけらもなかったわ。

「フェース・キャヴェンディッシュさんですか」

「だれ」そいつ言うてん。「こんな時間にきいくるてんで,あんた」

おれ,ちょっとこわなってん。「まあ時間がかなり遅いのは分かってるんですけど」おれ,めちゃくちゃ大人っぽい声で言うてん。「まことに恐縮きょうしゅくですけど,ぜひいちどお目にかかりたいんです」めちゃめちゃ丁寧ていねいに言うてん。ホンマに。

「あんた,だれやねん」

「ええ,わたしのことはご存じないと思いますけど,エディー・バーゼルの友人です。バーゼルから聞きました。ニュー・ヨーク行くことあったらキャヴェンディッシュさんとカクテル飲みに行ったらええで,て」

「だれやて。だれの友だち」ううわあっ,電話のむこうに虎おるみたいやったわ。アホみたいにえる寸前の虎やったわ。

「エドマンド・バーゼル。エディー・バーゼルです」おれ言うてん。そいつの名前,エドマンドかエドワードか覚えてなかってんけど。アホみたいなパーティーで一回うただけやから。

「そんな名前のひと知らんわ。あんた,こんな時間にうちのことたたきおこしといて──」

「ほら,エディー・バーゼルですやん。ほら,プリンストンの」おれ言うてん。

その女,必死で名前おもいだそてしてるみたいやったわ。

「バーゼル,バーゼル... プリンストン... プリンストン大学か?」

「そうです」おれ言うてん。

「あんた,プリンストン大学なん?」

「まあ,だいたい」

「そらまた... エディーは元気にしてる?」その女,言いよってん。「けど,ひとに電話かけるんにはヘンな時間やで。ホンマ」

「元気にしてますよ。キャヴェンディッシュさんによろしゅう言うてました」

「あ,そう,ありがとう。うちからも,よろしゅう言うといて」その女,言いよってん。「気持ちのええひとや。あのひと,いまなにしてんのん?」その女,急にめちゃめちゃ親しげに言いよんねん。

「まあ,ご存じのとおり,あいかわらずです」おれ言うてん。そいついまなにやってるて,なんでおれ知ってんねん。そいつ自体のこともほとんど知らんのに。まだプリンストンおんのかどうかも知らんちゅうねん。「ところで」おれ言うてん。「どっかでお会いしてカクテル飲みに行くとか,どうですか」

「もしかして,いま何時か分かってはりますか」その女,言いよってん。「それより,お名前なんていわはりますの」急に言葉ちゃんとしよってん。「お声から察するに,お若いかたですか」

おれ,わろてん。「若いやなんて,お世辞がお上手じょうずですな」おれ言うてん──めちゃめちゃ丁寧ていねいに。「ホールデン・コールフィールドと申します」偽名ぎめい使つこてもよかってんけど,思いつけへんかってん。

「あんな,コーフルさん,うち,よるけてからひとに会う約束してませんねん。仕事あんねんから」

「明日,日曜ですやん」おれ言うてん。

「とにかく,美容のために寝なあきませんねん。それ分からはるでしょ」

「カクテル一杯ぐらい飲めるかおもたんですよ。まだそんな夜おそないし」

「まあ,あんたはええひとやわ」その女,言うてん。「どっから電話してはんのん。いま,どこにいてはんの」

「おれ? いま電話ボックス」

「ああ,そう」その女,言うてん。ほんで,しばらく黙っとってん。「またいつかかならずお会いしましょ,コーフルさん。声いてたら会いたなったわ。すごい会いたなる声してはるわ。けど,今日はもう遅い」

「なんなら,そっちまで行きましょか」

「まあ,いつもやったら,すぐ来て言うんやけど。いつもやったら,うち来てもろてカクテルでもお出ししたいとこやねんけど,いまルームメートが病気ですねん。今夜ずっと横になってたのに寝られんと,さっきようやく眠りについたとこですわ。そういうことなんです」

「それはお大事に」

「どこ泊まってはんの。明日やったらカクテル飲みに行けるかもしれませんわ」

「明日はあかんねん」おれ言うてん。「今夜しかあかんかってん」おれアホやったわ。そんなん言わんといたらよかったわ。

「ああ,そらホンマごめんなさい」

「ほなエディーによろしゅう言うとくわ」

「よろしゅう。ニュー・ヨーク楽しんでください。ええとこやから」

「知ってる。ありがとう。おやすみ」おれ言うてん。ほんで電話ってん。

ううわあっ,ホンマ失敗やったわ。カクテルぐらい約束しといたらよかったわ。

10

まだけっこう時間はやかってん。何時やったかはっきり分からんけど,遅すぎいうことなかったわ。おれ,眠たないのにベッド入んの嫌やねん。せやから,スーツケース開けて,きれいなシャツ出して,バスルームで顔あろて着替えてん。なにするつもりて,下の階って,ラヴェンダー・ルームでなにやってるか見に行こおもて。ホテルに,ラヴェンダー・ルームいうナイト・クラブあってん。

けど,シャツ着替えてるとき,もうちょっとでアホみたいに妹のフィービーに電話しそうなったわ。電話ではなししたかってん。だれかまともな人間と。けど,結局せえへんかってん。妹まだ小さいから起きてへんかったやろし,電話の近くおるかどうか分からんかったし。もし親たら電話ろかなおもてんけど,たぶんそれもあかんねん。おれてばれてまうねん。おかん,いっつもおれやて分かんねん。超能力者やで。けど,フィービーとしばらくしょうもないはなししたかったわ。

いっかいフィービーにうてほしいわ。あんな,かわいい,かしこいこお,人生で見たことない思うで。ホンマ,かしこいねん。学校かようようなってから,全部Aやねん。実際,うちの一家で頭わるいの,おれだけやねん。兄貴のD.B.作家とかやってるし,前にはなしした,死んだ弟のアリー天才やってん。ホンマおれだけ頭わるいねん。けど,フィービーにうたらええ思うわ。こんな感じの赤毛やねん,ちょっとアリーみたいな。ほんで夏は髪めちゃくちゃ短いねん。夏は,髪の毛,両耳の後ろでくくってんねん。耳,小さいし,かわいいねん。けど,冬はけっこう長いねん。おかんが,編んだりほどいたりしよんねん。けど,ホンマ感じええねん。まだ十歳やねんけど。けっこうガリガリやねんけど,おれみたいに。けどええ感じのガリガリやねん。ローラー・スケート似合う感じの。おれ,いっかい,フィービー五番街わたって公園ザ・パーク行くん窓から見てたことあんねんけど,それやねん,ローラー・スケート似合うガリガリやねん。もしうたら好きなる思うわ。フィービー,なに言うても,なんの話かちゃんと分かってんねん。どこ連れてってもええねん。たとえば,カスみたいな映画れてったら,フィービー,それカスみたいな映画て分かんねん。けっこうええ映画れてったら,けっこうええ映画て分かんねん。D.B.とおれ,『パン屋の妻』いうフランス映画れてったことあんねんけど,レミュの出てるやつ,あれ,フィービー,びびっとったわ。けど,フィービーいっちゃん好きなん,『三十九夜』やねん,ロバート・ドーナット出てるやつ。フィービー,そのアホみたいな映画,暗記しとんねん,おれ十回ぐらい連れてったから。たとえば,ドーナット,警察から逃げてスコットランドの農家辿たどりついたとき,フィービー言いよんねん──スコットランドのおっさん言うんと同時に──「そのニシン食えっか」て。フィービー,台詞せりふ全部おぼえとおんねん。ほんで映画の教授,ホンマはドイツのスパイやねんけど,まんなかの関節んとこちょっと無くなった小指ててロバート・ドーナットに見せるとき,フィービーそれ先にやりよんねん──暗いなか,おれの顔のまえに小指ててきよんねん。それ上手いねん。好きなる思うわ。問題は,ときどき愛情がありすぎるとこやな。気持ちあふれてきたらおさえられへんようなんねん,子どもにしては。あと,いっつも本いてんねん。ぜんぜん完成せえへんねんけど。その本みんなヘーゼル・ウェザーフィールドいうこおの話やねん──フィービー「ヘーズル」て書いてんねんけど。ヘーズル・ウェザーフィールドて少女探偵やねん。たぶん孤児みなしごやねんけど,いっつも子分みたいな男てくんねん。その男て,いっつも「二十歳ぐらいの,背の高い魅力的な紳士」やねん。めちゃくちゃびびるわ。フィービー,ホンマ,うたら好きなんで。めちゃくちゃ小さいときから頭かってん。めちゃくちゃ小さかったとき,おれとアリーでフィービーよう公園ザ・パーク連れてってん,日曜とか。アリーこんなヨット持っとって日曜によう遊んどったから,いっしょにフィービーよう連れてってん。よう白い手袋しとったわ。ほんで,おれらのあいだ立って歩きよんねん,レディーみたいに。ほんで,アリーとおれ,なんかはなししてたら,フィービーじっとそれ聞いとおんねん。おんの忘れてまうこともあったわ,小さい子どもやったから。せやけど,わたしいてるで言うてきよんねん。いっつも話はいってきよんねん。アリーかおれつついて,「だれが。だれがそう言うたん。ボビー,それか女のひと?」とか言うてきよんねん。だれ言うた言うたったら,「分かった」言うて,また話ずっと聞いとおんねん。アリーもびびってたわ。アリーも,フィービーのこと好きやってん。もういま十歳やから,そんな小さい子どもちゃうけど,せやけど,いまでもみんなびびるわ──まともな人間やったら,みんな。

とにかく,フィービーていつでも電話したなるやつやねん。けど,おや電話て,おれニュー・ヨークおってペンシー退学なったとかばれんの嫌やってん。せやからおれ,シャツ着てん。ほんで仕度したくして,エレヴェーター乗って,ロビーのようす見に行ってん。

ポン引きみたいなやつら二,三人,売春婦っぽい金髪二,三人おったけど,それ以外ロビーだれもおれへんかってん。けど,ラヴェンダー・ルームでバンド演奏してんの聞こえたから,おれ入ってってん。あんまり混んでへんかったのに,カスみたいなせき案内しよんねん──ずっと後ろのほうの。ヘッド・ウェーターの鼻のしたで一ドルひらひらさせたらよかったわ。ううわあっ,ニュー・ヨークはホンマ,カネがもの言うねん──嘘ちゃうで。

バンド腐っとったわ。バディー・シンガーのバンドやってん。めちゃくちゃ金管ってたけど,ええ金管ちゃうねん──パチもんやったわ。せやし,そこ,おれぐらいの年齢としのやつ,ほとんどおれへんかってん。だれもおれへんかってん,ホンマ。ほとんど年寄りで,贅沢ぜいたくしてんの見せびらかしたがってるやつらで,女れてきとおんねん。おれのすぐ隣のテーブルはちゃうかってんけど。おれのすぐ隣のテーブル,三十ぐらいの女三人すわっとってん。三人ともすごいブスで,見ただけでホンマ,ニュー・ヨークの人間ちゃうて分かる帽子かぶっとってんけど,そのうちひとりだけ,金髪の女そんなわるなかってん。ちょっときれいやってん,その金髪。ほんでちょっと目線おくっとったら,ウェーター注文りに来てん。スコッチのソーダ割り,かきまぜんと──めちゃめちゃ早口で言うてん。そこで口ごもったら,二十一歳未満て思われて酒してもらわれへんやん。けど,結局うまいこといけへんかったわ。「恐れいります」ウェーター言いよってん。「お客様のお年齢としが分かるもの,なにかお持ちやございませんでしょうか。運転免許証などございましたら結構でございますが」

おれ,ウェーターのこと,めちゃくちゃ冷たい目でにらんだってん。おれのこと侮辱ぶじょくしよったな,みたいな顔で。ほんで言うてん。「わたしが二十一歳未満に見えますか」

「申しわけございませんが,私ども──」

「分かった分かった」おれ言うてん。そのあとの話,想像ついたから。「ほなコーラ持ってきて」ウェーター行きかけよったから,おれ後ろから言うてん。「それラムかなんか入れてくれへんかなあ」感じええように頼んでんで。「こんなとこで素面しらふで座ってられんわ。ラムかなんか入れてくれへん?」

「申しわけございません...」ウェーター,それだけ言うて行ってまいよってん。おれもう呼びとめへんかってん。あいつら,未成年に酒したらクビなるからな。おれアホみたいに未成年やから。

おれ,ほんでまた,隣のテーブルの三魔女に目で合図あいずしてん。金髪ねろとってんけど,ほかのふたりにも目くばせしてん。えとったからや思うわ。けど,露骨ろこつにやったんちゃうで。三人みんなのことこうやって静かに見てただけやねん。ほしたら,そいつら三人とも,おれが見てんの見てアホみたいにクスクス笑いよんねん。おれ若いから,ひとりずつに目線おくってんの,おもろい思いよってんやろな。おれ,どないしょおもたわ──なんか,おれがそいつらに結婚してください言うたんちゃうかとか思われるやん。クスクスわろとおるから,おれ,ギーにらみつけたろかおもけど,おれそんときホンマ踊りたかってん。おれダンス好きやねん。時々踊りたなんねん。そんときがそうやってん。せやからおれ,さっと前りだして言うてん。「どなたか踊りませんか」下品に言うてへんで,実際めちゃくちゃ丁寧ていねいに言うてん。けどムカつくわ,そいつら,うけとおんねん。ほんでまたクスクス笑いよってん。マジで。あいつら三人ともホンマ,アホやってん。「なあ」おれ言うてん。「ひとりずつ踊ろうや。どう,ええやろ,なあ」おれホンマ踊りたかってん。

とうとう金髪おどるつもりなって立ちよってん。おれホンマに話しかけとったん,そいつやったからや思うわ。ほんで,ふたりでダンス・フロア行ってん。あとのふたりの女,おれらダンス・フロア行ったとき,発作ほっさ起こしたみたいにわろとったわ。あんなやつらのひとりでも相手したったん,おれたしかにめちゃくちゃ飢えてた思うわ。

けど,あえてそうしてよかったわ。その金髪,踊れてん。それまでいっしょに踊ったなかで,いっちゃん上手いほうやってん。マジで。めちゃくちゃアホな女でも,ダンス・フロア出たらホンマすごいやつおんねん。ホンマに頭ええこお連れてったら,ダンス・フロアで半分ぐらい男のことリードしよて思いよんねん。それかカスみたいに下手くそでテーブルでいっしょに酒んでるほうがええわ,いうことなんねん。

「ホンマ,ダンス上手いですね」おれ,金髪に言うてん。「プロなったらええのに。ホンマに。おれいっかいプロと踊ったことあるけど,その二倍上手いわ。マーコとミランダって聞いたことある?」

「なに?」女,言うてん。おれの言うこと聞いてへんねん。ずっと,まわり見とおんねん。

「マーコとミランダて,名前いたことありますか」

「知らん。聞いたことない。知らん」

「ダンサーやねん。ミランダいうダンサーおんねんけど,そんなすごないねん。そらやるべきことは全部やるけど,とにかくそんなすごないねん。女がホンマすごいダンス上手いて分かんの,どんなときか知ってる?」

「なに,言いよるん」女,言いよってん。やっぱり,おれの言うこと聞いてへんねん。気持ちあちこちてもうてんねん。

「女がホンマすごいダンス上手いて分かんの,どんなときか知ってますか」

「はあ」

「あんな──男が女の背中にこうやっててえ置くやろ,ほんでそのてえのしたになんもないおもたら──ケツも脚も足の裏もないおもたら──そのこおホンマ,ダンス上手いねん」

けど,その女,おれの話いてへんねん。せやから,しばらく無視したってん。踊ってただけ。けど,そのアホ女,どんだけ踊りよったか。バディー・シンガーとくっさいバンドが「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」やっとったけど,さすがに,あいつらが寄ってたかっても,あれええ曲やったわ。気持ち高まんねん。踊ってるとき,おれあんま目立つことせえへんねん──ダンス・フロアで,ほら見たかみたいな踊りいっぱいするやつ,おれ嫌いやねん──けど,おれ,その女くるくる回したってん。ほしたら,付いてきよんねん。女も踊りに集中してんのかおもてたら,急にめちゃくちゃもっさいこと言いよってん。「うちとあの子ら,昨日の夜,ピーター・ローレ見たんよ」女,言いよってん。「映画俳優の。ひとりじゃった。新聞いよったんじゃ。かっこええのう」

「そら運かったな」おれ言うてん。「ホンマ運ええわ。分かってる?」女,ホンマ,アホやってん。けど,踊り上手いねん。せやから,おれ,そいつのでこのてっぺんにキスとかすんの我慢でけへんかってん──分かるやろ──そこ。ほしたら,女,機嫌わるなりよってん。

「ちょっと,なにしよるんね」

「なんもしてへんやん。分からん。ホンマ踊り上手いなあ」おれ言うてん。「おれ,いま四年生の妹おんねん。その妹とおんなじぐらい上手いわ。妹,いま生きてる人間も死んだ人間も全員ふくめて,そんなかでいっちゃん踊り上手いねん」

「そげんものの言いかたせんほうがええ思うよ,失礼じゃけど」

ううわあっ,なんちゅうレディーや。女王様気取りやで,ムカつくわ。

「どっから来たん」おれ訊いてん。

けど,女,答えよれへんねん。ピーター・ローレえへんかどうか探すのん忙しかったんや思うわ。

「どっから来たん」おれ,また訊いてん。

「なに?」女,言いよってん。

「どっから来たん。言いたなかったら言わんでええで。無理してまで教えてほしいわけちゃうから」

「ワシントン州シアトル」女,言いよってん。好意ふりしぼってくれよったわ。

「こうやって会話してんの楽しいわ」おれ言うてん。「分かってる?」

「なに?」

おれ,もうっといてん。どっちにしても,女,返事でけへんやろ。「こんど曲はやなったら,ジルバやってめえへん? パチもんのジルバやのうて,ジャンプとかせんと──ええ感じに,気楽に。曲はやなったら,みんな席いて,のこんのん年寄りとデブだけやから,かなり場所くねん。かめへん?」

「みやすいわ」女,言いよってん。「ねえ,ところで,あんた,いくつね」

こら困ったわ。「うわ,ばれてもた」おれ言うてん。「そら,おれは十二歳や。年齢としにしてはでかいねん」

「さっきも言うたじゃろ。そげん言いかた,うち好かん」女,言いよってん。「そげんことばっか言いよるんじゃったら,うち,あの子らと座っとるけん」

おれ,きちがいみたいに女にあやまってん。早い曲はじまったから,女,ジルバ踊りよってん,おれといっしょに。すごいええ感じやったわ,りきまんと。パチもんちゃうかったわ。ホンマ上手かったわ。おれ,触ってるだけやったもん。そいつ,くるっと回ったら,ケツくいっとしよんねん。やられたわ。ホンマ,席もどるごろ,おれもう半分ホレとったわ。女てそうやねん。なんかかわいいことしたら,見た目たいしたことのうても,アホみたいなやつでも,半分ホレてまうねん。ほしたら,自分の立ち位置からんようなんねん。女てムカつくわ,ホンマ,頭おかしなんで。ホンマ。

その女,おれのこと,自分らのテーブル来てて誘いよれへんかってん──たぶんいちばんの理由は,それが礼儀やて知らんかったからや思うわ──けど,おれ,そっちのテーブル座ったってん。おれ踊った女,バーニスなんとか──クラブズかクレブズか。あとのブスふたりは,マーティーとラヴァーン。おれ,ジム・スティールいいます言うてん。たいした意味なしに。ほんで,ちょっと頭ええ会話でもしよかなおもてんけど,たいがい無理やったわ。そいつら喋らそおもたら,腕じあげなあかんねんもん。三人のうち,だれがいっちゃんアホやったかも分からんわ。三人ともずっとそこら中アホみたいにきょろきょろ見とおんねん。いつアホみたいに映画スターの一行るかわからん,みたいに。そいつら,映画スター,ニュー・ヨークおるとき,いっつもラヴェンダー・ルームとか来るおもとおんねん,ストーク・クラブとかエル・モロッコやのうて。とにかく,そいつらシアトルでなんの仕事してんのか訊くだけで三十分ぐらいかかってん。三人とも,いっしょの保険会社で働いててん。仕事好き,とか訊いてんけど,あいつらアホやから頭ええ返事とかでけへんねん。おれ,ブスのふたり,マーティーとラヴァーンて姉妹きょうだいちゃうかなおもてんけど,それ訊いたら,ふたりとも怒っとったわ。どっちも相手に似てるて思われたなかってんやろし,それはどっちもわるないわ。けど,おもろかったわ,あれ。

おれ,三人と踊ってん──その三人全員と──ひとり一回ずつ。ブスのうちラヴァーンのほうは踊りあんま下手ちゃうかったけど,もうひとりのマーティー壊滅的かいめつてきやってん。ダンス・フロアでおれ,自由の女神きずってるんちゃうかおもたもん。その女きずりまわしてるとき,おもろいことないかなおもて,いまゲーリー・クーパーおったで,映画スターの,フロアの向こうに,言うてみてん。

「どこね」女,言いよってん。めちゃくちゃ興奮しとったわ。「どこね」

「ああ,いま行ってもた。ちょうどいま出てったわ。おれ言うたとき,すぐ見たらよかったのに」

その女,踊りそっちのけで,みんなの頭越しにゲーリー・クーパー見えへんか探しだしよってん。「うわ,もう殺して」女,言いよってん。悲痛にさせてもてん──ホンマに。おちょくってめちゃめちゃ悪かったおもたわ。おちょくられて当然でも,おちょくったらあかんやつておんねん。

けど,そのあと,めちゃくちゃおもろかってん。テーブル戻ったとき,マーティー,あとのふたりに,いまゲーリー・クーパー出ていった言いよってん。ううわあっ,ラヴァーンとバーニス,それ聞いてもうちょっとで自殺するとこやったわ。ふたりともうわずって,ゲーリー・クーパー見たんねてマーティーに訊きよってん。ほしたらマーティー,ちょっとだけ見えた言いよってん。めちゃくちゃびびったわ。

バーそろそろ閉める準備しだしたんで,店まるまえに,おれ,そいつらにひとり二杯ずつ酒たのんで,自分のぶんコーラ二杯注文してん。テーブル,アホみたいにグラスだらけでごじゃごじゃやったわ。ブスのラヴァーン,おれコーラしか飲んでないのん,ずっとわろとおんねん。驚くべきユーモアの持ちぬしやわ。そいつとマーティー,トム・コリンズ飲んどおんねんで──十二月のさなかに。アホかいうねん。それよりええ酒らんねん。金髪のバーニス,バーボンの水割り飲んどったけど,ホンマごくごく飲んどったわ。そいつら,ずっと映画スター探しとおんねん。ほとんど喋りよれへんねん──その三人のあいだでも。そんなかでマーティーがいっちゃん喋ったかな。めちゃくちゃおもんないことばっかり言うとったわ。ケツのこと「女の子の部屋」言うたり,バディー・シンガーのバンドのたよんないよれよれのクラリネット奏者,立ちあがって二回ほどくっさい即興しよったとき,その女,ホンマにすごいおもたみたいやねん。その女,クラリネットのこと「リコリス・スティック」言うとったわ。どんだけパチもんやねん。もうひとりのブスのラヴァーン,自分のこと,おもろいこと言えるおもとったわ。ずっとおれに,お父さんに電話して,いまなにしてるか訊いて,言うてきよんねん。お父さん,だれかと付きあいよるんね,とか。四回もおんなじこと言いよんねん──めちゃくちゃおもろいわ。金髪のバーニス,あんまなんも言えへんかったわ。おれがなに訊いても,「なに?」言いよんねん。そんなん続いたらムカつくで。

そいつら,飲むだけ飲んだら,急に立ちあがって,もう寝なあかん言いよってん。アホみたいにレーディオ・シティー・ミュージック・ホールで昼のショー見るから,よ起きなあかん,て。もうちょっとおってえや言うてみてんけど,あかんかってん。せやから,ほなな,言うて,いつかシアトル会いに行くわ,もし行くことあったら,言うてんけど,それはないやろな。シアトル行っても,会いには行けへんわ。

煙草とか全部あわせて,勘定かんじょう十三ドルぐらいやってん。あいつら,せめて,おれ来るまでに自分らで飲んでた分だけでも払います言わなあかんやろ──そら当然,おれ払います言うねんけど,あいつら,払いますて言うだけは言わなあかんやろ。けど,そんなんもう気になれへんかったわ。あいつら,もの知らんねん。ほんで,あんな悲しい,どこでも流行はやってない帽子とかかぶっとおんねん。せやし,レーディオ・シティー・ミュージック・ホールの昼のショー見るからよ起きるとか聞いて,悲しなったわ。もしだれか,ヘンな帽子かぶった女が,たとえば──ワシントン州シアトルから,くそムカつくわ──はるばるニュー・ヨークまで来て,結局レーディオ・シティー・ミュージック・ホールの朝一のショー見るのによ起きるとかしたら,そんなんおれ,すごい悲しいし耐えられへんわ。そんな話聞けへんかったら,おれ三人に酒百杯おごってもよかったのに。

その三人かえったあと,おれもすぐラヴェンダー・ルーム出てん。どうせもう閉店しかけとったし,バンドの演奏けっこう前に終わっとったし,そもそもそんなとこ,だれかいっしょに踊るやつおらな,あんまおりたないとこやん。それか,ウェーターが,コーラやのうて,ホンマの酒してくれるとかやないと。すくなくとも酒めて酔えるとこやないと,長いこと座ってられるナイト・クラブなんか世界中にない思うで。それか,ホンマにいかれてまうぐらいの女といっしょやないと。

11

ロビー戻る途中,急にまたジェーン・ギャラガーのこと頭かんでん。いっかい浮かんだら,自分でおさえられへんねん。おれ,ロビーのゲエ吐きそうな椅子すわって,ジェーンとストラドレーター,アホみたいにエド・バンキーの車すわってんの想像してん。絶対ストラドレーターやってへんておれアホみたいにはっきりおもとったけど──おれ,ジェーンのことよう知ってるから──ジェーンのこと頭から離れへんかってん。おれジェーンのことよう知っとったから。ホンマ。チェッカー以外にも,スポーツなんでも好きやねん。おれら知りおうてから,夏のあいだ中,午前中いっしょにテニスして,昼からいっつもゴルフしとってん。おれホンマ,ジェーンのこと親密に知ってんねん。べつに肉体的とか,そういうんちゃうで──それはないねんけど──けど,おれらずっとうとったから。べつにスケベエなことせんでも,女のこと分かることあんねん。

なんで知りおうたかいうたら,ジェーンとこでうとったドーベルマン・ピンシャー,よううち来て,うちの芝生で小便しょんべんしとってん。ほんで,おかん怒りよってん。おかん,ジェーンのお母さんに電話して,めちゃくちゃ文句いよってん。おかん,そんなことやったら,めちゃくちゃねちねち文句うことあんねん。ほしたら二,三日して,クラブで,プールのそばでジェーンうつぶせで寝とったから,おれ声かけてん。隣のこおいうんは知ってたけど,それまで喋ったことなかってん。おれ声かけたとき,ジェーン凍りついとったわ。ジェーンとこの犬どこで小便しょんべんしたとしてもおれはぜんぜんかめへんて納得してもらうまで,めちゃくちゃ時間かかったわ。なんやったらリヴィング・ルームで小便しょんべんしてもかめへんわ。とにかく,そっからジェーンと仲なってん。その日の昼から,いっしょにゴルフしてん。覚えてるわ,あんときジェーン,ボール八個くしよってん。八個やで。スウィングするときせめてめえ開けとかなあかんやろ,いうとこまで,めちゃくちゃ時間かかってん。けど,おれのおかげで,ジェーンかなり上手うまなったで。おれ,めちゃくちゃゴルフ上手いねん。いくつぐらいで回る言うても信じてもらわれへん思うわ。おれいっかいもうちょっとでニュース映画るとこやってん。最後の最後でやっぱりめてんけど。おれみたいに映画きらいな人間がニュース映画てたらおかしいやろおもて。

ジェーン,おもろいこおやってん。厳密に言うたら美人やないねんけど,おれ,いかれてもうてん。ちょっと口でかいねん。喋ってるうちに熱中してきたら,口,五十ぐらいの方向いてんねん。めちゃくちゃびびったわ。ほんで,いっつも口,ホンマ閉じてへんねん。いっつもちょっと開いてんねん,とくにゴルフのスタンス取るときとか,本んでるときとか。いつも本ばっかり読んでんねん。それもめちゃくちゃええ本。しいとかいっぱい読んでんねん。おれ,家族以外でアリーの野球のミット見せたことあんの,ジェーンだけやねん。ミットじゅうしい書いたあるやつ。ジェーン,アリーにうたことないねんけど。メーン州たん,その夏が初めてやったから──その前はケープ・コッド行っててんて──けど,おれ,アリーのこといろいろはなししてん。ジェーン,そういうの興味ってくれてん。

うちのおかん,ジェーンのことあんま好きちゃうかったわ。ジェーンとおばさん,おかんに挨拶せえへんかったら,おかん無視された言うていっつも怒っとったわ。おかん,村でしょっちゅうジェーンとおばさんにうたらしいねん。むこも,ラサール・コンヴァーティブル乗って買いもんとったから。おかん,ジェーンのこと,あんまかわいいおもてなかってん。おれ,おもてたけど。おれ,あの子のあるがままが好きやってん,それだけやねん。

いっかい,昼過ぎやってんけど。おれ一回だけペッティングしそうなったことあってん,ジェーンと。土曜で,外めちゃくちゃ雨っとって,おれ,ジェーンとこ行ってポーチおってん──網戸あみど付いたポーチで,おれらチェッカーやっとってん。ジェーンが,王様,後ろの列から動かせへんから,おれときどきそれ揶揄からこうとってん。けど,あんま言うてへんで。ジェーンて,あんま揶揄からかいたなれへんねん。おれ,できるんやったら,手加減なしでとことん女おちょくんの好きやけど,それはおもろいからやねん。おれがいっちゃん好きなこおは,ぜんぜんおちょくりたなれへんようなこおやねん。おちょくったほうが喜んでくれるんかな思うこともあるけど──実際あんねんけど──長いこと知りあいで,それまでいっかいもおちょくったことなかったら,そんなんなかなかでけへんやん。とにかく,ジェーンとおれ,あの日の昼過ぎペッティングしそうなってん。めちゃくちゃ雨ってて,おれらポーチおって,急に,むこうのおばさんと結婚した酒飲みのおっさんポーチ出てきて,家に煙草あるかどうか知らんかてジェーンに訊きよってん。おれ,そのおっさんよう知らんかったけど,なんか欲しいもんあるとき以外あんまはなしするような感じちゃうかったわ。カスみたいな性格やわ。とにかく,煙草どこあるか知らんかておっさんに訊かれたとき,ジェーン返事せえへんかってん。せやから,おっさんもっかい訊きよってんけど,それでもジェーン返事せえへんかってん。ずっとボード見てて,めえも上げへんねん。おっさん,やっと中はいりよってん。ほんで,おれ,おっさん中はいってから,どうしたんてジェーンに訊いてん。ほしたら,ジェーン,おれにも返事せえへんねん。ゲームの次のてえ考えて集中してるふりしとおんねん。ほしたら急に,涙ぽたっとチェッカーボードに落ちてん。赤いますんとこに──ううわあっ,いまでも目に浮かぶわ。ジェーン,それ指でこすってボードにみこませよってん。なんでか分からんけど,おれ,めちゃくちゃ苦しなってん。せやから,おれ,ジェーンのほう行って,ポーチにあったり椅子にジェーン座らせて,おれ,その隣すわおもてん──ほしたら膝のうえ座ってもてん。ほしたら,ジェーン,ホンマに泣きだして,その次おぼえてるんは,おれジェーンのあちこちにキスしとってん──どこにでも──めえとか鼻とかでことか眉毛とか。ほんで耳も──顔中全部,口以外の。口は,キスさせてくれへんかったわ。とにかくそれが,おれらがペッティングしかけた瞬間やってん。しばらくして,ジェーン立ちあがって,部屋はいってって,赤と白のこんなセーター着て出てきよってん。おれ,いかれてもうたわ。ほんで,ふたりでアホみたいに映画に行ってん。その途中で,おれ,ジェーンに,いままでカダヒーさんに──その酒飲みのおっさんな──なんか嫌なことされそうなったことあんの,て訊いてみてん。ジェーン,まだ幼いけど,すごい体型ええから,カダヒーのおっさんやったらやりかねへんおもてん。けど,ジェーン,そんなんない,言いよってん。なにが問題なんかぜんぜん分からんかったわ。なにが問題なんかホンマぜんぜん分からんこおておんねん。

おれらペッティングしてへんとか,じゃれてへんからいうて,ジェーンのこと氷みたいな女て思わんといてな。ちゃうねん。たとえば,おれらいっつもてえつないでてん。たいしたことない思うやろけど,ジェーン,てえつなぐだけですごいねん。たいていの女て,てえつないだら,そのてえ死んでるやろ,それかずっと動かしとかなあかんおもてるか,飽きられたらあかんて心配してるみたいに。ジェーンちゃうかってん。おれら,アホな映画とか行っててえつないだら,映画わるまでてえ離せへんねん。手の位置えるとか,てえつないだままなんかするとか,そういうのなしに。ジェーンとやったら,自分のてえに汗かいてるかどうかとか気になれへんねん。ジェーンとてえつないどったら,幸せやねん。ホンマ幸せやねん。

もひとつ,いま思いだしたわ。いっかい映画てるとき,おれ,ジェーンにいかれてもうてん。ニュース映像かなんかやってるとき,急におれの首のうしろにてえ回ってきてん。それ,ジェーンのてえやってん。おもろかったわ。ジェーンてまだ若いやん。だれかの首のうしろにてえ載せる女て,たいがい二十五か三十ぐらいやし,相手は旦那とか自分の子どもやん──たとえば,おれがときどきフィービーにやるみたいに。けど,若いこおがそんなんやってきたら,かわいすぎてびびるやん。

とにかく,おれ,ロビーのゲエみたいな色の椅子すわって,そんなこと考えとってん。ジェーンのこと。ジェーン,エド・バンキーのアホみたいな車でストラドレーターとどっか行ったこと思いだしたら,そのたび,おれきい狂いそうなったわ。ジェーン,ストラドレーターに一塁も踏ませへんかったやろおもてたけど,それでもきい狂いそうやったわ。いまでもその話あんましたないねん,マジで。

ロビー,もうほとんどだれもおれへんかってん。売春婦みたいなブロンドも,みんなおれへんかってん。ほしたら,おれ急にそっから出ていきたなってん。悲しなってん。せやし眠たなかってん。せやから,部屋がってコート着てん。窓の外ちょっと見て,あの変態のやつらまだなんかやっとおるかおもて見てんけど,あかり全部えとったわ。おれまたエレヴェーター乗って,タクシーひろて,運転手に,アーニーズ行って言うてん。兄貴のD.B.がハリウッド行って売春やるようなるまえ,しょっちゅうそのアーニーズいう,グレニッチ・ヴィレッジのナイト・クラブ行っとってん。おれもときどき連れてってもうてん。主人のアーニーて,ピアノ弾く,でっかいデブの黒人やねん。けっこう嫌なやつで,すごいってるか有名人とかやないと挨拶にもよれへんねんけど,ホンマ,ピアノ上手いねん。実際,上手すぎて,パチもんに聞こえねん。なに言うてるか自分でも分からんけど,そうやねん。たしかに,おれ,アーニーのピアノ聞くの好きやねんけど,ときどきあのアホみたいなピアノ引っくりかえしたろか思うねん。ってるやつやないと挨拶にもえへんようなやつの音してることあるからや思うわ。

12

そんとき乗ったタクシー,ホンマぼろぼろで,さっきだれかゲエ吐きよったみたいなにおいしとってん。夜おそなってからどっか行こおもたら,おれいっつもそんなゲエ出そうなタクシー乗ってまうねん。せやし,外しーんとしてて,ひとの気配けはいのうて,土曜の夜やのに,ほとんどだれも歩いてへんかってん。ときどき,男と女おたがいの腰とかにてえ回して道わたっとったり,ちんぴらみたいなやつら集団で女れてハイエナみたいにわろとったけど,あんなんなんもおもんないことでわろとったんやおもうわ。ニュー・ヨークて,夜おそなってから道でだれかわろとったら怖いねん。何マイル離れてても聞こえんねん。どないしょて心配なるし,悲しなんで。おれずっと,うち帰ってフィービーとちょっと話でけへんかなて考えとってん。けどしばらく乗ってるうちに,運転手とおれ,はなししとってん。ホーウィッツいう運転手やったわ。その前に乗ったタクシーの運転手より,ずっとええやつやったわ。とにかく,この運転手やったらあの鴨のことなんか知ってんのちゃうかおもてん。

「すいません,運転手さん」おれ言うてん。「セントラル・パークの池,通ったことあります? セントラル・パーク・サウスのとこの」

「なんですか」

「池。ちっこい池みたいな,あそこにある。鴨おるとこ。分かるでしょ」

「はい,なんですか」

「えーと,池で泳ぐ鴨,分かります? 春とかに。あの鴨,冬なったらどこ行くんか,もしかして知りませんか」

「だれがどこに行きますか」

「鴨。もしかしてなんか知りませんか。だれかトラックかなんかで来てどっか連れていくとか,鴨が自分らでどっか飛んでいく──南のほうへ,とか」

ホーウィッツ,わざわざおれのほう振りむいて,おれの顔よってん。めちゃくちゃきい短いタイプのやつやったわ。悪いやつちゃうかってんけど。「なんでわたしがそんなことを知っていないといけませんか」そいつ,言いよってん。「なんでわたしがそんなアホらしいことを知っていないといけませんか」

「まあ,機嫌なおしてえな」おれ言うてん。そいつ,なんかに傷ついてるみたいやってん。

「だれの機嫌が悪いですか。だれの機嫌も悪くありません」

そいつそんなんでアホみたいに神経質なるんやったら,おれ喋んのんめとこおもとってん。せやのに,そいつまた自分で言いだしよってん。またわざわざおれのほう向いて言いよってん。「魚はどこにも行きません。魚はずっとそこにいます。アホみたいに池のなかに」

「魚は──違う。魚は違う。鴨のこと言うてんねん」おれ言うてん。

「なにが違いますか。なにも違いません」ホーウィッツ言いよってん。なんかずっと傷ついてるみたいな口調くちょうやったわ。「魚のほうがきついです,冬は,鴨のほうより,アホンダラ。頭を使いなさい,アホンダラ」

おれ,一分ぐらい黙っとってん。ほんで言うてん。「分かった。ほしたら冬に魚はなにしてるんですか,あの小さい池がまるごと氷のかたまりなって,みんなが上でスケートとかしてるとき」

ホーウィッツ,また振りむきよってん。「魚はなにをしているは,どういう意味ですか」ってきよってん。「魚はずっとそこにいます,アホンダラ」

「けど魚かて,氷ないふりはでけへんやん。氷は無視でけへんやん」

「だれが氷を無視しますか。だれも氷を無視しません!」ホーウィッツ言いよってん。アホみたいにカッカしとったから,街灯かなんかにタクシーぶつけよんのちゃうかて心配なったわ。「魚はアホみたいに氷のなかで生きています。それが魚の本性です,アホンダラ。冬のあいだずっと魚は氷のなかの一か所で凍っています」

「そうなん? ほしたら,なに食うてんのん。カチコチに凍ってるんやったら,餌さがすん泳いでいかれへんやん」

「体があります,アホンダラ──なにが問題ですか。魚の体は栄養を取りいれます。アホみたいに氷のなかにある水草やウンコから。魚は毛穴をずっと開けています。それが魚の本性です,アホンダラ。わたしが言っていることが分かりますか」ほんで,また振りかえって,おれの顔よってん。

「ああ」おれ言うてん。もうっといてん。タクシー,アホみたいにどっかぶつけるんちゃうかて心配やったし。せやし,そいつめちゃくちゃ神経質なやつやから,議論する喜びいうもんがなかってん。「どっかで降りて,いっしょに一杯やっていきましょか」おれ言うてん。

けど,返事せえへんかってん。いまおもたら,ずっと考えとおった思うわ。ほんで,もっかい訊いてみてん。運転手,かなりええやつやったわ。かなり,おもろかったわ。

「一杯やってる暇なんかない」そいつ言いよってん。「ぼんぼん,いくつ? いま時分じぶんなんでうちで寝てへんの?」

「眠たないねん」

アーニーズの前いて運賃はろたら,ホーウィッツまた魚のこと言うてきよってん。たぶんずっと考えとったんやわ。「あんな」ホーウィッツ言いよってん。「かりに,ぼんぼんが魚やとしょ。ほた,母なる自然は,ぼんぼん守ってくれるわ。せやろ。ほな,魚かて,冬なったからて死なんわ」

「そらそうやけど──」

「せやろ,死なんわ」ホーウィッツ言うて,地獄から飛びたつ蝙蝠こうもりみたいに発進していきよってん。あいつ,おれがいままで見たなかで,いっちゃん神経質な人間やったわ。なに言うても傷つきよんねん。

けっこう遅かったのに,アーニーズ満杯まんぱいやってん。だいたいプレップ・スクールのアホか大学のアホとったわ。世界中のたいがいの学校のクリスマス休みて,おれ行ってる学校よりアホみたいによ始まんねん。もうちょっとでコートもあずけられへんぐらい混んどってん。せやのにめちゃくちゃ静かやってん,ちょうどアーニー,ピアノ弾いとったから。アーニー,ピアノの前すわったら,なんか神聖なもんみたいにみんなとおんねん,ムカつくわ。それほどすごいやつ,だれもおらんて。おれのほか三組ぐらいテーブル案内してもらうん待ってるやつらおってんけど,そいつらみんな,アーニーの演奏おもて,ほかの客しわけたり爪先つまさきで立ったりしとおんねん。アーニーのピアノの前,アホみたいなでっかい鏡いたあって,でっかいスポットライト,アーニーに当たって,演奏してるときみんなに顔えるようなっとってん。指は見えへんねん──あのでっかい顔だけやねん。かなんで。おれが店はいったときうととった曲なんやったかよう分からんけど,なんやったとしても,ホンマくっさい歌なってたわ。高い音符にいちいち,くっさい,これ見よがしの震え入れてきよるし,ケツからぶりぶりて出したなる飛び道具どんどん出してきよんねん。けど,歌わったときの客てほしかったわ。ゲエ吐きそうなんで。客,熱狂しとおんねん。あいつら,映画でおもんないことハイエナみたいにわろとおるやつらと,ホンマおんなじアホやねん。もしおれピアニストか俳優かなんかで,あんなアホらがおれのことすごい言うんやったら,おれ絶対いややわ。おれやったら,あんなやつらに拍手してほしないわ。みんなが拍手する相手て,いっつも間違まちごうてんねん。もしおれがピアノ弾くんやったら,アホみたいにクローゼットで弾くわ。とにかく,演奏わって,みんなてえちぎれるぐらい拍手してたら,アーニー,椅子まわして,パチもんの,うやうやしいお辞儀しよってん。ピアノ上手いだけちゃうんです,そもそも礼儀正しいんです,みたいに。そんなんめちゃくちゃパチもんやん──あんなんすごい嫌なやつやん。けど曲わって,おれアーニーのこと気の毒なってん,ヘンな意味で。あんなんやったら,アーニー,どのひいの演奏が良かったかもう自分で分からんようなってる思うわ。それ,全部が全部アーニーのせいちゃうねん。一部は,頭ちぎれるぐらい拍手しとったあのアホらのせいや思うわ──あいつら,なんかあったら,だれのことも台無しにしてまいよんねん。とにかくおれ,また悲しなって,カスみたいな気分なって,もうちょっとでアホみたいにコート取ってホテル帰ろかおもてんけど,まだ早かったし,ずっとひとりでおんの嫌やってん。

やっと,くっさいテーブル案内されてん。壁際かべぎわの,アホみたいに柱の陰なってなんも見えへんとこ。小さいテーブルやったから,隣のやつらいっかい立って通してくれへんかったら──そんなんだれもしよれへんねんけど──体ねじって椅子んとこまで行かなあかんねん。おれ,スコッチのソーダ割り注文してん。好きやねん,まあいっちゃん好きなんはフローズン・ダイキリやけど。アーニーズやったら,六歳ぐらいでも酒めんねん。店んなか暗いし,客がいくつとかだれも気にしてへんねん。客が麻薬中毒患者でもだれも気にせえへんねん。

おれのまわり,四方八方アホばっかりやってん。嘘ちゃうで。おれのすぐ左,ほとんど頭らへんに,もひとつ小さいテーブルあって,おもろい顔した男とおもろい顔した女おってん。おれとおんなじぐらいの年齢としか,ちょっと上か。おもろかったわ。そいつら,はじめに頼んだミニマムの酒なるべくよ飲まんように,めちゃくちゃきいつけとおんねん。おれ,しばらくそいつらの話いとってん。ほかにすることなかったから。男が女に,そのひい見たプロ・フットボールのことはなししとおんねん。試合のプレーひとつずつアホみたいに説明しとおんねん──嘘ちゃうで。そいつ,おれいままで話いたなかで,いっちゃんおもんないやつやったわ。女かてそんなアホみたいな試合,興味なかった思うけど,その女,男よりおもろい顔しとったから,その話いてなしゃあなかったんや思うわ。ホンマ,ブスのこお,ようあんなん我慢してるわ。おれ,ときどき気の毒なんねん。あの子らのこと見てられへんことあんで,とくにアホな男フットボールの試合アホみたいにまるごと全部説明しとったりしたら。けど,右のテーブルの会話,もっとえげつなかってん。おれの右に,イェールのジョーみたいな恰好かっこの男おってん。グレーのフランネルのスーツで,おかまみたいなタッターソールのヴェストとんねん。アイヴィー・リーグのやつらて,みんなおんなじような恰好かっこしとんねん。おれのおとん,おれにイェールか,それかプリンストン行ってほしいおもとおんねんけど,おれもし重症で死にかけてても,アイヴィー・リーグの大学なんかどっこも行きたないわ。とにかく,そのイェールのジョーみたいなやつ,すごい女れとってん。ううわあっ,どんだけ美人やったか。けど,そいつら,なにはなししとったか聞いてほしかったわ。まず,そいつらちょっと酔うとってん。男,テーブルのしたで女さわっとおんねん,ほんで自分の寮でアスピリン一瓶んで自殺しかけたやつのはなししとおんねん。女,ずっと言うとおんねん。「うわ,なんてこと... やめて,ねえ。お願いやから。あとでにしよ」ひとのこと触りながら,自殺しかけたやつのはなししてるて,想像してみ! まじびびったわ。

こんなアホんなかでひとりで座っとって,おれいっちゃんふつうの人間やおもたわ。煙草うて酒んでるだけやってんもん。けど,なんかやったろおもて,ウェーター呼んで,アーニーと一杯やりたいんでいかがですかて訊いてきて言うてん。おれD.B.の弟やてちゃんと言うてな言うてん。けどウェーター,メッセージ書いた紙すら渡せへんかった思うわ。ああいうやつら,だれにもメッセージ渡せへんねん。

ほしたら急に女,こっちよってん。「ホールデン・コールフィールドやん!」リリアン・シモンズいうやつやってん。兄貴のD.B.としばらく付きおうとってん。めちゃくちゃ乳でかいねん。

「こんばんは」おれ言うてん。おれ当然,立って挨拶しよおもてんけど,そんなとこで立ちあがんのひと苦労したわ。そいつ,ケツからまっすぐき棒れてんのちゃうかみたいな海軍士官れとってん。

「うわあ,会いたかったわあ!」リリアン・シモンズ,言いよってん。ホンマ,パチもんや。「お兄さん,元気?」ホンマに知りたいん,それだけやん。

「元気です。いまハリウッドにいてます」

「ハリウッドにー! 素敵やなあ! ほんで,ハリウッドでなにしてんの?」

「分かりません。なんか書いてます」おれ言うてん。なんか言うて,そいつに反論すんの,めんどくさかってん。兄貴がハリウッドおんのん,大事おおごとやて,そいつおもてた思うねん。だいたいみんなそう思うやん。そんなこと言うやつて,たいてい兄貴の短編んだことないねん。そんなん,おれきい狂いそうなるわ。

「楽しみやなあ」リリアン,言いよってん。ほんで,おれのこと,海軍のやつに紹介しよってん。ブロップ中佐かなんかいうとったわ。そいつ,握手するとき相手のゆび四十本ぐらい骨折させなおかまや思われるおもとおるやつやってん。そんな握手,おれ嫌や。「あんた,ひとりなん?」リリアン,訊いてきよってん。通路って,アホみたいにだれも通られへんようにしとったわ。あれ,ほかのひと通られへんようにすんのん好きなんや思うわ。道けてくれんのウェーター待っとったけど,あいつきいつきよれへんねん。おもろかったわ。ウェーター,そいつのこと気に入らんかったやろし,海軍のやつも,デートはしとったけど気に入ってなかった思うわ。ほんで,おれも気に入ってへんかってん。だれも気に入ってへんねん。ある意味,気の毒におもたらなあかんわ。「デートのお相手いてへんの?」そいつ,訊いてきよってん。おれ,ずっと立っとって,そいつ,おれに,どうぞ座ってて言いよれへんねん。何時間でも立たせたまんましよんねん。「このこお,男前やろ」そいつ,海軍のやつに言いよってん。「ホールデン,あんた会うたびに男前なっていくなあ」海軍のやつ,こっち行こう,言いよってん。邪魔じゃまなってだれも通られへん言いよってん。「ホールデン,いっしょに来てえや」リリアン,言いよってん。「飲みもん持ってきて」

「ちょうどいま帰るとこやったんです」おれ言うてん。「ひとに会わなあきませんねん」そいつ,おれを取りこんどこうてしてただけや思うわ。ほんで,おれがD.B.にそいつのはなししたらええおもとってんやろ。

「ええ,なんでえ,そこそこくん。分かった。お兄ちゃんにうたら,嫌いや言うといて」

ほんで向こう行ってまいよってん。海軍のやつとおれ,お会いできて楽しかったですて,おたがい言うてん。それ,いっつもびびるわ。おれ,「お会いできて楽しかったです」言う相手,いっつもぜんぜん楽しなかったやつばっかりやねん。けど,生きていこおもたら,そんなこと言わなあかんねん。

おれ,ひとに会わなあかん言うてもうたから,アホみたいに店ていくしかなかってん。アーニーのいまいちの演奏もう一曲くまで店おるんも,でけへんようなってもてん。けどおれ,リリアン・シモンズとあの海軍のやつといっしょのテーブル座って,退屈で死にとなかってん。せやから店てん。けど,コート返してもうたとききい狂いそうなったわ。あいつらなんでもめちゃくちゃにしてくれとおんねん。

13

おれホテルまでずっと歩いて戻ってん。四十一ブロックも。歩きとおて歩いたとかちゃうで。それよか,もうタクシー乗ったり降りたりすんの嫌やってん。エレヴェーターばっかり乗ってたら,飽きるときあるやん。あれといっしょで,タクシーばっかり乗っとったら飽きんねん。どんだけ遠いとこでも,高い階でも,急にあるこ思うことあんねん。おれ小さいとき,しょっちゅう,うちのアパートメント歩いて昇ったわ,十二階。

ったとか,ぜんぜん分からんかってん。歩道にほとんど積もってなかったし。けど,めちゃくちゃ寒かったから,ポケットから赤いハンティング帽してかぶってん──見た目なんかどうでもよかってん。耳あてもおろしたわ。てえこおるぐらい冷たかったから,ペンシーでおれの手袋パクったやつ見つけといたらよかったおもたわ。もし見つけてたとしても,あんまなんもせえへんかった思うけど。おれ,めちゃくちゃ根性ないねん。ひとに見せんようにしょうおもてるけど,根性ないねん。たとえば,ペンシーでだれ手袋パクったか分かったとしたら,おれ,そいつの部屋って,たぶん「なあ,手袋かえしてくれや」言う思うわ。ほしたら,たぶん,パクリ,なんも知りませんみたいな声で言いよるわ,「なんの手袋」ほしたら,おれクローゼット入っていって,どっかから手袋つけたんねん。オーヴァーシューズのなかかどっかアホみたいに隠したあんねん。それ,そいつんとこ持ってって言うたんねん,「これ,おまえの手袋やよな」ほしたら,パクリ,めちゃくちゃパチもんの,なんも知りませんて顔で言うわ,「そんな手袋,生まれていっかいも見たことないわ。それ,おまえのんなん? ほな持ってって。おれ,そんなん要らんし」ほしたら,おれそこで五分ぐらいじっと立っといたんねん。アホみたいに手袋つかつかんだまま,けど,そいつのあごかどっか一発かまさなあかんいうきいなる思うわ──あごの骨アホみたいに折ったろか,とか。けど,もしそんなきいなっても,おれそんなんする根性ないわ。そこ立ってるだけやわ,怒ってるように見せて。ほんで,めちゃくちゃ偉そうに皮肉なこと言うて,そいつ怒らせるんちゃうかな──あごに一発かまさんと。とにかく,おれめちゃくちゃ偉そうに皮肉なこと言うたら,そいつたぶん立ちあがってこっち来て言いよるやろ,「どうしてん,コールフィールド。おまえ,おれのことパクリやおもてんのんか」ほしたら,「そのとおりじゃ,われ,おまえ汚いパクリ野郎なんじゃボケ!」とか言わんと,おれたぶん,「おれに分かってるんは,おれの手袋がおまえのオーヴァーシューズのなかあったいうことだけや」言う思うわ。ほしたら,そいつ,おれが一発かますつもりないて分かって,たぶん言いよるわ,「なあ。はなし整理しょうや。おまえ,おれのことパクリやおもてんのか」ほしたら,「だれも,だれのこともパクリ言うてへんわ。おれに分かってんのは,おれの手袋がおまえのオーヴァーシューズのなかあったいうことだけじゃ」て,おれ言うねん。そんなん何時間でも続けたんねん。けど結局,おれそいつに一発もかまさんと部屋ていく思うわ。ほんでたぶん下の便所って煙草くわえて鏡て強そうな顔するわ。とにかくホテル戻るまで,おれずっとそんなこと考えとってん。根性ないて,おもんないわ。たぶんそれ,根性ないからだけちゃうねん。根性ないいうんもあるけど,おれ,手袋くしてもあんまり気にせえへんいうんも,たぶんある思うねん。なんかくしてもあんま気にせえへんとこ,おれの欠点やねん──おれ小さいとき,おかんそれでよう怒っとったわ。くしたもん何日も探すやつおるやん。くしたらそんな必死なるもんて,おれなんも持ってない思うわ。たぶん,せやから,根性ないだけちゃうねん。けど,そんなん言いわけなれへんけどな。ホンマ。ホンマは,ちょっとでも根性ないのはあかんねん。もしだれかのあごに一発かまさなあかんときは,ほんで自分がそうしたいときは,かまさなあかんねん。けど,それがなかなかでけへんねん。あごに一発かますよか,窓から突きおとすとか,おので首ねるほうがまだええわ。おれ,殴りあいがいややねん。殴られること自体はまだええねん──殴られたいわけやないけど,当然──けど,殴りあいでいっちゃん怖いんは相手の顔やねん。おれ,相手の顔じっと見てんの耐えられへんねん。両方とも目隠しかなんかされてるんやったら,ええかもしれんけど。考えてみたら,根性ないいうてもちょっとヘンやけど,それでもやっぱり根性ないわ。嘘ちゃうわ。

手袋のこととか根性ないこととか考えとったら,おれだんだん悲しなってきて,歩いてるうち,どっかでひと休みして一杯んでこおもてん。アーニーズで三杯しか頼んでへんかったし,最後の一杯は全部まれへんかってん。おれ,なんぼでも飲めんねん。一晩中んでも顔えへんねん,そのきいなったら。いっかいウートン高校で,レーモンド・ゴールドファーブいうやつとおれでスコッチ一パイントうて土曜の夜に礼拝堂で飲んでん,そこやったらだれも見にえへんから。そいつ,酒のにおいぷんぷんさせとおったけど,おれほとんど分からんかってん。気分しずまって,はしゃいだりせえへんかったわ。寝るまえに吐いたけど,ホンマは吐かんでよかってん──ねんのため無理して吐いてん。

とにかく,ぼろいバーあったんで,ホテル戻るまえにそこはいおもたら,めちゃくちゃ酔うたふたり組てきて,地下鉄どこですかて訊いてきよってん。そのひとりがめちゃくちゃキューバ人みたいなやつで,おれ道おしえたってるあいだ,ずっとおれの顔にくさい息かけてきよんねん。結局おれ,そのアホみたいなバーはいんのやめて,まっすぐホテル戻ってん。

ロビー,だれもおれへんかってん。葉巻五千万本ぐらい消したにおいしとったわ。ホンマ。眠たなかってんけど,カスみたいな気分やったわ。悲しかってん。死のかなて思いかけてん。

ほしたら急に,事件きこまれてん。

まずエレヴェーター乗ったら,係のやつ言うてきよってん。「お楽しみどないでっか,お兄さん。今夜もうお済み?」

「え,なんのこと」おれ言うてん。なんの話か分からんかってん。

「ちっこいかわいらしいの,今夜どない」

「おれが?」おれ言うてん。めちゃくちゃけな返事やけど,急にそんなこと訊かれたら,なに言うてええか分からんようなんで。

「大将,おいくつ」エレヴェーター係,言いよってん。

「なんで?」おれ言うてん。「二十二」

「なるほど。どない。どないしまひょ。一発五ドル,一晩十五ドル」そいつ,腕時計よってん。「昼まで。一発五ドル。昼まで十五ドル」

「分かった」おれ言うてん。いつもやったらそんなんせえへんねんけど,おれ悲しすぎて,なんも考えたなかってん。それが問題やねん。めちゃくちゃ悲しかったら,もの考えられへんようなんねん。

「どっち。一発。昼まで。言うて」

「一発でええわ」

「了解。何号室」

おれ,鍵に付いてる,番号いたある赤いやつ見てん。「1222」おれ言うてん。話ってもうたん,ちょっともう後悔しとったけど,もう話んどってん。

「了解。女,行かせます。十五分ほどお待ち」そいつ扉けて,おれ出てん。

「なあ,それ,かわいいこおか」おれ訊いてん。「年増としまやめといてや」

年増としまいてへん。まかしといて,大将」

「お金,だれに払うの」

「女」そいつ言いよってん。「お部屋へ,大将」そいつ,おれの顔のまんまえで扉めよってん。

おれ,部屋って髪の毛みずいてんけど,クルーカットてちゃんとくしとか入れられへんねん。ほんで,それまでいっぱい煙草うたりアーニーズでスコッチのソーダ割り飲んだりしとったから,息におえへんか確かめてん。口のしたにてえ当てて,ぶう息いてにおい嗅いだら分かるやん。あんまりにおてないみたいやったけど,いちおうはあ磨いてん。ほんで,またきれいなシャツに着替えてん。売春婦相手にそんなきれいな恰好かっこせんでええんは分かってたけど,なんかしてたかってん。ちょっと緊張しとってん。けっこうスケベエな気分なってきてんけど,ちょっと緊張しとってん。おれ童貞やねん,マジで。いまも,ホンマに。童貞てれる場面めちゃくちゃいっぱいあってんけど,まだそこまで行ってへんねん。いっつも,なんか起こんねん。たとえば,女のうちおったら,親いっつも予定外の時間に帰ってきよんねん──ていうか,帰ってくるんちゃうかいうきいなんねん。それか,だれかの車の後ろの席おったとしたら,いっつも前の席でだれか──女が──後ろでなにしてんねんろてアホみたいに確かめよんねん。前の席の女て,いっつもほかのやつらなにしてんねんろて,こっちよんねん。とにかく,いっつもなんか起こんねん。それでも,二回ぐらい,やりかけたことあんねん。一回は,ホンマもうちょっとやってん,覚えてるわ。けど,うまいこといけへんかってん──なんでかはもう覚えてないけど。問題は,女ともうちょっとでやるとこまで行ったら,女てたいてい──売春婦とかちゃうかったら──めて,めて,言いよるやん。問題は,ほしたらおれめてまうねん。たいていのやつめへんやろ。けどおれ,無視でけへんねん。そんなん,女がホンマにめてほしがってんのか,めちゃくちゃ怖がってるだけなんか,そう言うといて男がめへんかったら,なんかあったとき責任おとこのほう行くから責任らんでええおもて言うてんのか,だれにも分からんやん。せやから,おれ,一応めんねん。問題は,おれ女のこと気の毒なってまうねん。女て,たいがいアホやん。しばらくペッティングしとったら,ホンマ脳みそなくなっていくん見てたら分かんねん。女ホンマに燃えてるときは,脳みそなくなってんねん。分からん。あいつらがめて言うから,おれめんねん。そのあとうちまで送っていったとき,めんといたらよかったていっつも思うねんけど,それでも一応めてまうねん。

とにかく,またきれいなシャツに着替えてるとき,ある意味これだいチャンスやなあおもてん。いつかおれ結婚とかするかもしれんから,女が売春婦とかやったとしても,そいつで練習できるやん。おれときどきそういうの心配なんねん。いっかいウートン高校のとき,めちゃくちゃ頭ええ,礼儀正しい,スケベエなやつ出てくる本んだことあんねん。ムッシュー・ブランシャールいうやつ,いまでも覚えてるわ。カスみたいな本やってんけど,そのブランシャールいうやつけっこうよかってん。リヴィエラにでっかい城かなんか持ってて,ヨーロッパの話やねん,ほんで時間いたらいっつも棍棒こんぼうで女いかせとおんねん。そいつホンマ遊び人やねんけど,女いかれてまうねん。なんかの場面で,そいつ,女の体はヴァイオリンみたいなもんや言うて,ちゃんとおもたらすごい演奏家やないとあかん言いよんねん。パチもんの本やけど──それおれも分かってんねんけど──とにかくヴァイオリンがどうこういうの頭から離れへんかってん。それもあって,いつか結婚するかもしれんから,ちょっと練習みたいなことしときたかってん。コールフィールドと魔法のヴァイオリン,ううわあっ。そらパチもんやで,そら分かってんねんけど,全部が全部パチもんてわけでもないやん。そういうの上手いて悪いことちゃうやん。ホンマのこと言うと,おれ女といっしょにおるとき半分ぐらい,おれなにしたいねんやろていろいろ考えんねんけど,よう分からんねん,ムカつくわ。なに言うてるか分かる? たとえば,さっき言うてたセックスしかけた女おるやん。おれ,アホみたいに一時間ぐらいそいつのブラジャー外せへんかってん。ブラジャーはずしたとき,そいつ,おれのめえつばかけたろかて感じやったわ。

とにかくおれ,女んの待って,部屋んなかうろうろ歩いとってん。かわいいこお来るんちゃうかなおもとったけど,あんまり気にしてへんかったわ。よ済ませたかってん。ほしたらやっとノック聞こえて,おれドア開けに行ったとき,スーツケースにけつまずいて,そのうえこけて,アホみたいに膝りかけてん。おれいっつもスーツケースにこけるとかでらん時間かかんねん。

ドア開けたら売春婦っとってん。ポロ・コート着て,帽子かぶってへんかったわ。金髪ぽかったけど,あれ染めてた思うわ。けど年増としまちゃうかってん。「はじめまして」おれ言うてん。ううわあっ,めちゃめちゃ礼儀正しかったわ。

「モーリスが言ってたひと?」そいつ訊いてん。あんまり愛想あいそなさそうやったわ。

「それ,エレヴェーター係?」

「そうだけど」そいつ言いよってん。

「そうです。よかったらお入りください」おれ言うてん。おれ,だんだんその気なくなってきてん。ホンマに。

そいつ,部屋はいったらすぐコート脱いでベッド投げよってん。下に緑の服とったわ。ほんで部屋の机に付いてる椅子に横向きに座って,靴の先ぴくぴく動かしよんねん。ほんで,脚んで,また靴ぴくぴく動かしよんねん。めちゃくちゃ緊張しとったわ,売春婦にしては。ホンマ。そいつ,めちゃめちゃ若かったからや思うわ。おれぐらいの年齢としやってん。おれ,でっかい椅子の,そいつの隣すわって,煙草すすめてん。「わたし吸わないんで」そいつ言いよってん。ちっちゃいかわいい声しとったわ。あんま聞こえへんぐらい。ほんで,なんかあげようてしても礼えへんねん。もの知らんねん。

「自己紹介させてもらいます。ぼくは,ジム・スティールいいます」

「時計してる?」そいつ言うてん。おれの名前なんかどうでもよかってん,当然やけど。「え,おいくつですか」

「ぼくですか。二十二です」

「嘘ばっかり」

おもろいこと言いよってん。ホンマの子どもみたいやん。売春婦とか,「嘘つけ」とか「アホ言うな」とか言うおもてたら,「嘘ばっかり」て。

「自分はいくつなん」おれ訊いてん。

「そろそろ世のなかを分かんなきゃいけない年頃」そいつ言いよってん。ホンマひねったこと言うやつやったわ。「時計してます?」そいつ,また訊きよんねん。ほんで,立って,服あたまから脱ぎよってん。

そいつ服いだとき,こいつなにしてんねんやろてきいなってん。急に脱ぎよんねんもん。女が立って頭から服いだらけっこうスケベエな気持ちなるはずや思うけど,なれへんかってん。スケベエな気持ち,ぜんぜんいてけえへんかったわ。スケベエいうより悲しなってきてん。

「時計してますか,ねえ?」

「いえ。いえ,してません」おれ言うてん。ううわあっ,なんでそんなはなししてんねやろおもたわ。「名前なんていうのん」おれ訊いてん。そいつ着とったん,ピンクのスリップだけやってん。ホンマ,目のやり場こまったで。ホンマに。

「サニー」そいつ言いよってん。「じゃ始めましょうか」

「その前にちょっとはなしせえへん?」おれ訊いてん。幼稚なこと言うた思うけど,おれアホみたいになにしてんねんやろて気分やってん。「なんか急いでんの?」

そいつ,おれのこと,きちがいちゃうかみたいな顔でよってん。「え,なにかおはなしすることありますか」そいつ言いよってん。

「分からんけど。とくにないねんけど。いや,そっちがちょっと話ぐらいしたいんちゃうかおもて」

そいつまた,机んとこの椅子すわりよってん。うっとしなあおもとった思うわ。ほんでまた靴ぴくぴくさせよんねん──ううわあっ,すぐ緊張するやつやったわ。

「煙草どうですか」おれ言うてん。さっき吸えへんて聞いたん忘れとってん。

「吸わない。あのね,そんなに話がしたいならなんでも言ってて。こっちは,やることあるから」

けど,はなしすることなんか思いつけへんかってん。なんで売春婦とかなったんてこかなおもたけど,そんなん訊くの怖いやん。どっちみち,そんなんそいつも言えへんやろし。

「ニュー・ヨークのこおちゃうよな」おれ,やっと言うてん。それしか思いつけへんかってん。

「ハリウッド」そいつ言うてん。ほんで,立って,ベッドの,服いだとこまで行きよってん。「ハンガーある? このままじゃ服にしわできちゃう。クリーニングしたとこなのに」

「ありますよ」おれ,すぐ言うてん。おれ,立ってなんかすることあるだけで嬉しかってん。おれ,服クローゼット持ってってハンガー掛けたってん。おもろいわ。ハンガー掛けてるとき,なんか悲しかったわ。おれ,その女みせ入ってその服うたとこ想像してみてん。店のだれも,そいつ売春婦やて知らんねん。それうたとき,店員たぶんそいつのこと,ふつうのこおおもとってん。めちゃめちゃ悲しなったわ──なんでか分からんけど。

おれ,もっかい座って話つづけよおもてん。そいつ,カスみたいに会話下手へたやってん。「毎晩はたらいてんのん」おれ訊いてん──口に出してみたら,えげつないこと訊いたおもたわ。

「うん」そいつ,部屋んなかうろうろ歩いとってん。机からメニュー取って読んどったわ。

「昼間はなにしてんの」

なに言うてんの,て身振りしよってん,そいつ。けっこうガリガリやったわ。「寝てる。映画ったり」ほんでメニュー置いて,おれの顔よってん。「始めましょ,じゃ。こんなこと──」

「なあ」おれ言うてん。「おれ今夜,あんまりそんなきいなれへんねん。ひどい夜やってん。ホンマに。お金は払うけど,よかったら,なんもせんでええかな。あかんかな」問題は,おれがやりたなかったことやねん。スケベエな気持ちより悲しなってきてん,マジで。その女のせいで悲しなってん。クローゼット吊ったある緑の服とかのせいで。せやし,昼のあいだずっとアホな映画とおるやつとなんか,でけへんおもたわ。ホンマ,でけへんおもたわ。

そいつ,おれのほう来て,ホンマのこと言うてへんやろみたいなヘンな顔しよってん。「なにが問題なの」そいつ言いよってん。

「なにも問題ちゃいます」ううわっ,おれだんだん緊張してきてん。「問題は,おれ最近,手術してん」

「へえ。どこ?」

「ほら,なんとかいう──クラヴィコード」

「へえ。それどこ?」

「クラヴィコード?」おれ言うてん。「そら脊柱管せきちゅうかんのなかやん。脊柱管せきちゅうかんのずっと下のほうやろ」

「へえ」そいつ言うてん。「たいへんだね」ほんで,そいつ,アホみたいにおれの膝すわりよってん。「あなた,かわいいよ」

おれ緊張したから,頭ばーん飛ぶぐらい嘘いつづけてん。「おれまだ予後よご観察かんさつちゅうやねん」おれ言うてん。

「映画に出てるひとに似てる。だれだっけ。言われない? 名前なんだっけ」

「分かりません」おれ言うてん。そいつ,アホやから膝から降りよれへんねん。

「言われるでしょ。メルヴァイン・ダグラスと映画に出てたひと。メルヴァイン・ダグラスの弟だっけ。船から落ちるひと。知んない?」

「知りません。映画には,できるだけ行かんようにしてるんで」

ほしたら,そいつのようす,おかしなってん。露骨に迫ってきよってん。

「そんなん,もうやめてください」おれ言うてん。「さっきも言いましたけど,おれいまそんなきいなりません。手術したばっかりやから」

そいつ,膝すわったまま,すごい汚いもん見るみたいにおれ見よってん。「ねえ」そいつ言いよってん。「わたし,寝てたのに,モーリスに起こされたの。なに,もしかしてわたしが──」

「来てくれはった以上,お金は払います。ホンマに払います。そのぐらいのカネはあります。せやけど,おれ,こないだまで重症で──」

「じゃ,なんのためにモーリスに女べって言ったの。そのなんとかの手術したとこなら。ねえ」

「もうちょっと元気なってるかなておもてたんです。見通しがちょっと未熟でした。嘘ちゃいます。すいません。もし立ってくれはったら,財布ってきます。ホンマです」

そいつ,めちゃめちゃ怒っとったけど,立ちあがって,おれ,タンスに財布りに行ってん。おれ,五ドル札一枚して,そいつに渡してん。「ありがとうございます」おれ言うてん。「ホンマありがとうございます」

「これ五ドルだよ。料金は十ドル」

そいつ,ようすおかしなっとったわ。そんなん起きるんちゃうかおもとってん,おれ──ホンマに。

「モーリスさんは五ドル言うてました」おれ言うてん。「昼まで十五ドル,一発やったら五ドルだけ言うてました」

「一発は十ドルだよ」

「五ドル言うてました。申しわけないですけど──ホンマ申しわけありませんけど──おれはこれ以上すつもりありません」

そいつ,さっきみたいにまた,なに言うてんのて身振りで,冷たい声で言いよってん。「上着を取ってきてってお願いするのはいいのかな。それはお手間を取らせすぎかな」妖怪みたいなやつやったわ。あんなちっさい声でも,ひとのことちょっと怖がらせよんねん。あれが,年とって,顔とかに厚化粧してる売春婦やったら,半分もこわなかった思うわ。

おれ,そいつの服ってきたってん。そいつ,それ着て,ベッドからポロ・コート取りよってん。「しみったれ,じゃあね」そいつ言いよってん。

「ほな」おれ言うてん。ありがとうとは言えへんかってん。言わんでよかったわ。

14

サニー出てったあと,おれしばらく椅子すわって煙草二本うてん。だんだん外あかるなっとったわ。ううわあっ,おれどんだけみじめな気分やったか。どんだけ悲しかったか分かってもらわれへん思うわ。おれアリーに喋っとってん,声して。めちゃくちゃ悲しいとき,ときどきそんなんすんねん。おれいっつもアリーに,うち帰って自転車ってこいや,ほんでボビー・ファロンの家の前で待ちあわせや言うねん。ボビー・ファロンて,メーン州でおれらのすぐ近く住んどってん──何年も前やけど。とにかく,ある日,ボビーとおれ自転車でシディビーゴまで行こう言うとってん。弁当とか,BB弾の銃とか持って──おれら子どもやったから,BB弾でなんかりょうできるおもとってん。とにかく,アリーそれ聞いとって,いっしょに行きたい言うてんけど,おれあかん言うてん。おまえまだ子どもやからあかん言うてん。せやから,おれ,めちゃくちゃ悲しいとき,いまでも時々「分かった。うち帰って自転車ってこいや,ほんでボビー・ファロンの家の前で待ちあわせや。よせえよ」てアリーに言うねん。どっか行くとき,いっつもアリー連れていけへんかったわけちゃうねん。連れてってん。けど,あのひいは連れていけへんかってん。アリーべつに怒ってへんかったけど──アリー,なににも文句えへんかったから──おれ悲しなったら,とにかくそのこと考えてまうねん。

けど,結局おれ服いでベッド入ってん。ベッド入ったときお祈りしょうかなおもてんけど,でけへんかってん。おれ,お祈りしたいときでけへんことあんねん。まず,おれ一種のしんろんじゃやねん。イエスのことは好きやけど,それ以外の聖書に書いたあることだいたいどうでもええねん。たとえば使徒しとおるやん。あいつら,めちゃくちゃいらつくねん,マジで。イエスが死んでからはあれでええねんけど,イエスが生きてるあいだ,あいつら頭に開いた穴ぐらいにしか役ってへんやん。イエスのことずっとがっかりさせとっただけやん。使徒しとに比べたら,聖書に出てくるやつはたいがいだれでも好きやわ。マジでおれ聖書でイエスの次に好きなやつて,墓に住んでてずっと石で自分の体きずつけとおる,ちょっとおかしいやつやねん。そいつのこと,おれ使徒しとの十倍好きやわ,かわいそうに。おれウートン高校おったとき,おんなじ階の部屋おったアーサー・チャイルズいうやつと,そういうのしょっちゅう議論してん。チャイルズ,クウェーカーで,いっつも聖書んどってん。めちゃくちゃええやつで,おれそいつのこと好きやったけど,聖書のことで意見えへんこといっぱいあったわ,とくに使徒しとのこととか。使徒しとのこと好きちゃうんやったらイエスのことも好きちゃうやんて,そいついっつも言うとったわ。使徒しと選んだんはイエスやねんから,使徒しとのことも好きにならなあかん言うとってん。そらイエスが使徒しと選んだんは分かってるけど,作為さくいに選んだて,おれ言うてん。みんなのこと分析して回ってる暇なかった言うてん。イエスのせい言うてるわけちゃう,時間なかったんはイエスのせいちゃう言うてん。おれチャイルズに,イエスのこと裏切ったユダ,自殺したあと地獄った思うか訊いてみてん。ほしたら,地獄った決まってる言いよんねん。そこが,おれと意見えへんとこやねん。イエスがユダ地獄おくってへんほうに,おれ千ドル賭ける言うてん。もし千ドル持ってたら,いまでもそうするわ。使徒しとやったらだれでも地獄おくったやろうけど──しかも,すぐ──イエスはそんなんせえへんて,おれなに賭けてもええわ。おれの問題は教会かよてへんことやてチャイルズ言うてん。ある意味,そのとおりやねん。いまもかよてへんわ。そもそも,うちのおとんとおかん宗教ちゃうし,うちの一家の子どもみんなしんろんじゃやねん。おれ牧師ぼくし嫌いやねん。おれ行っとったどこの学校でも,牧師ぼくしみんな説教しだしたら聖なるジョーみたいな声で喋りよってん。あれ嫌やったわ。なんで普通の声で喋られへんのか分からんわ。喋ってることパチもんに聞こえんねん。

とにかく,おれベッドでお祈りに集中でけへんかってん。お祈りしよかおもたら,サニーおれのこと,しみったれ言うたん思いだしてもてん。しゃあないからベッドで座って煙草また一服うてん。カスみたいな味したわ。ペンシー出てからもうふた箱ほど吸うてた思うわ。

ベッドで寝転んで煙草うとったら,急にノックの音してん。おれの部屋ちゃうかったらええのにおもたけど,おれの部屋やてアホみたいにはっきり分かったわ。なんで分かったんか知らんけど,分かったわ。だれかも分かったわ。おれ超能力者やねん。

「どなたですか」おれ言うてん。かなり怖がっとったわ。おれ,そんなん根性ないねん。

ほしたら,なんも言わんとまたノックしよんねん。さっきよりでっかい音で。

おれパジャマ着たままベッド出て,しゃあないからドア開けてん。もう外あかるかったから,電気けんでよかってん。サニーと,エレヴェーターでポン引きしてるモーリスとってん。

「なんですか。なんの用ですか」おれ言うてん。ううわあっ,声めちゃくちゃ震えとったわ。

「たいした用ちゃう」モーリス言いよってん。「五ドルはろてもらおか」ふたりおったけど,モーリスだけ喋りよってん。サニー,隣って,口けとったわ。

「もう払いましたよ。このひとに五ドル払いました。訊いてくださいよ」おれ言うてん。ううわあっ,どんだけ声ふるえとったか。

「十ドルや,大将。言うたよな。一発十ドル,昼まで十五ドル。言うたよな」

「言うてませんよ。一発五ドル言うてましたやん。昼まで十五ドルいうんはたしかに聞きましたけど,おれ,はっきり──」

「ちゃんと開けて,大将」

「なんでですか」おれ言うてん。心臓アホみたいにばくばくいうて,おれ部屋から飛びだしそうなったわ。せめてちゃんと服てたらよかったおもたわ。そんなこと起きてんのにパジャマしか着てないて,情けないで。

よ,大将」モーリス言いよってん。ほんで,ごっついてえで,おれのこと,ぼーん突きよってん。もうちょっとでアホみたいにケツからこけそうなったわ──あいつ,でかかってん。きいついたら,あいつとサニー,部屋はいっとったわ。あいつら,自分らの部屋おるみたいに,アホみたいにくつろいどおんねん。サニー,窓枠んとこ座っとったわ。モーリスは,でかい椅子すわってえりゆるめとってん──エレヴェーター係の制服とってん。ううわあっ,どんだけ不安なったか。

「ほな大将,はろてもらおか。おれも仕事もどらなあかん」

「おれ払わなあかんお金なんか一セントもないて,もう十回ぐらい言いましたやん。さっきこのひとに五ドル──」

「もうアホ言うな。はろてもらおか」

「なんでおれがあと五ドル払わなあかんのですか」おれ言うてん。声ずっとうわずとったわ。「これ詐欺さぎちゃいますのん」

モーリス,制服のコートのボタン全部はずしよってん。その下に着けてたん,パチもんのえりだけで,シャツもなんもとおれへんねん。腹て毛むくじゃらやったわ。「詐欺さぎやて人聞きの悪い」あいつ言いよってん。「はろてもらおか,大将」

「嫌です」

おれ言うたら,あいつ椅子から立って,おれのほう歩いてきよってん。めちゃくちゃめちゃくちゃだるい,めちゃくちゃめちゃくちゃおもんないいう顔しとったわ。どんだけ怖かったか。おれ,腕んでん。覚えてるわ。もしアホみたいにパジャマだけちゃうかったら,腕んだとこあんまかっこわるなかった思うわ。

はろてもらおか,大将」あいつ,おれ立ってるとこまで来よってん。それしかよう言わんねん。「はろてもらおか,大将」ホンマのアホやねん。

「嫌です」

「大将,ほなおれ,ちょっと手荒いことせなしゃあないわ。そんなんしたないけど,それしかなさそやな」あいつ言いよってん。「五ドル返して」

「借りなんかありませんやん」おれ言うてん。「そんなんしたら,おれめちゃくちゃでかい声しますよ。ホテル中のみんな起こしますよ。警察とか来ますよ」声,アホみたいに震えとったわ。

「やってみ。頭きとぶぐらいアホみたいにでかい声してみ。上等や」モーリス言いよってん。「一晩,売春婦といっしょにおったて親にばれんで。あんたみたいな上流のガキが」けっこう鋭かったわ,嫌なとこ突きよんねん。ホンマ鋭かったわ。

「もう帰ってください。最初っから十ドル言うてたら,こんなことなってませんやん。けど,はっきり言うてましたやん──」

はろてくれる気あんのん」あいつ,おれのことドア押しつけよってん。上からろしてくるみたいやったわ,汚いもじゃもじゃの腹して。

「もう帰ってくださいよ。部屋てってくださいよ」おれ言うてん。腕んだままやったわ。おれ,どんだけヘタレやねん。

ほしたらサニー初めて喋りよってん。「ねえ,モーリス。こいつの財布ってこようか」サニー,言いよってん。「なんとかのうえに置いてあるよ」

「おお,取ってきて」

「おれの財布さわんな!」

「もう持ってる」サニー,言いよってん。ほんで,おれに五ドルひらひら見せよってん。「見て。わたしが持っていくのは,あなたが払わなかった五ドルだけね。泥棒じゃないから」

ほんでおれ急に泣いてもてん。あんとき泣けへんかったことにしてくれるんやったら,おれなんでもするわ。けど泣いてもてん。「たしかにパクってへんわ」おれ言うてん。「おまえら強盗やんけ──」

「うっさい」モーリス言うて,おれのこと突きよってん。

「行こか,じゃ」サニー,言いよってん。「ね。もうお金もらったし。行こ。ね」

「分かった」モーリス,言うてん。けど行きよれへんねん。

「もうホントに,モーリス,ちょっと。こいつ,もうっとこ」

「だれも痛い目うてませんよね」あいつ,なあんもしてませんよいう声で言いよってん。ほんで,パジャマのうえからおれに思いっきりコンパチ入れよってん。どこに入れたかは言えへんけど,めちゃくちゃ痛かったわ。おまえ汚いアホじゃておれ言うてん。「なんやて」あいつ言いよってん。ほんで,聞こえへんかったみたいに,耳のうしろにてえあてよってん。「なんやて。おれがなんやて」

おれ,ずっと泣いとってん。頭アホみたいにぐじゃぐじゃなっとったわ。「おまえは汚いアホじゃ」おれ言うてん。「おまえ頭わる詐欺師さぎしのボケやんけ,二年もしたら,おまえなんかよぼよぼなってコーヒー代十セントめぐんでて道でひとに言うとおるわ。汚いコートで鼻いて──」

ほしたら,あいつ殴りよってん。おれけようともせんかってん,横にも下にも。腹にごっついパンチ来たん分かったわ。

けど,おれノック・アウトされたんちゃうねん,あのふたりドア出て閉めんの床からとったん覚えてるから。ほんでおれ,かなり長いこと床でじっとしとってん,ストラドレーターのときみたいに。けど,こんときは死ぬんちゃうかおもたわ。ホンマに。おぼれてるみたいな感じしてん。ろくに息でけへんかってん。やっと立ってバスルーム行こおもたら,腹さえて腰げんと歩かれへんかってん。

けどおれ頭おかしいねん。ホンマに。バスルーム行く途中で,おれ,腹に弾丸ろた真似まねしだしてん。モーリスが撃ちよったことにして。よっしゃ,おれいまバスルームでバーボンかなんかくっと一杯んで神経ちつかせてホンマの行動こすときや,いうことにしてん。ほんでバスルーム出てちゃんと服てオートマティック拳銃ポケット入れてアホみたいにちょっとふらっとすんねん。エレヴェーター使わんと,階段りんねん。手すりつかんで,ときどき口の端からちょっとちい出しながら。二,三階りて──腹さえて,あちこちちいらしながら──ほんでエレヴェーター呼ぶねん。モーリス扉けよったら,おれがオートマティック持って立ってんねん。あいつ,めちゃくちゃかんだかい根性なしの声で,助けてくださいて叫びよんねん。けど,おれ撃ったんねん。毛むくじゃらのデブの腹に六発。ほんで,エレヴェーターのシャフトにオートマティック捨てんねん──指紋とかいたあと。おれ部屋までうて帰って,電話でジェーン呼んで,腹に包帯いてもらうねん。おれがちい出て痛いとき,おれの煙草ジェーンに持っててもらうねん。

アホの映画やんけ。映画たらアホなるわ。マジで。

おれ一時間ほどバスルームで風呂はいってん。ほんで,またベッド入ってん。寝入るまでけっこう時間かかったけど──それでも眠たなかってん──結局たわ。けどホンマは自殺したかってん。窓から跳びおりたかったわ。墜落ついらくしたらすぐだれかおおいかけてくれるて分かってたら,たぶん跳びおりてた思うわ。ぐじゃぐじゃなったとこ,アホの野次やじうまに見られたないやん。

15

あんま長いこと寝られへんかってん。起きたらまだ十時ごろやった思うわ。煙草うたら,けっこう腹っててん。ブロサードとアクリーとエーガーズタウンに映画に行ったときハンバーガー二個うてから,なんも食うてへんかってん。そんなん昔の話やん。五十年ぐらい前のきいしたわ。すぐ横に電話あったから,下に電話して朝飯あさめし持ってきてもらおかおもてんけど,ほんだらモーリス持ってきよるかもしれんやん。おれがまたモーリスに会いとうてたまらん思うやつおったら,きいくるてるやろ。せやから,しばらくベッドでうだうだして,また煙草うてん。ジェーンとこ電話して,もう家かえってるかどうか訊こかおもたけど,そんなきいなれへんかってん。

ほんで,サリー・ヘーズに電話してん。あいつ,メアリー・A・ウッドラフ行っとって,二週間ぐらい前に手紙とったから,もう家おんのは分かっててん。べつに好きとかちゃうかったけど,ずっと前から知りあいやってん。あいつかなり頭ええて,おれ前おもとってん。おれアホやったわ。そうおもとったん,あいつ演劇とか文学とかそういうんけっこういろいろ知っとったからやねん。そんなんいろいろ知ってるやつおったら,ホンマはアホかどうか分かるまでかなり時間かかんねん。おれ,サリーがアホて分かるまで何年もかかったわ。もしアホみたいにペッティングとかそんなんしてへんかったら,もうちょいよ分かった思うわ。問題は,おれ,自分がペッティングした相手のこと,いっつもけっこう頭ええおもてまうことやねん。そんなん関係ないはずやのに,なんでかそうおもてまうねん。

とにかく,あいつに電話してん。まずメード出て,ほんでお父さん出て。ほんで,あいつ出てん。「サリーか?」おれ言うてん。

「はい──どちらさまですか」あいつ言いよってん。なんかパチもんみたいやったわ。さっきお父さんに,おれて言うたのに。

「おれ。ホールデン・コールフィールドやん。元気か?」

「ホールデン! わたしは元気ですよ! お元気ですか?」

「ばっちりや。な,いまどうしてるん? 学校は,もうええの?」

「ええよ」あいつ言うてん。「てゆか──知ってるやん」

「ばっちりや。なあ,今日いそがしい? 今日,日曜やけど,日曜でもいっつもどっかでマティネやってるやん。慈善じぜん公演とか。行けへん?」

「行きたい。素敵」

素敵。おれ嫌いな単語ひとつあるとしたら,素敵グランドやわ。パチもんやん。一秒間,もうマティネのこと忘れてくれ言いかけたわ。けど,しばらくだらだら喋っとってん。てか,あいつが喋っとってん。口はさまれへんかったわ。まずハーヴァードのやつのはなししよってん──たぶん一回生いっかいせいやろけど,そんなん言いよれへんかったわ,当然──めちゃくちゃせまってきよんねんて。夜も昼も電話してくんねんて。夜も昼も──マジびびったわ。ほんで次にウェスト・ポイントの士官しかん候補生こうほせいはなししよってん。そいつ,サリーのためやったら死んでもええ言いよってんて。かなんで。おれら,二時にビルトモアの時計んとこで待ちあわせしてん。芝居たぶん二時半に始まるから遅れんといてや言うてん。サリーいっつも遅刻しよんねん。ほんで電話ってん。サリー,ケツからぶりぶりて出したろかおもたけど,めちゃくちゃ美人やねん。

サリーとデート約束して,おれベッド出て服て荷物まとめてん。部屋るとき窓の外て,あの変態のやつらどうしてんのか確かめよおもてんけど,みんなシェードろしとったわ。午前中はつつしんどおんねん。ほんでエレヴェーターで下りてチェック・アウトしてん。モーリス見かけへんかったわ。まあ首きょろきょろして必死で探したわけちゃうけど。

ホテルの外でタクシー乗ってんけど,どこ行くかアホみたいにぜんぜん考えてへんかってん。行くとこなかってん。まだ日曜やったから,水曜までうち帰られへんし──どんなにようても火曜までは。また別のホテル行って頭おかしなりたなかったし。せやから,グランド・セントラル・ステーション行ってて運転手に言うてん。そこやったら,サリーと待ちあわせしてるビルトモア近いし,鍵いた金庫に荷物れといて朝飯あさめし食えるおもてん。おれ腹っとってん。タクシーんなかで財布してカネ数えたら,なんぼ持ってたか正確には忘れたけど,大金たいきんちゃうかったわ。カスみたいな二週間でやけくそなって使つこうてもうててん。ホンマ。おれホンマ,アホみたいに無駄むだづかいしてまうねん。無駄むだづかいせんでも,無駄にしてまうねん。レストランとかナイト・クラブとかで半分ぐらい,もらうん忘れてまうねん。それで,おとんとおかんいっつも怒りよんねん。しゃあないわ。けど,おとん,けっこう金持ちやねん。どれぐらいかせいどおるんかおれも知らんけど──おとん,そんなことおれに言えへんから──かなりや思うわ。会社の弁護士やねん。ホンマごそっと持っていってるわ。もうひとつ,おれ知ってんのは,おとんいっつもブロードウェーのショーに投資しとんねん。けど,いっつもこけるから,投資したらおかん怒りよんねん。アリー死んでから,おかん具合ぐあいうないねん。めちゃくちゃぴりぴりしてんねん。それもあって,おれ,また退学なったておかんに知られたなかってん。

駅の金庫にカバン入れて,サンドウィッチの店はいって朝飯あさめし食うてん。かなり食うたわ,おれにしては──オレンジ・ジュース,ベーコン・アンド・エッグズ,トースト,コーヒー。ふつうやったらオレンジ・ジュース飲むだけやねんけど。おれ小食しょうしょくやねん。ホンマに。せやからアホみたいにガリガリやねん。体重やさなあかんから澱粉でんぷんとかいっぱいらなあかんて食事指導けとってんけど,ぜんぜんやってへんかってん。どっか外たときは,たいがいスイス・チーズのサンドウィッチと麦芽ばくがにゅうぐらいやわ。量はおおないけど,麦芽ばくがにゅうにヴィタミンいっぱい入ってるやろ。H.V.コールフィールド。ホールデン・ヴァイタミン・コールフィールドやねん。

うてたら,スーツケース持って尼さんふたり入ってきて──どっかの女子修道院くのに列車ってんねやろて,はじめおもてんけど──ほんでカウンターのおれの隣の席すわってん。スーツケースどうしょうか困ってるみたいやったから,おれ手伝てつどうてん。めちゃくちゃ貧乏くさいスーツケースやったわ──本物のかわとか使つこてへんやつ。そんなん重要ちゃういうんは分かってるけど,おれ,だれかが安もんのスーツケース持ってんのん嫌いやねん。こんなこと言うたらなんやけど,おれ,だれかが安もんのスーツケース持ってたら,それ見るだけで,そいつのこといやなってまうねん。前にエルクトン・ヒルズおったとき,おれしばらくディック・スレーグルいうやつといっしょの部屋なって,そいつめちゃくちゃ安もんのスーツケース持っとってん。ほんでスーツケース,たな置かんとベッドの下れとおってん。おれのんと並んでるとこ見られたないから。おれ悲しなって,自分のん捨てよかなとか,交換しょうかとかずっとおもとってん。おれのんはマーク・クロスのやつで,本物の牛革製ぎゅうがわせいで,けっこうした思うわ。けど,おもろかったわ。なに起こったか言おか。おれ結局,スーツケースたなからおろしてベッドの下れてん。スレーグルがアホみたいな劣等コンプレックス持たんでええように。ほしたら,そいつなにした思う。おれがベッドの下れた次のひい,そいつ,それ出してたな置きよってん。なんでそんなんしたんかしばらく分からんかってんけど,そいつ,そのカバン,おれのんやてみんなに思わせようしとってん。ホンマに。そんなことやるおかしいやつやってん。たとえば,おれのスーツケースのこと,いっつも偉そうになんか言うとったわ。おれのんは新しすぎてブルジョワ趣味やてずっと言うとったわ。そいつ,その言葉アホみたいに好きやってん。どっかで読んだか聞いたんやろな。おれの持ってるもん,なんでもめちゃめちゃブルジョワ趣味うとったわ。万年筆かてブルジョワ趣味やねん。そいつ,いっつもおれのん貸して言うて使つことってんけど,それでもブルジョワ趣味やねん。そいつとは,二か月ぐらいしか同室ちゃうかってん。ふたりとも別の部屋うつりたいて希望してん。おもろかったんは,おれ部屋うつってから,そいつおれへんの淋しなってん。そいつ,ユーモアのセンスあったし,めちゃくちゃおもろいことあったし。あいつも淋しがっとったとしても,おれ不思議ちゃうわ。はじめ,そいつ冗談でおれの持ちもんブルジョワ趣味うてただけやねん。ほんでおれも文句えへんかってん──実際,おもろかったし。けどしばらくしたら,それ冗談ちゃうようなってん。問題は,相手よりずっとええスーツケース持ってたら,そいつとルームメートなんのんホンマたいへんいうことやねん──自分のんがホンマええやつで,相手のんがそうちゃうかったら。相手が頭ええやつでユーモアのセンスあるやつやったら,どっちがええスーツケース持ってても,そんなことで文句えへん思うやん──けど言うねん。ホンマに。おれ,なんでストラドレーターみたいなアホと同室やったかて,それがひとつの理由やってん。あいつのんは,すくなくとも,おれのんとおんなじぐらいええやつやったから。

とにかく,尼さんふたり,おれの隣すわって,はなししてん。おれのすぐ隣の尼さん,クリスマスの時期に尼さんとか救世軍きゅうせいぐんこおとかが募金するとき使つこてるみたいなわらかご持っとってん。募金て,でっかい百貨店の前とかでやってるやん,五番街とかの。おれの隣の尼さん,それ床としたから,おれてえ伸ばしてひろたってん。募金とかしてはるんですかて訊いたら,いえ違うんです言いはってん。荷物めたときスーツケースはいれへんかったから,手で持っとってんて。おれの顔て,ええ感じで笑いはってん。鼻でかかったし,あんまりえせん鉄縁てつぶちの眼鏡かけとったけど,優しい感じの顔しとってん。「募金してはんのかとおもてました」おれ言うてん。「それやったら,ちょっと献金させてもらおおもてたんです。なんでしたら,こんど募金しはるときのために,お金あずけときます」

「ご親切なこと」尼さん言わはってん。友だちの,もうひとりの尼さんも,こっちはったわ。そっちの尼さん,コーヒー飲みながら黒い小さい本んどってん。聖書みたいやったけど,それにしては薄かったわ。けど,聖書みたいな本やってん。ふたりとも,食べてはったんトーストとコーヒーだけやってん。悲しなったわ。おれがベーコン・アンド・エッグズかなんか食うてるとき,ほかのだれかがトーストとコーヒーだけとかいうの,おれ嫌やねん。

その尼さんら,おれが十ドル献金したら受けとってくれはってん。こんなに大丈夫ですかてずっと訊いてきはったから,ぼくいまかなりカネ持ってるんで大丈夫です言うたけど,信じてなかった思うわ。けど結局,受けとってくれはってん。ふたりにものごっつお礼われて焦ったわ。おれ話題えて,いまからどこ行かはるんですかて訊いてん。その尼さんら,学校の先生で,ちょうどシカゴから着いたばっかりで,百六十八丁目か百八十六丁目か,とにかくめちゃくちゃアップタウンの女子修道院く言うてはったわ。鉄縁てつぶちの眼鏡かけた,おれの隣の尼さん,英語の先生で,友だちの尼さん,歴史とアメリカ政治の先生や言うてはったわ。それ聞いておれ,隣の,英語おしえてるほうの尼さん,授業でいろいろ本むとき,自分が尼さんいうことどうおもてはんねやろてアホみたいに気になってん。スケベエなこと書いたある本やのうても,愛人とか出てくる本あるやん。たとえば,トマス・ハーディーの『帰郷』に出てくるユーステーシア・ヴァイとか。あれはそんなスケベエなことないけど,尼さんがユーステーシアのこと読んでどう思うねやろて気になってしゃあないやん。けど,そんなこと言えへんかったわ,当然。しゃあないから,ぼく英語がいちばん得意な教科です言うてん。

「まあほんまですか。うれしいわあ」眼鏡かけた英語の先生のほうが言いはってん。「今年はどんな本みはったんですか。もしよかったら教えてくれませんか」ホンマ感じよかったわ。

「えーと,ほとんどアングロ-サクソンのもんでした。ベオウルフとか,グレンデルとか,ロード・ランダル・マイ・サンとか,そういうやつです。けど,ときどき選択単位でほかに本まなあかんかったんで,トマス・ハーディーの『帰郷』とか,『ロミオとジュリエット』とか,『ジュリアス──」

「まあ,『ロミオとジュリエット』! わたし大好き! どうでした?」ぜんぜん尼さんみたいな口調くちょうちゃうかったわ。

「ええ,よかったです。ぼくも好きなとこいっぱいありました。あんまり好きなられへんとこも二,三ありましたけど,全体としては感動しました」

「どういうところがお気に召しませんでしたか? 覚えてはります?」

ホンマのこと言うと,その尼さんに『ロミオとジュリエット』のこと言うの,ある意味あせってん。けっこうスケベエなとこあるやん。尼さん相手やし。けど,むこうが訊いてきてんから,おれ言うてみてん。「えーと,ロミオとジュリエットはどっちでもええんですけど」おれ言うてん。「そのふたりは好きですよ,けど──分からん。あのふたり,ときどき気にさわるんですよ。ぼく,ロミオとジュリエットが死んだときより,マキューシオが死んだときのほうが可哀そうや思いました。マキューシオがジュリエットのいとこに刺されたあと,ぼくロミオのこと好きになられへんかったんです──あのいとこ,名前なんでしたっけ?」

「ティボルト」

「そうです,ティボルト」おれ言うてん──おれいっつもそいつの名前わすれんねん。「あれ,ロミオのせいですやん。あの芝居で,ぼくマキューシオがいちばん好きです。分からん。モンタギュー家とキャピュレット家の人らは,ええと思います──とくにジュリエットは──けどマキューシオは──ちょっと説明しにくいんですけど。マキューシオ,めちゃくちゃ頭ええし,ひとに喜んでもらおうてきいあるやないですか。問題は,だれかが殺されて──とくに,その殺されたひとが,めちゃくちゃ頭うて,ひとに喜んでもらおうてきいあるとして──それがほかのだれかのせいやったりしたら,ぼく腹つんです。ロミオとジュリエットは,すくなくとも自分らのせいですよね」

「どちらの学校にかよてはるの?」尼さん,訊いてん。たぶん,ロミオとジュリエットの話題えたかったんや思うわ。

ペンシーです言うたら,聞いたことあります言うてはったわ。ええ学校ですね言いはってん。けどおれ,それ受けながしてん。ほしたら,もうひとりの,歴史と政治の先生のほうが,そろそろ急がんとて言いはってん。おれ,尼さんらの勘定かんじょう取ってんけど,払わしてもらわれへんかったわ。眼鏡かけた尼さんが,そんなんあきません言いはってん。

「そんなことしてくれはらんでも十分に心の広いおかた」尼さん言いはってん。「こう青年せいねんやこと」感じよかったわ。おれちょっと,アーネスト・モローのお母さん思いだしたわ,汽車でうた。とくにわろたとき。「お話できて楽しかったです」尼さん言いはってん。

こちらこそいろいろお話させてもろて楽しかったですて,おれ言うてん。本気で言うてん。けどおれ,はなししてるあいだずっと,尼さん急におれがカトリックかどうか確かめようすんちゃうかて心配しとったから,もしそれなかったら,もっと楽しかった思うわ。カトリックていっつも,相手がカトリックかどうか確かめようてするやん。おれ,そういうことようあんねん。分かってんねん,名字アイルランド系やし,アイルランド系の子孫てだいたいカトリックやん。実際,うちのおとんカトリックやってん。おかんと結婚するときめてんけど。けどカトリックて,相手の名字らんでも,相手がカトリックかどうか確かめようてすんで。ウートン高校でルイス・シェーニーいうカトリックのやつおってん。あそこで,おれいっちゃん最初にはなししたやつやねん。学校の初日に,そいつとおれ,アホみたいに保健室の外の先頭の椅子ならんで座って,身体検査っとってん。ほんで,テニスのはなししてん。そいつテニスきで,おれもそうやってん。そいつ,毎年夏にフォレスト・ヒルズに全米選手権に行ってる言うから,おれも行ってる言うて,しばらくすごいテニス選手のはなししとってん。そいつ,テニスのこといろいろ知ってたわ,あのぐらいの年齢としこおにしては。ホンマに。けど,しばらくして,そんなはなししてるさいちゅうアホみたいに急に,「もしかしてやけど,ここの町,どこにカトリック教会あんのか知らんかな」て訊いてきよってん。そんなん訊いて,おれがカトリックかどうか確かめようてしてたんや思うわ。ホンマ。そいつが偏見へんけん持ってたとかそんなんやのうて,ただ知りたかったんや思うわ。テニスのおもろいはなししとったけど,もしおれがカトリックやったとしたら,もっと楽しかったんや思うわ。そんなん,おれ腹つねん。そのせいで会話,台無しなったとは言えへんけど──それはちゃうわ──そんなん,ええことなんもないやん。せやから,その尼さんらおれにカトリックかどうか訊けへんかったん嬉しかってん。もし訊かれたとしても,会話りあがれへんいうことなかった思うけど,たぶん感じ変わった思うねん。カトリック悪い言うてるんちゃうねんで。それはちがうわ。もしおれがカトリックやったとしたら,おれもそうするかもしれんわ。ある意味,さっき言うたスーツケースみたいなもんやねん。そういうの会話の邪魔やて,おれ言いたいだけやねん。それだけやねん。

尼さんふたり席ったとき,おれアホな,気まずいことしてもうてん。おれ煙草うとって,さようなら言おおもておれも席ったら,間違まちごうて尼さんらの顔に煙きかけてもてん。おれ,きちがいみたいにあやまって,尼さんら気にしてへん感じやったけど,とにかくめちゃくちゃ気まずかったわ。

ふたり出ていったあと,おれ十ドルしか献金せえへんかったこと申しわけないおもたわ。おれ,サリー・ヘーズとマティネ行く約束しとったから,入場券とか買うのにカネ残しとかなあかんかってん。けど,申しわけないおもたわ。カネてムカつくわ。カネからんだら,いっつもめちゃめちゃきいおもなんねん。

16

朝飯あさめし食うてもまだ十二時ごろやったわ。二時にサリーに会うまですることなかったから,おれぶらぶら歩いてん。さっきの尼さんらのこと,頭から離れへんかったわ。あの尼さんら学校で授業してへんとき募金に使つこてる,よれよれのわらかごのこと,ずっと考えとってん。うちのおかんとかだれか,うちの叔母さんとか,サリー・ヘーズのすぐ怒るお母さんとか,どっか百貨店の外ってよれよれの古いわらかごめぐまれへんひとらのために募金してるとこ想像してみよおもてんけど,そんなん無理やったわ。うちのおかんはまだなんとか想像ついたけど,あとのふたりが想像でけへんねん。おれの叔母さん,けっこう慈善じぜん活動やってんねん──赤十字せきじゅうじ活動とかそういうやつ──けど,めちゃくちゃええ服てんねん。なんか慈善じぜん活動するとき,いっつもめちゃくちゃええ服て口紅とかそんなん塗っとおんねん。黒い服て,口紅ったあかん言われたとしたら,あの叔母さん慈善じぜん活動してんの想像でけへんわ。サリー・ヘーズのお母さんもそうやわ。ムカつくわ。あのお母さんにかご持って募金してもらおおもたら,みんなカネ出すときあのお母さんのケツにキスするしかないで。もしみんなかごにお金れるだけで,あのお母さんのこと無視してなんも言わんと歩いていくだけやったら,一時間ほどで募金める思うわ。おもんのうなんねん。だれかにかご渡して,どっか気取ったとこ昼飯ひるめし食いに行くわ。せやから,おれ,あの尼さんらのこと気に入ってん。たとえば,あのひとら,気取ったとこひるごはん食べに行ったりせえへんやん。そうおもたらアホみたいに悲しなったわ,あの尼さんらが気取ったとこひるごはん食べに行けへんいうの。そんなん重要ちゃうて分かってたけど,悲しなってん。

おれブロードウェーのほう歩いとってん。とくに理由なかったけど,もう何年も行ってなかったし。それと,日曜に開いてるレコード屋どっかないかなおもとってん。フィービーにレコードうたろおもてん,「リトル・シャーリー・ビーンズ」いうのん。なかなか売ってへんレコードやねんけど。女の子が,前歯二本けたん恥ずかしいから外たないいう歌やねん。ペンシーで聞いてん。隣の階のやつがレコード持ってて,これフィービー気に入るわおもて,レコード売ってくれてそいつに頼んでんけど,売ってくれへんかってん。二十年ぐらい前た古いレコードで,エステル・フレッチャーいう黒人の女の歌手うとてんねん。ディキシーランド風に,売春窟ばいしゅんくつ風にうとてんねんけど,ぜんぜんどろどろしてへんねん。もし白人の女うとてたらめちゃめちゃかわいい歌いかたしてた思うけど,エステル・フレッチャーはちゃんと自分のやってること分かってて,おれいままで聞いたなかでもかなりええレコードやったわ。どっか日曜でもやってる店でそれうて,公園ザ・パークまで持っていこおもとってん。日曜やったから。日曜やったら,フィービーだいたい公園ザ・パークでローラースケートやってんねん。だいたいどのへんでやってるか分かってたし。

前の日ほどさむなかったけど,あいかわらずひい出てへんかったし,あんま歩くんに向いてる天気ちゃうかったわ。けど,ええことあってん。どっかの教会から帰りの家族,おれの前あるいとってん──お父さんとお母さんと六歳ぐらいのこおと。貧乏そうやったわ。お父さん,真珠色の帽子かぶっとってん,貧乏なひとがええ服るときにようかぶるやつ。お父さんとお母さん,はなししながら歩いてて,子どものこと見てへんかってん。そのこお,ばっちりやってん。そのこお,歩道あるかんと車道あるいとってん,縁石えんせきのぎりぎり近くのとこ。まっすぐな線のうえ歩いてるつもりなっとってん。そんなん,子どもようやるやん。ほんで,ずっとうたうとたりハミングしたりしとってん。なにうとてんねやおもて近寄ったら,「ライ麦け来る子とらわば」てやつうととってん。かなり小さい声でうととってん。なんとなくうととっただけや思うわ。車ぶーん通っていくし,あちこちでブレーキきいきい鳴ってるし,親はその子のこと気にしてへんし,ほんでそのこお縁石えんせきぎりぎりのとこで「ライ麦け来る子とらわば」てうととってん。おれちょっときい楽なったわ。もうあんま悲しなくなってん。

ブロードウェー,ひといっぱいでごちゃごちゃしとったわ。日曜で,まだ十二時ごろやったけど,それでも混んどってん。みんな映画に行くとこやってん──パラマウントとかアスターとかストランドとかキャピトルとかそんなアホみたいなとこ。みんな,ええ服とったわ,日曜やったから,せやから余計よけ嫌やったわ。けど最悪やったんは,みんな本気で映画きたそうにしとったことやねん。おれ,そんなやつら見てんの我慢でけへんねん。ほかになんもすることないから映画くいうんやったらまだ分かるで,けどホンマに映画たいとか,よ行きたいから速足で歩くやつとかおったら,おれめちゃめちゃ悲しなんねん。とくに,そこのブロックの向こうのほうまで何百万人も長い行列つくって,辛抱して席ろてしてんの見たら。ううわあっ,おれちょっとでもよアホなブロードウェーから離れたかったわ。おれ,ついとってん。一軒目はいったレコード屋で,「リトル・シャーリー・ビーンズ」売っとってん。なかなか売ってへんから五ドルしてんけど,そんなん気になれへんかったわ。ううわあっ,おれ急にどんだけ嬉しなったか。おれよフィービーにレコードあげたかったから,公園ザ・パークにフィービーおるかすぐ見に行きたなってん。

レコード屋たらドラッグストアあったから入ってん。ちょっとジェーンに電話して,もう休みで家おるかどうか確かめよおもてん。ほんで電話ボックス入って電話してん。せやけど,むこうのお母さん出てもうてん。しゃあないから切ったわ。あのお母さんに長い話きこまれんの嫌やってん。おれ,女のお母さんとはなしすんの,あんま好きちゃうねん。けど,ジェーン家おるかどうかだけでも訊くべきやった思うわ。それぐらいやったら,びびらんと訊けた思うわ。けど,そんなきいなれへんかってん。そのきいならなホンマそんなんでけへんわ。

おれまだ劇場の切符うてなかったから,アホみたいに新聞うて芝居なにやってるか調べてん。日曜やったから,三つぐらいしかやってへんかってん。せやから,おれ『アイ・ノウ・マイ・ラヴ』の窓口ってオーケストラ席二枚うてん。慈善じぜん公演かなんかやったわ。おれあんま見たなかったけど,サリー,パチもんの女王やから,その切符あんで言うたら,よだれだらだららしよるやろおもてん。ラントとか出とったから。お洒落で切れあるいうことなってる芝居,サリー好きやねん。ラントとか出とおるやつ。おれちゃうで。おれ,そもそも芝居あんま好きちゃうねん,マジで。映画ほど嫌いちゃうけど,大騒ぎするほどのもんちゃうわ。そもそもおれ,俳優きらいやねん。あいつら,ふつうの人間みたいな演技せえへんやん。自分ではしてるおもてるだけやん。そら上手い俳優は,ちょっとええなあ思うけど,それも見てておもんないねん。ホンマに上手い俳優て,自分が上手いて自分で分かってるやん。そうおもたら,おれもうあかんねん。たとえばローレンス・オリヴィエきょう。おれ『ハムレット』で見てん。D.B.が去年フィービーとおれ連れてってくれて,始まる前に昼飯ひるめしおごってくれてん。D.B.それもう見とって,昼飯ひるめし食いながら話いとったら,おれもめちゃめちゃ見たなってん。けど,あんまおもんなかったわ。単純に,ローレンス・オリヴィエきょうのなにがすごいんか,おれよう分からんねん。たしかにええ声してるし,めちゃめちゃ男前やし,歩いてるとことか剣さばいてるとことか見てたらええ感じやわ。けど,D.B.言うてたハムレットとぜんぜんちゃうかってん。悲しみに満ちた,精神的に不安定な人間いうより,なんかどっかの将軍みたいやったわ。あの映画全体でいっちゃんよかったん,オフィーリアの兄貴が──最後にハムレットと剣術けんじゅつ試合じあいするやつ──あいつ行こうてしてんのに,おとんがなんやかんや忠告してるとこやわ。おとん忠告してるあいだ,オフィーリア,兄貴の剣,さやから出したりしておちょくりよんねん。兄貴,一生懸命おとんのはなし真剣に聞いてるふりしてんのに。あれはよかったわ。おもろかったわ。けど,そんなん,ちょっとしかなかってん。フィービーええおもたんは,ハムレット犬の頭たたいたとこだけやってんて。あれはおもしろいしええおもた言うとったし,実際そうやったわ。おれ,あの戯曲ぎきょく読まなあかんおもてんねん。おれいっつも,そういうの自分で読まなあかんねん。役者が演技してるとき,なに言うてるかおれほとんど聞いてへんねん。役者がパチもんみたいなことしよるんちゃうかて,いっつも心配してまうから。

ラントの芝居の切符うたあと,おれタクシーで公園ザ・パーク行ってん。カネちょっと減っとったから地下鉄とか乗ったほうがよかってんけど,できるだけよアホみたいなブロードウェー離れたかってん。

公園ザ・パークカスみたいやったわ。あんま寒なかったけど,やっぱりひい出てなかったし,犬のふんと年寄りが吐いたどろどろのつばと葉巻の吸いがら以外,なんもない感じやったし,ベンチ全部,座ったらケツ濡れそうやってん。悲しなったわ。ときどき,わけわからんけど,歩いてたらサブイボ立ったわ。クリスマスるて感じ,ぜんぜんなかってん。来そうなもんなんか,なんもなかってん。けど,とにかくおれ,モールのほう歩いてってん。フィービー公園ザ・パークおるとき,だいたいそのへんおるから。フィービー,野外音楽堂の近くでスケートすんの好きやねん。おもろいわ。そこ,おれも小さいときようスケートしとったとこやねん。

けど,そこ行ってもフィービーおれへんかってん。子ども何人かスケートしとったし,男のこおふたりソフトボールでフライ投げしとったけど,フィービーおれへんかってん。けどフィービーとおんなじぐらいの年齢としの女のこお,ひとりでベンチ座ってスケートの底のネジめとってん。そのこおやったらフィービーのこと知ってて,どこおんのか分かるかもしれんおもて,そのこおんとこ行って隣すわって訊いてん。「ひょっとして,フィービー・コールフィールドて知らん?」

「だれ」そのこお,言うてん。そのこお,ジーンズと,セーター二十着ぐらい着とったわ。お母さんがんだんや思うわ,めちゃめちゃぼこぼこやったから。

「フィービー・コールフィールド。七十一丁目の。四年生よねんで──」

「フィービー知ってんの?」

「うん,おれ兄貴やねん。フィービーいまどこおるか知らん?」

「キャロン先生のくみやんなあ」そのこお,言うてん。

「分からん。いや,そうや思うわ」

「ほたミュージアムちゃうかあ。こないだの土曜うちら行ったし」そのこお,言うてん。

「どっちのミュージアム?」おれ訊いてん。

そのこお,困ったなあいう恰好かっこしてん。「知らん」そのこお,言うてん。「ミュ,ウ,ジ,ア,ム」

「そら分かってんねんけど,ええあるほうか,インディアンおるほうか,どっち」

「インディアンのほう」

「ありがとう」おれ言うてん。ほんで立って行きかけてんけど,その日,日曜やて思いだしてん。「今日,日曜やで」おれ,その子に言うてん。

そのこお,顔げて,おれのほう見てん。「ほな,おれへんな」

そのこお,スケートの底のネジめるん,めちゃめちゃ時間かかっとってん。手袋してへんかったから,両手,あかぎれみたいなって冷たそうやったわ。おれ手伝てつどうたってん。ううわあっ,スケート・キーなんか持つの何年ぶりやったか。けど,おかしい思えへんかったわ。いまから五十年後に,真っ暗んなかでスケート・キー渡されたとしても,それなにかおれ分かる思うわ。おれネジめたったら,そのこお,ありがとう言いよってん。ええ感じの,行儀ええこおやったわ。スケートのネジ締めたったらその子がええ感じで行儀ええの,おれ好きやねん。たいていの子はそうやで。ホンマ。おれ,その子にココアかなんか飲みに行けへんてさそてんけど,ありがとうございます,けど結構です言いよってん。友だちに会わなあかん言うとったわ。子どもて,いっつも友だちに会わなあかんねん。びびるわ。

日曜やったし,フィービー学校のこおらと行ってるいうことなかったし,そと湿気ててカスみたいやったけど,おれ歩いて自然史博物館まで行ってみてん。そこが,スケート・キーのこお言うとったミュージアムやってん。自然史博物館ったらなにあるか,おれ全部おぼえてるわ。フィービー,おれ子どもんときかよとったんとおんなじ学校かよとってん。おれら,いっつもあっこ行っとってん。おれらんときはエーグルティンガー先生いうんがおって,アホみたいに毎週土曜おれら連れていかれてん。動物たときもあったし,大昔インディアン作ったなんか見たときもあったし。陶器とうきとかわらかごとかそういうやつ。めちゃくちゃ懐かしいわ,ええ思いでやわ。いまはなししてても懐かしなるわ。インディアンのやつ全部たら,そのあとたいていでっかい視聴室で映画んねん,思いだしたわ。コロンブス。いっつもコロンブス,アメリカ発見する映画やってんねん,フェルナンドとイサベルに船うお金してもらうんめちゃめちゃ苦労したとか,船乗りがコロンブスに反乱こしたとかいうやつ。みんなコロンブスはどうでもよかってんけど,みんないっつもあめとかガムとかそんなんいっぱい持ってきてるから,視聴室ええにおいしとってん。いっつも,外あめ降っとって,ホンマは降ってのうてもな,ほんで世界で雨に濡れんでええさっぱりしたとこここだけ,みたいなにおいしとってん。おれ,あのアホみたいな博物館きやったわ。視聴室おもたらインディアン室とおらなあかんかってん。長い長い部屋で,そこ大きい声したらあかんねん。先生先頭せんとうなって,生徒いていくねん。生徒,二列なって,男女二人一組なんねん。おれたいていガートルード・レヴィーンいうやつとくみなってん。そいついっつもてえ握ってきよんねんけど,そいつのてえいっつも,べとべとか,じわっと汗かいてるか,そんなんやってん。ゆか全部いしで,ビーだん何個か持ってて落としたら,床のあっちこっちにパンパンてきちがいみたいにねてって,めちゃめちゃ大騒ぎなんねん。ほしたら,先生れつ止めて,なにあったんて見に後ろのほうんねん。エーグルティンガー先生,けど怒ったことなかったわ。ほんでインディアンが戦い出るときの長い長いカヌーの前とおんねん,キャディラック,アホみたいに三台並べたぐらいの長さで,インディアン二十人ぐらい乗っとって,カヌーいでるやつもおるし,いかつい顔で立ってるだけのやつもおって,みんな顔に戦闘用の化粧してんねん。カヌーの後ろのほうにおけみたいなやつおって,仮面けとおんねん。そいつ呪術じゅじゅつやねん。なんやこいつてびっくりしたけど,なんか好きやったわ。ほんで,だれか歩いててかいかなんかさわったら,警備のおっさん「さわったらあきまへんでえ」言いよんねん。それ,いっつも感じええ声で,アホのおまわりみたいちゃうねん。ほんで,でっかいガラス・ケースの前とおんねんけど,そんなかでインディアン木の枝こすってひいおこしたり,嫁さん毛布ったりしとおんねん。その毛布ってる嫁さん,ちょっとまえかがみなっとって,乳とか見えんねん。おれらみんな,こそっとそれ見に行ってん。女も見とったわ。そのころは子どもやから,女子かておれらとおんなじような胸しとったから。ほんで,視聴室はいるほん手前,扉んとこにエスキモーおんねん。凍った池に穴けて座って魚っとおんねん。穴の横に魚二匹ぐらいおんねん。そいつ釣ったやつ。ううわあっ,あの博物館,ガラス・ケースだらけやで。上の階ったらもっとあんもん。水きでるとこで鹿みず飲んでるやつとか,冬なって鳥みなみのほう飛んでいくやつとか。手前のほうの鳥,剥製はくせい針金はりがねったあんねんけど,後ろのほうのん壁にいたあんねん。けどみんなホンマに南のほう飛んでるように見えんねん。ほんで,体げて頭したにしてさかさまから見たら,もっと急いで飛んでるみたいに見えんねん。けどあの博物館のいっちゃんええとこ,いつ行ってもみんなちゃんと元の場所いたあることやわ。だれも動かそうてせえへんねん。あっこ十万回っても,エスキモー魚二匹ったとこやし,鳥ずっと南に飛んでるとこやし,鹿ちいさい角やして細い脚で立ってやっぱり湧水わきみず飲んどおるし,乳えてる嫁さんあいかわらずおんなじ毛布っとおんねん。だれも変わろてしてへんねん。唯一わってるもんあるとしたら,自分やねん。自分が昔と比べて年とったとか,そういうことちゃうねん。そういう意味ちゃうねん,ぜんぜん。ただ自分だけは前とちゃうねん。今回はオーヴァーコート着て来たとか。前に二人一組なったやつが猩紅熱しょうこうねつかかって,今回は別のやつとくみなってるとか。エーグルティンガー先生やのうて,代理の先生引率いんそつしてるとか。それか,おかんとおとんバスルームですごい喧嘩けんかしてる声いてもたとか。それか,道の水たまりでガソリンの虹たとか。なんか前とちゃうとこあるやん──なんて言うてええんか分からんけど。まあ,もし言えたとしても,そんなん説明するきいせえへん思うけど。

おれ歩きながらポケットからハンティング帽してかぶってん。おれのこと知ってるやつ,だれにも会えへんやろおもたし,外きり出とったし。ほんでずっと歩いて,フィービーがおれみたいに土曜にあの博物館くん想像しとってん。おれ見たんとおんなじもんフィービーどう見てんねやろとか,それ見るたびフィービーどう変わってんねやろとか。悲しなることはなかったけど,想像してみて,めちゃめちゃええことは思いつけへんかったわ。そこにいまあるとおりに,ずっとあらなあかんもんてあんねん。そういうもんは,でっかいガラス・ケース入れてみんなそのまましとけるようにしたらええねん。そんなん無理やいうんは分かるけど,そんなんひどすぎるやん。とにかく,そんなこと考えながら歩いとってん。

子どもの遊び場んとこで小さいこおふたりシーソー乗っとって,おれ止まって見とってん。ひとりのこおデブやったから,せてるほうのこおの端んとこ手で押して釣りあうようにしたってんけど,その子ら,おれが横におんのん嫌そうやったから,また歩いていってん。

そのあと,おもろかったわ。博物館いたら,おれ急に,百万ドルやるわ言われても中はいる気せえへんようなってん。入る気せえへんかってん──ここまでずっとアホみたいに公園ザ・パークんなか歩いてきて,この博物館のこといろいろ思いだしたりしとったのに。もしフィービーおったとしたら中はいってたやろけど,おれへんかったし。せやから博物館の前でタクシーひろてビルトモア行ってん。あんま行きたなかったけど,アホみたいにサリーと約束してもうたし。

17

ビルトモア着いてもまだ早かったんで,ロビーの時計のすぐ近くんとこでかわりの寝椅子ねいす座って,そこらおった女とってん。もう休みなってる学校いっぱいあったから,デートの相手んのん待って立ったり座ったりしてるこお百万人ぐらいおってん。脚んでるやつ,脚んでへんやつ,ええ脚してるやつ,カスみたいな脚のやつ,お嬢さんみたいに見えるやつ,知りおうたら根性わるそうなやつ。ホンマええながめやったわ,分かるやろ。けどある意味,悲しかってん。このあとこの子らどうなんねやろてずっと気になっとったから。高校とか大学たあと。たいがいのこお,たぶんアホなやつと結婚すんねん。おれのくるま一ガロンでどんだけ走るとかアホみたいにいっつも言うとおるやつとか,ゴルフでたたいたら子どもみたいにめちゃめちゃいらつきよるやつとか,ピンポンみたいなアホなゲームでもいらつくやつとか,めちゃくちゃずるいやつとか,本いっこも読めへんやつとか,めちゃくちゃおもんないやつとか──けど,それ言うとむつかしいわ。だれがおもんない言いだしたら。おれ,だれがおもんないやつかてよう分からんねん。ホンマ。エルクトン・ヒルズおったとき,二か月ぐらいハリス・マクリンいうやつと同室やってん。めちゃくちゃ頭かってんけど,おれいままでうたなかでもかなりおもんないやつやってん。めちゃくちゃガラガラの声してて,ずうっとなんか喋っとおんねん,ホンマ。ずっとなんか喋っとおんねんけど,そいつうっとおしいんは,そもそもだれも聞きたないことばっかり言うとおんねん。けど,いっこすごいとこあってん。そいつ,おれ知ってるなかでいっちゃん口笛上手うまいねん。ベッド直してるときとか,クローゼットになんか吊るしてるときとか──そいつ,いっつもクローゼットになんか吊るしとってん──むかついたわ──そういうとき口笛いとおってん,ガラガラごえで喋ってへんかったら。クラシックの曲とかも吹いとったけど,だいたいジャズやったわ。「ティン・ルーフ・ブルース」みたいなコテコテのジャズ,ええ感じで軽々と口笛きよんねん──クローゼットになんか吊りながら──あんなん聞いたらみんなびびる思うで。そんなん,あいつにいっかいも言うたことないけど,当然。「おまえ口笛すごいなあ」とかわざわざ言いに行けへんやん。あいつおもんなさすぎておれ半分きい狂うまでまるまる二か月ぐらい同室やってんけど,それ,あいつ口笛すごい上手かったからやねん。いままで聞いたなかで,いっちゃん上手かったわ。せやから,だれがおもんないかて分からんねん。どっかのお嬢さんがそういうやつと結婚すんの見ても,もしかしたらあんま気の毒に思わんでええんかもしれんわ。そいつら暴力ふるえへんし,たいがい。ほんでもしかしたらすごい口笛上手うまいかもしれんやん。だれにも分からんけど。おれは分からんわ。

やっとサリー階段がってきよったから,おれ迎えに階段りてん。すごいお洒落やったわ。ホンマ。黒いコート着て黒いベレー帽みたいなんかぶっとってん。いっつもあんまり帽子かぶりよれへんねんけど,そのベレー帽よかったわ。おもろかったん,おれそんときサリー見た瞬間,こいつと結婚したいおもてん。おれアホやわ。それ認めてるやろ。

「ホールデン!」サリー言いよってん。「まあ嬉しいわ! 何年ぶりやろ」あいつ,どっか外で会うとき,声めちゃくちゃでかいからこまんねん。そんときあいつアホみたいにかわいかったから気になれへんかったけど,あのでかい声いっつもケツからぶりぶり出したなったわ。

「ばっちりやんけ」おれ言うてん。本気やったわ。「元気?」

「完全に快調。待たしてもうたかな?」

いや,ておれ言うてん。ホンマは十分じゅっぷんほど遅れとってんけど,文句えへんかってん。『サタデー・イーヴニング・ポスト』とか載ってる漫画で,デートの相手遅刻ちこくしてるからどっかのかどで男めちゃめちゃ苛々いらいらしてるいうウンコみたいなんあるやん──あんなん嘘やん。来た女ばっちりやったら,遅刻してだれ文句う。だれも言えへんわ。「ちょっと急がな」おれ言うてん。「芝居はじまんの二時四十分やねん」おれら,タクシーおるほうの階段りてん。

「なに見んの」あいつ言いよってん。

「知らん。ラント出てるやつ。それしか切符られへんかってん」

「ラント! 素敵やん!」

ラントて聞いたら,あいつ大騒ぎしよるてさっき言うたやろ。

劇場くタクシーんなかで,おれらちょっとじゃれとってん。はじめサリー嫌がっとってん,口紅とか塗っとったから。けどおれめちゃめちゃ燃えとったし,サリーもほかの選択肢なかったわ。タクシー二回アホみたいに急停止して,おれアホみたいに座席から落ちそうなってん。あいつら運転手,アホやから前とおれへんねん,ホンマやで。ほんで,おれどんだけアホやねんいうことやけど,あいつのことグー抱いてパッと離れたとき,おれあいつに好きやとか言うてん。嘘やねんけど,当然。けどそれ言うたとき,本気やってん。おれアホやねん。ホンマにアホやわ。

「うん,わたしも好きやで」あいつ言いよってん。ほんでアホみたいにいきぎせんと言いよってん。「髪の毛ばすて約束して。クルー・カットて最近なんかかっこ悪いやん。せやし,あんたの髪の毛かわいいわ」

かわいいてアホか。

芝居,それまで見たなかではわるなかったわ。けどやっぱりウンコみたいやったわ。年寄り夫婦の,だいたい五十万年ぐらいの人生えがいとってん。はじめ,ふたりまだわこうて,女の親がその男と結婚すんな言いよんねんけど,結局結婚すんねん。ほんで,あとはどんどん年とっていくねん。旦那,戦争って,奥さんのほうは,酒ばっかり飲んでる弟おんねん。まあ,どうでもええことばっかりやったわ。おれ,だれかの家族ぬとかあんまどうでもええねん。どうせあいつらみんな役者やん。旦那と奥さん,けっこうええ感じの年寄り夫婦やったわ──めちゃくちゃひねったこと言うとったわ──けどあんま興味たれへんかってん。まず,そいつら劇のあいだじゅう紅茶とかアホみたいにずっと飲んどおんねん。きいついたら,執事しつじみたいなやつそいつらに紅茶してたり,奥さんだれかに紅茶いだりしとんねん。ほんで,ずっとだれか入ってきて,だれか出ていくねん──あんなみんな座ったり立ったりしてんの見たらめえまわんで。アルフレッド・ラントとリン・フォンタン,年寄り夫婦やっとって,めちゃくちゃよかってんけど,あんま好きなられへんかったわ。たしかに,あのふたりはちごたわ,それは認めるわ。ふつうの人間みたいに演技してたわけでもないけど,俳優みたいに演技してたわけともちゃうかってん。説明すんのむつかしわ。どっちか言うたら,あのふたり,自分らが有名人て分かってますいう演技しとってん。ええ役者やねんけど,すぎんねん。どっちか台詞せりふ言いおわったら,もうひとりがすぐなんか言うねん。ふつうの人間がホンマに喋ったり,相手の話に口はさんだりするとき,そうなってるて考えよってんやろな。問題は,それが,喋ったり相手の話に口はさんだりする人間に似すぎてることやねん。ちょっとアーニーに似てるわ,ヴィレッジでピアノ弾いてる。やってることすぎたら,そのあときいつけんと,それ見せびらかしてまうねん。ほしたらもうあかんようなんねん。けどまあその芝居でホンマに脳みそ持ってるように見えたん,そのふたりだけ──ラント夫妻だけやったわ。それは認めなしゃあないわ。

一幕いちまく終わったとき,おれらほかのアホどもといっしょに煙草いに外てん。かなんかったわ。あんないっぱいパチもん集まってんのん生まれて初めて見たで。みんな耳んでいくぐらい煙草うて,ほかのやつらに聞こえるように芝居のはなしして,自分どんだけ鋭いこと言うてるか聞かせよてしとおってん。なんかアホな映画俳優のやつ,煙草っておれらの近くおってん。名前らんけど,いっつも戦争映画でよし行くぞいうときヘタレんなる役やっとおるやつ。そいつ,すごい金髪の女れとってんけど,そいつらふたりともめちゃくちゃ倦怠感けんたいかんとかかもしだそてしとってん,なんかほかの客が自分らのこと見てんのきいついてませんよ,みたいに。めちゃめちゃ謙虚けんきょやん。おもろかったわ。サリー,ラント見たいうてはしゃいだ以外,あんま喋れへんかったわ。そのへんおるやつらにええ女や思われよてして,かっこつけんの忙しかったんや思うわ。ほしたら急にサリー,ロビーの向こうに知りあいのアホおんの見つけよってん。濃いグレーのフランネルのスーツとチェックのヴェスト着とおるやつ。まさにアイヴィー・リーグやん。かなんで。そいつ壁んとこ立って,死ぬほど煙草うて,めちゃめちゃおもんないいう顔しとってん。サリーずっと「あのひと知ってるわ,どっかのひとやわ」言うとってん。あいつ,どこ連れてっても,いっつもだれかのこと知ってる言いよんねん。そう思いよんねん。あいつずっと言うとおるから,おれめちゃめちゃ飽きあきして言うたってん。「知りあいやったら,あいつんとこ行って,ぶちゅーキスしたれや。喜びよんで」そう言うたら,あいつ怒りよったわ。けど結局,そのアホのほうがサリーにきいついて,こっちまで挨拶によってん。そいつ挨拶すんのん見てほしかったわ。こいつら二十年ぶりにうたんかおもたで。小さいとき,いっしょに風呂はいっとったんかみたいな感じやったわ。おさな馴染なじみみたいな。ゲエ吐きそうやったわ。たぶんあいつら一回しかうたことないねんで,どっかのパチもんのパーティーで。おもろかったわ。キスしてしばらくべたべたしてから,サリー紹介しよってん。そいつジョージなんとかいうて──もう忘れたわ──アンドーヴァー行っとってん。そらかなんわ。この芝居どう思うてサリー訊いたとき,そいつなにしたか見てほしかったわ。そいつ,質問こたえんのに相手と距離らなあかんパチもんやねん。ほんで後ろ下がったら,後ろおった女のひとの足みよってん。たぶん足の指のほね全部りよったわ。ほんでそいつ,芝居それ自体は傑作ちゃうけど,ラントとその一座はもちろん絶対的な天使や言いよってん。天使て。アホか。天使。びびったわ。ほんでそいつとサリー,ふたりとも知ってるやつのはなししとおってん。あんなパチもんの会話,人生で見たことない思うで。ふたりでどっかの地名うて,そこ住んでるやつ思いだして,そいつの名前いよんねん。席もどる時間なったとき,おれいつでもゲエ吐ける準備できとったわ。ホンマ。ほんで次の幕わっても,あいつらおもんない会話の続きアホみたいにしとおんねん。ずっとどっかの地名うて,そこ住んでるやつの名前うとおんねん。最悪やったんは,そのアホ,めちゃくちゃパチもんのアイヴィー・リーグぽい喋りかたしとってん。めちゃくちゃちからない,上流気取りの喋りかた。女みたいな喋りかたやったわ。せやのに平気でひとのデート邪魔しよんねん,あのアホ。芝居わったあと,そいつアホみたいにおれらといっしょにタクシー乗ってきよるんちゃうかてしばらく心配なったわ。ブロックふたつぶん付いてきよってんもん。結局,別のパチもんの仲間とカクテル飲みに行く約束ある言うて行ってまいよったけど。そいつらみんなどっかのバー座って,アホみたいなチェックのヴェスト着て,ちからない上流気取りの喋りかたで,芝居とか本とか女の悪口うとおんのん目に浮かぶわ。びびるわ,あいつら。

アンドーヴァーのパチもんのアホと十時間ほど喋ってんの聞いとったから,おれタクシー乗ったときサリーのこともういやなっとってん。あとは家まで送っていくだけのつもりやってん──ホンマ──けど,あいつ言いよってん。「素敵なアイデアあんねん!」あいついっつも素敵なアイデア思いつきよんねん。「聞いて」あいつ言うてん。「晩ごはん,何時に帰ったらええ? 大急ぎの用事とかない? 何時までに帰らなあかんとかある?」

「おれ? ない。とくにいつて決まってない」おれ言うてん。それほど真実な言葉なかったわ,ううわあっ。「なんで」

「レーディオ・シティーにアイス・スケートしに行こうや!」

あいつのアイデアて,いっつもそんなんやねん。

「レーディオ・シティーでアイス・スケート? それいま?」

「ちょっと一時間ぐらいやん。スケートしたない? それか──」

「したないとは言うてへん」おれ言うてん。「わあった。おまえ行きたい言うんやったら」

「それ本気? 本気ちゃうかったらそんなん言わんといてや。分かってるやろ,行っても行かんでもわたし文句なんかひとつも言えへんよ」

ひとつどころか。

「あそこ,かわいいスケート用の小さいスカート借りれんねん」サリー言いよってん。「ジャネット・カルツが先週りてんて」

せやからすごい行きたがっとってん。ケツとかのまわり小さいスカートでおおてる自分の姿たかっただけやねん。

ほんで行ってスケート借りたあと,サリー,青い小さい,ケツくいって締めあげる衣裳りよってん。けどサリーそれ着たらホンマ,アホみたいにとったわ。それはしゃあない,認めるわ。ほんで,それサリーも分かってなかったとは言わせんわ。あいつずっとおれの前あるいていきよんねん,自分の小さいケツどんだけかわいいかおれに見せよてして。実際かなりかわいかったわ。それはしゃあない,認めるわ。

けどおもろかったん,おれらリンクじゅうでスケートいっちゃん下手やってん。アホみたいに,だれよりも。しかも,えらいこと起きてん。サリーの両脚だんだん内側に曲がって,とうとう両方の足首ほんま氷に着いてもうてん。めちゃめちゃアホみたいな恰好かっこやし,たぶんめちゃくちゃ痛かった思うわ。おれも痛かったもん。おれも死にそうなぐらい痛かってん。みんな,こいつらすごいなおもて見てた思うわ。滑ってへんやつら二百人以上,そのへん立って,みんな勝手にこけんの見物しとったから。

「なかのテーブル座ってなんか飲めへんか」とうとうおれサリーに言うてん。

今日きょう一日じゅうあんたが言うたなかで,それいちばん素敵な言葉やわ」あいつ言いよってん。自虐じぎゃくしとったわ。残酷ざんこくやったわ。あいつのことホンマ気の毒なったわ。

おれらアホみたいなスケート脱いで,靴下だけでなんか飲めてスケートしてるやつら見てられるバー入ってん。サリー,座ったらすぐ手袋はずして,おれ煙草すすめてん。あいつ,あんま楽しそうちゃうかったわ。ウェーター来て,サリーのぶんコーラ頼んで──サリー酒めへんねん──おれのぶんスコッチのソーダ割り注文してんけど,アホが出せません言いよったから,おれもコーラ飲んでん。ほんでおれ,マッチのひいけだしてん。そんな気分のとき,おれそれようやんねん。もう持たれへんようなるまで燃えるままにしとくねん,ほんで灰皿てんねん。神経質なくせやわ。

ほしたら急に,快晴の青空からサリー言いよってん。「なあ,はっきりさせて。あんたクリスマス・イヴにうちでトゥリー飾んの手伝いに来てくれんの,くれへんの,どっちやの。はっきりさせて」あいつ,足首いたかったせいで,そんときも言いかたきつかったわ。

「行くつもりやて手紙いたやん。それもう二十回ぐらい訊いてんで。行く予定にしてる」

「はっきりさせて言うてんの」あいつ言いよってん。ほんでアホみたいに部屋じゅう見回しよってん。

急におれマッチけんのめて,テーブルのうえであいつのほうみい乗りだしてん。言いたいこといっぱいあってん。「なあ,サリー」おれ言うてん。

「なに」あいつ言うてん。部屋の向こうのほうおる女の子のこととったわ。

「もううんざりやておもたことある?」おれ言うてん。「ここでなんかせな,なにもかもカスみたいなってまうん目に見えて,こわなったことある? 学校とか,そのへん好き?」

「ぜんぜんおもしろないわ」

「それ,いやいうこと? すごいおもんないいうんは分かるけど,学校いやなん?」

「うーん,ちゃんと言うと嫌ではないわ。あんたいつも──」

「うーん,おれは嫌やねん。ううわあっ,どんだけ嫌か」おれ言うてん。「けどそれだけちゃうねん。全部いややねん。ニュー・ヨーク住んでんのが嫌やねん。タクシーとか,マディソン・アヴェニューのバス,いっつも運転手,後ろのドアから降りてくださいて怒鳴っとおんのとか,ラントのこと天使や言うパチもん紹介されんのとか,ちょっと外きたなっただけでエレヴェーター乗らなあかんのとか,ズボンのすそげいっつもブルックスでしよるやつとか,いっつも──」

「小さい声で喋ってくれへん」サリー言いよってん。めちゃくちゃおもろかったわ,おれ大きい声なんか出してなかったのに。

「たとえば車や」おれ言うてん。めちゃくちゃ静かな声で言うてん。「たいていのやつは車きやねん。ちょっときずいったら気にしよるし,いっつも一ガロンで何マイル走るかばっかりはなししとおんねん,ほんで新車うたらすぐもっと新しいんに買いかえよおもとおんねん。古い車が好き言うてんのちゃうねん。車なんかどうでもええねん。おれやったら馬うわ。すくなくとも馬は人間やん。すくなくとも馬は──」

はなし聞いてても,なに言うてるか分からんわ」サリー言いよってん。「話が飛躍ひやく──」

「あんな,聞いてくれ」おれ言うてん。「おれがいまここでニュー・ヨークおる唯一の理由は,たぶんおまえやねん。てか,ニュー・ヨークやのうても。もしおまえが近くおってくれへんかったら,おれたぶんとんでもないとこ行ってまう思うわ。森んなかとかアホみたいなとこ。おれがここおる理由は,おまえだけやねん,実際」

「うまいこと言うわ」サリー言いよってん。けど,そんなアホみたいな話題えてほしかったやろ思うわ。

「いつか男子校ってみたらええわ。いつか行ってみて」おれ言うてん。「パチもんだらけやねん,やってるこというたら,いつかアホみたいなキャディラック買えるぐらい頭うなるようにもの覚える勉強だけやねん,ほんでフットボール部けたらくやしいていっつも信じてなあかんし,やってるこというたら,一日じゅう女と酒とセックスのはなししてるだけやねん,ほんでみんなきたないちっこいアホみたいな派閥はばつ作っとおんねん。バスケットボール部のやつらいっしょに集まっとおるし,カトリックのやつらいっしょに集まっとおるし,アホみたいに頭ええやつらいっしょに集まっとおるし,ブリッジやるやつらいっしょに集まっとおんねん。ブック-オヴ-ザ-マンス・クラブ入ってるやつらもアホみたいにいっしょに集まっとおんねん。ちょっとでも頭かったら──」

「なあ,聞いて」サリー言いよってん。「たいていの男子はそんなん以外に学校でいろいろ身に付けてんで」

「そうや! そらそうや,そんなんちゃうやつもおるわ。けど,おれは学校でそれしかみい付けてへんねん。それでええか? それがおれの言いたいことやねん。まさにそれが,おれがアホみたいに言いたいことやねん」おれ言うてん。「おれ,学校でもなんでも,そんなんしかみい付けてへんねん。おれ,そんなんなってもうてん。カスみたいなってもうてん」

「たしかに,そやな」

ほしたら急に思いついてん。

「なあ」おれ言うてん。「おれ考えてることあんのん聞いて。こんなとっから出ていけへんか。おれ考えてることあんのん聞いて。おれ,二週間ぐらい車りれる知りあい,グレニッチ・ヴィレッジにおんねん。前におんなじ学校ってて,十ドル貸したままなってんねん。せやから明日の朝,マサチューセッツとかヴァーモントとかあのへんずっとおまえとおれと車で行こうや。あのへんめちゃめちゃきれいやで,ホンマ」おれ,そんなん考えてるうちめちゃめちゃ興奮して,アホみたいにてえ伸ばしてサリーのてえ握ってん。おれどんだけアホやったか。「嘘ちゃうで」おれ言うてん。「おれ銀行に百八十ドルぐらい持ってんねん。あさ銀行いたら,それおろして,ヴィレッジ行ってそいつの車りてくるわ。嘘ちゃうで。ほんでそのカネなくなるまで,小屋あるキャンプ場とかそんなとこおろうや。ほんで,そのカネなくなったら,おれどっかで仕事つけるから,小川とか流れてるようなとこ住もうや,ほんでそのあといつか結婚とかしょう。冬とか自分とこのきいおれ切るわ。正直すごい楽しい生活なるわ! どうや。なあ! どうや。いっしょに付いてきてくれへん? お願いや!」

「あんたそんなんでけへんやん」サリー言いよってん。めちゃくちゃ怒ってる口調くちょうやったわ。

「なんで。なんでそんなん言うねん」

「もう,大きい声さんといて,お願いやわ」あいつ言いよってん。ウンコみたいなこと言いよってん,おれ大きい声なんか出してへんかったのに。

「なんでいっしょに行ってくれへんねん。なんで」

「あんたがそんなんでけへんからやん,それがすべてやわ。そもそもわたしらふたりとも実際は子どもやねん。あんた,自分がお金なくなったときもし仕事つかれへんかったらどうしようて立ちどまって考えたことあるん? あんたが仕事つかれへんかったら,わたしら餓死がしすんねんで。そんなん全部絵空事えそらごとやん──」

絵空事えそらごとなんかちゃうわ。もしそうなったら仕事つけるわ。そんなん心配すんな。おまえはそんなん心配せんでええねん。なにが問題やねん。おれと行くのが嫌なんか。嫌やったらそう言うて」

「そういうことちゃうやん。ぜんぜんそういうことちゃうやん」サリー言いよってん。おれ,ある意味サリーのこと嫌いなりかけとったわ。「そんなんする時間,将来なんぼでも作れるやん──あんたの言うてること全部。あんたが大学とか行ったあとからでも,かりにわたしらが結婚とかしてからでも。そうしてからやったら,行ったらええ素敵なとこて,なんぼでもある思うわ。せやのにあんた──」

「いや,そんなんない思うわ。そんなあとなってから行ったらええとこなんかいっこもない思うわ。完全に変わってまうやん」おれ言うてん。まためちゃめちゃ悲しなったわ。

「なに」あいつ言うてん。「聞こえへん。さっき大きい声でったおもたら,こんどは──」

「ない言うてん,おれが大学とか行ってもうたら,そのあと行ったらええ素敵なとこなんかない言うてん。よう聞いて。そのあとなったら完全に変わってまうねん。おれらスーツケースとか持って下の階くのにエレヴェーター乗らなあかんようなんねん。みんなに電話して,行ってきます言うて,ホテルとかから葉書おくらなあかんようなんねん。そのころ,おれどっかの会社で働いてんねん,ほんでいっぱいカネかせいで,仕事でタクシーとかマディソン・アヴェニューのバス乗って,新聞んで,いっつもブリッジやって,映画ってアホな短編映画とか予告篇とかニュース映画とかいっぱい見てんねん。ニュース映画やて。かんべんしてくれ。いっつもしょうもない競馬やってるか,なんか女のひと船でびん割ってるか,チンパンジー,ズボンいてアホみたいに自転車乗っとおるやつやん。そんなん,ぜんぜんおんなじちゃうわ。なに言うてるかぜんぜん分からんやろけど」

「たぶん分からんわ! けど,あんたもたぶん分かってへんわ」サリー言いよってん。そんとき,おれらもう心底しんそこ嫌いおうとったわ。頭ええ会話してみよいう感覚なくなっとったわ。あいつにそんなはなししたん,めちゃめちゃ後悔したわ。

「ほな,もうこか」おれ言うてん。「もう,おまえのことケツからぷりぷりて出したいわ,マジで」

ううわあっ,おれそう言うたら,あいつ飛びあがって天井ぶつかるぐらいびっくりしよったわ。そんなん言うべきちゃうかったいうんは分かるし,おれたぶんふつうやったらそんなこと言えへんねんけど,あいついろんなこと言うから,おれめちゃめちゃ悲しかってん。ふつうやったら,おれ女にそんなひどいこと言えへんねん。ううわあっ,あいつ天井ぶつかるぐらいびっくりしとおったわ。おれ,きちがいみたいにあやまったけど,あいつ無視しとったわ。泣いとってん。ちょっとやばいなあおもてん。あいつ,うち帰って,むこうのお父さんに,おれにウンコ扱いされた言うかもしれんやん。むこうのお父さん,でっかい無口なひとで,おれのことあんま好きちゃうねん。いっかいおれのこと,アホみたいにうるさいてサリーに言いよってん。

「嘘ちゃうねん。ごめん」おれずっとあいつに言うとってん。

「なんであんたが気の毒そうにしてんねん。なんであんたが気の毒そうにしてんねん。そんなん,めちゃくちゃおかしいわ」あいつ言いよってん。まだ泣いとったわ。急におれ,そんなこと言うたんホンマに申しわけないおもたわ。

「ほな,家まで送っていくわ。嘘ちゃうで」

「ひとりで帰れます,おづかいいただきまして。あんた,わたし家まで送る役まかせてもらえるおもてんねやったら,頭おかしいで。そんなこと言うたこお,人生でこれまでだれもおれへんかったわ」

考えてみたら分かるやろけど,全体としてはある意味おもろかってん。せやから急におれ,やったらあかんことやってもうてん。わろてもうてん。それも,めちゃくちゃカスみたいなアホな笑いかたで。もし映画館かどっかでおれが後ろすわっとったとしたら,たぶんみい乗りだして,静かにしてください言いたなる笑いかたやったわ。サリー,それまで見たことないぐらい怒りよってん。

おれしばらくサリーのそばおって,あやまって許してもらおてしてんけど,許してもらわれへんかったわ。あいつずっと,もうどっか行って,もう帰って,て言うとってん。せやから結局そうしてん。おれ,なか入って,靴とか取って,あいつ置いて帰ってん。そんなんするべきちゃうかったけど,そんときもうアホみたいに飽きあきしとってん。

なんでおれあんなはなしあいつにしたんか,いまでも分からんわ,マジで。マサチューセッツとかヴァーモントとかどっか行こう言うたん。そんなん,たとえあいつが行きたい言うても,たぶんあいつ連れてったらあかんやつやん。いっしょに行くとしたらだれて考えたら,あいつではないやん。けど,ひどかったん,おれあいつにいっしょに行ってくれ言うたとき本気やってん。それがいっちゃんひどいわ。ホンマ,おれアホやわ。

18

スケート・リンク出たら腹ったなおもて,ドラッグストアでスイス・チーズのサンドウィッチと麦芽ばくがにゅううて,電話ボックス入ってん。たぶんまたジェーンに電話して,もう家おるかどうか確かめよおもとってん。その日の晩まるまるなんもすることなかったから,ジェーンに電話して,もし家おったらどっか踊りに行くのんとかさそおもとってん。おれジェーンと知りおうてからいっかいも踊ったこととかなかってん。ジェーン踊ってんのは見たことあんねんけど。めちゃくちゃ上手そうやったわ。クラブの独立記念日のダンスで。そんときジェーンのことよう知らんかったから,デート割りこんだらあかんおもてん。そんときの相手,アル・パイクいう気色きしょくわるいやつで,チョート行っとってん。そいつのことよう知らんかったけど,いっつも水泳プールのへんでうろうろしとおってん。白いラステックスの海パン穿いて,いっつもたかびこみしとおってん。一日中ずっとおんなじカスみたいなはんまえぎゃくびやっとおんねん。そいつできる飛びこみそれだけやってんけど,めちゃくちゃかっこええおもとおんねん。全身筋肉で脳みそないねん。とにかくその晩ジェーン,デートしとったん,そいつやってん。理解でけへんかったわ。ホンマ理解でけへんかったわ。おれら付きあうようなってから,ジェーンになんであんなアル・パイクみたいな目立ちの嫌なやつとデートなんかできんねんて訊いてみてん。ほたら,アルは目立ちたがりちゃうてジェーン言いよってん。劣等コンプレックス持ってんねんて。そんときジェーン,そいつのことかわいそうとかおもてるみたいな感じやったし,その場しのぎの言いわけちゃうかってん。本気で言うとおってん。そういうのん,女のおもろいとこやわ。正真正銘の嫌なやつのはなしして──めちゃくちゃずるいとか,めちゃくちゃイキってるとか──それ女に言うたら,劣等コンプレックスのせいや言いよんねん。そうかもしれんけど,せやからいうて嫌なやつやなくなるわけちゃうやんておれ思うねん。女か。おんなじもん見てもどう思いよんのか,ぜんぜん分からんわ。いっかいロバータ・ウォルシュいう女のルームメートに,おれの友だち紹介して,そいつらデートしたことあってん。おれの友だち,ボブ・ロビンソンいうて,そいつはほんまに劣等コンプレックス持っとってん。おや両方とも「わし」とか「うち」とか言うし,あんま金持ちちゃうかったから,おとんとかおかんのことめちゃくちゃ恥ずかしおもとった思うわ。けど嫌なやつちゃうかってん。ええやつやってん。せやのに,ロバータ・ウォルシュのルームメート,そいつのこと気に入らんかってん。そいつロバータに,あのひとイキりすぎや言いよってん──そうおもた理由て,ボブが弁論部の主将や言うたからやねんて。そんなちっさいことでイキってるて! 女の問題点は,もし女が男のこと好きなったら,どんだけ嫌なやつのことでもあのひとは劣等コンプレックス持ってる言うし,男のこと気に入れへんかったら,どんだけええやつでもどんだけ劣等コンプレックス持っとっても,あいつイキってる言いよんねん。頭ええ女でもそんなこと言いよんねん。

とにかく,おれまたジェーンに電話してんけど,だれもえへんかったから切ってん。ほんで,その晩だれやったらつかまんねんおもて,しゃあないから住所録てん。けど,おれの住所録,三人しか載ってへんかってん。ジェーンと,アントリーニ先生いうてエルクトン・ヒルズんときの先生と,おとんの会社の電話番号。おれ住所録くん,いまでも忘れてるわ。ほんで結局,カール・ルースに電話してん。そいつ,ウートン高校の卒業生やねん。そいつ卒業したとき,おれやめとったけど。おれよりみっつぐらい年上で,おれそいつのことあんま好きちゃうかってんけど,めちゃくちゃ頭ええやつやってん──ウートンでいっちゃん知能指数たかかってん──せやから,そいつやったらどっかでおれとめし食いながら,ちょっと頭ええ会話とかしたがるんちゃうかおもてん。そいつときどき,めちゃくちゃはっとすること言いよんねん。せやから電話してん。コロンビアかよとおんねんけど,六十五丁目とか住んどったから,いえおんの分かっててん。そいつ電話て,めしは無理やけど,十時に五十四丁目のウィッカー・バー来てくれたら一杯きあうわ言いよってん。いま考えたら,おれから電話かかってきて,かなりびっくりした思うわ。おれいっかいそいつのこと,ケツでかいパチもん言うたから。

十時まで暇つぶさなあかんかったから,おれレーディオ・シティーに映画に行ってん。たぶん最悪の選択やった思うけど,レーディオ・シティー近かったし,ほかなんも思いつけへんかってん。

入ったら,アホみたいなステージ・ショーやっとっとわ。ロケッツ,頭たるぐらい脚りあげとってん。全員横一列なって,隣のやつの腹に腕まわしてやるやつ。客アホみたいに拍手して,おれの後ろのおっさん,嫁さんにずっと言うとおんねん。「あれがなんか分かるか。あれを正確無比うねん」びびったわ。ロケッツの次,タキシード着てローラー・スケートいたやつ出てきてん。そいつ,小さいテーブル並べてその下スケートで滑りながらジョーク言いよんねん。めちゃくちゃスケート上手かったけど,おれあんまおもろい思われへんかったわ。ローラー・スケートいた芸人なろおもてそいつ稽古けいこしてるとこ,ずっと想像しててん。アホみたいやおもたわ。いまおもたら,おれそんなん見る気分ちゃうかってん。ほんでその次,レーディオ・シティーで毎年やってるクリスマスのやつ始まってん。箱とかいろんなとっから天使とか出てきて,十字架とか持ったやつそこら中におって,そいつら全員で──何千人で──アホみたいに「神の今宵こよいしも」歌いよんねん。かなんで。そういうん,めちゃめちゃ敬虔けいけんなもんいうことなってるやん,ほんでめちゃくちゃかわいいとか。けど舞台じゅうに十字架ってる役者おんのん,なにが敬虔けいけんでかわいいんか分からんわ。あいつら出番んでまた箱から出ていったら,すぐ煙草でも吸おかてなりそうやん。おれそれ前の年サリー・ヘーズといっしょに見てんけど,あいつ衣裳とかすごいきれいてずっと言うとったわ。せやからおれ,こんなんもしイエスが見たらたぶんゲエ吐くわて言うてん──こんな派手な衣裳とか見たら,て。サリー,おれのこと神を冒涜ぼうとくしてるしんろんじゃや言いよってん。たぶんそのとおりやわ。イエスがもしホンマに見たとしたら気に入んの,オーケストラでティンパニ叩いてるやつや思うわ。おれ八歳ぐらいのときから,そのおっさん見てんねん。弟のアリーとおれ,親とかといっしょに来たとき,そのおっさん見えるように,よう前のほう席うつってん。そいつ,おれいままで見たなかでいっちゃんドラム上手いねん。曲全体でそのおっさんティンパニ叩くん二,三回しかないねんけど,待ってるあいだぜんぜんおもんなさそうにしてへんねん。ほんで叩く時たら,ええ感じの気持ちええ音しよんねんけど,そんとき顔こわってんねん。おれらいっかいおとんとワシントン行ったとき,アリーそのおっさんに葉書だくしてんけど,あれ届いてへん思うわ。おれら住所てどうやって書いたらええんかあんま知らんかったから。

クリスマスのやつ終わったら,アホみたいな映画はじまってん。くさすぎてめえ離せんかったわ。イギリス人のアレックなんとかいうやつ出てきて,戦争って記憶とかくして入院しとおんねん。ほんで退院して,つえ持って脚きずりながら,そこら中,ロンドン中うろつきよんねんけど,自分だれか分からんねん。ホンマは公爵こうしゃくやねんけど,それ知らんねん。ほんでバス乗るとき,感じええ,愛嬌あいきょある,正直もんの女と出会いよんねん。女の帽子アホみたいに風で飛んで,それ男が捕まえんねん。ほんでふたりで上の階って,座ってチャールズ・ディケンズのはなししよんねん。ふたりともディケンズ好きやねん。男そんときたまたまディケンズの『オリヴァー・トゥイスト』の本っとったら,女も持っとおんねん。ゲエ吐いてもよかったわ。ほんで,その場で恋に落ちよんねん。ふたりともチャールズ・ディケンズ好きやからいうて。ほんで男,女がやってる出版社の仕事つだいよんねん。女,出版社やってんねん。けど弟さけばっかり飲んで家のカネ全部使つこてまいよるから,出版社うまいこといってへんねん。その弟,自暴自棄じぼうじきなってんねん。戦争んとき医者やってんけど,神経たれてもう手術でけへんようなってん。せやからいっつも酒ばっかり飲んでんねんけど,けっこう頭ええねん。ほんでまあアレック本いて,女それ出版して,ふたりともそこそこカネかせいで,いよいよ結婚しょうかいうときなって,マーシャいう別の女てきよんねん。その女,アレックが記憶くすまえ婚約者やってん。ほんでアレックが本屋でサイン会してんの見てアレックやて分かりよってん。マーシャ,アレックに,あんたはホンマは公爵やとか言いよんねんけど,男それ信じひんし,男のお母さんとこいっしょにこて誘われても断りよんねん。おかん,蝙蝠こうもりみたいにめえ見えへんねん。けど愛嬌あいきょあるほうの女が,男かせよんねん。めちゃくちゃ気品きひんあったわ。ほんで男おかんとこ行くねんけど,グレート・デーンそいつのまわり跳びついても,おかん男の顔じゅう指で触っても,男が子どもんときよだれらしとった熊のぬいぐるみ持ってきても,記憶もどれへんねん。けどあるひい,子どもらが芝生しばふでクリケットしとって,男の頭にクリケットのボール当たんねん。ほしたら急に男の記憶アホみたいによみがえって,そいつうち入っておかんのでことかキスしよんねん。ほんでそいつ元通りの公爵なんねんけど,出版社やってる愛嬌あいきょある女のこと忘れてまうねん。その続き言うてもええけど,もしはなししたらゲエ吐くかもしれんわ。もしはなししたらオチばらしてまうとかいうんちゃうで。ばらしたらあかんようなことなんか,なんもあれへんわ。とにかく最後,アレックと愛嬌あいきょある女結婚けっこんして,飲んだくれの弟神経しんけい治ってアレックのおかんの手術して,おかんめえ見えるようなって,弟とマーシャ付きあいよんねん。最後は全員ながいディナー・テーブル座って,グレート・デーン子犬いっぱい連れてきよったから,みんなケツちぎれるぐらい笑いよんねん。みんなその犬オスやおもとったんちゃうか,なんか知らんけど。もし自分のからだじゅうにゲエ吐いてゲエまみれなりたないんやったら,そんなんんないうことやわ。

おれの隣でとったおばはん,その映画じゅうアホみたいに泣いとってん。パチもんの場面ほど,泣いとってん。そんなん聞いたら,そのおばはんめちゃめちゃ心やさしいから泣いとった思うやろけど,けどおれすぐ隣すわっとって,ちゃうかってん。おばはん小さいこお連れとって,そのこおめちゃめちゃおもんなさそうにして便所きたがっとってんけど,おばはん連れていったりよれへんねん。ずっと子どもに,おとなしゅう座っとき,行儀ぎょうぎようしとき言うとおってん。あのおばはん心やさしいんやったら,おおかみかて優しいわ。映画てパチもんの場面で目玉ちるぐらいアホみたいに泣くやつおったら,十人ちゅう九人性根しょうね嫌なやつやで。マジで。

映画わって,カール・ルースと会うことなってるウィッカー・バーまで歩いてってん。歩きながら,戦争のこととか考えとってん。戦争てくる映画たら,いっつも戦争のこと考えてまうねん。おれ自分が戦争け言われたら,耐えられへん思うわ。ホンマ。もしどっか連れていかれて鉄砲で撃たれるとかだけやったらまだええねんけど,長いことアホみたいに陸軍おらなあかんやん。それが問題やねん。兄貴のD.B.陸軍にアホみたいに四年もおってん。戦争も行ってん──D-デーに上陸とかしよってん──けど兄貴,戦争より陸軍のほうが嫌やったやろてホンマ思うわ。おれそのころ実際どもやってんけど,兄貴休暇きゅうかとかでうち帰ってきたとき,ほとんどベッドでころんでるだけやってん。リヴィング・ルームにもほとんど入ってけえへんかってん。そのあと兄貴海外かいがい行って戦闘とかに参加してんけど,負傷とかせえへんかったし,だれのことも撃たんでよかってん。どっかのカウボーイの将軍指揮しきしゃ乗せて一日じゅう運転してただけやってん。もしだれか撃たなあかんようなったとしても,どんな方向に撃ったらええか分からんかったて,兄貴いっかいアリーとおれに言うとったわ。陸軍ほとんど嫌なやつばっかりで,それはナチスと変わりない言うとったわ。アリーいっかい兄貴に,兄貴作家さっかやねんから書くこととかいっぱいできてある意味戦争せんそう行ってよかったんちゃうのて訊いたん覚えてるわ。兄貴アリーに野球のミット持ってこい言うて,いちばん上手い戦争詩人だれや,ルパート・ブルックかエミリー・ディキンソンかて訊きよってん。エミリー・ディキンソンやわ,てアリー言うとったわ。おれあんまりしい読めへんから,おれ自身はその話よう分からんかったけど,もしおれ陸軍はいらなあかんようなって,アクリーとかストラドレーターとかモーリスみたいなやつらおる集団んなかずっとおって,そいつらと行進とかせなあかんとしたら,きい狂うやろいうんは分かるわ。おれいっかいボーイ・スカウト入っとってん,一週間ぐらいやけど。それでも,前のやつの首の後ろ見てんの耐えられへんかってん。ボーイ・スカウト入ったら,前のやつの首の後ろ見とけてずっと言われんねん。もしまた戦争こったら,おれのこと射撃部隊のまん前れてって,そこ置いといてくれたらええわ。おれ反対せえへんわ。けどD.B.戦争あんな嫌やった言うてんのに,せやのに去年の夏おれに『武器よさらば』読ませよってん。すごい小説や言うて。それがおれ理解でけへんとこやねん。その小説にヘンリー中尉ちゅういいうやつ出てきて,ええやついうことなってんねん。D.B.あんなに陸軍とか戦争とか嫌いやのに,せやのになんであんなパチもん好きなれんのか,おれ分からんねん。あんなパチもんの本きや言うといて,せやのにたとえばリング・ラードナーの本も好きとか,もうひとつ『グレート・ギャツビー』も好き言うてられんの,おれホンマ分からんわ。おれそう言うたらD.B.怒って,おれがまだ若いから価値からへんだけて言うてんけど,そうは思わんわ。おれリング・ラードナーとか『グレート・ギャツビー』は好きやで,て兄貴に言うてん。それは兄貴とおんなじやねん。おれ『グレート・ギャツビー』好きやねん。ギャツビー。貴様old sport。あれ,びびったわ。とにかく原子爆弾発明はつめいされてよかったわ。もしまた戦争きたら,おれ原子爆弾のてっぺん座ったろおもてんねん。それ志願しよ,ホンマそうするわ。

19

もしニュー・ヨーク住んでへんかったら分からんやろけど,ウィッカー・バーて,シートン・ホテルいう気取ったホテルんなかあんねん。おれ前しょっちゅう行っとったけど,いまはもう行ってへんわ。だんだん行けへんようなってん。めちゃくちゃ洗練されたとこいうことなってて,パチもん窓から入ってきよんねん。前はティナとジャニンいうフランス人のこおふたりおって,一晩に三回ぐらい出てきてピアノ弾いてうたうととってん。ひとりピアノ弾いて──まさにカスやったわ──もうひとり歌いよんねん。そいつらの歌たいてい,かなりスケベエなんか,せやなかったらフランス語やねん。歌手のほうがジャニンいうて,そいつ歌うまえにいっつもアホみたいにマイクロフォンに小さい声で言いよんねん。たとえば,「おたらあ,おつぎい,ヴーレ・ヴー・フランセー,歌いますねえ。フランスの女のこおがあ,ニュー・ヨークみたいな大きい町てえ,ブルックリンの男のこおにい,恋をするおあなしですねえ。お気にしますようにい」めちゃめちゃかわいこぶって小さい声で言うこと言うたら,アホな歌うたいよんねん,半分英語,半分フランス語で。ほたら,そこ来てるパチもんみんな大喜びや。あいつらみんな拍手はくしゅ喝采かっさいするとこまで見たら,世界中の全員のこと嫌いなんで。ホンマ。バーテンダーもカスやねん。客によって態度えよんねん。威張ってるやつとか有名人とかやないと,ほとんどはなししよれへんねん。せやし,もしおれが偉いさんとか有名人やったとしても,そのバーテンダー近寄ってきたらゲエ吐きそうなる思うわ。思いっきりひとなつこい笑顔で,知りあいにはめちゃくちゃ陽気なやつみたいに,「まあ! コネティカットはどないだっか」とか「最近フロリダどうですのん」とか言いよんねん。気色きしょく悪いとこやで,マジで。おれもうあっこ完全に行けへんようなったわ,だんだん。

着いたらまだかなり早かってん。おれバー座って──かなり混んどったわ──ルース来るまでにスコッチのソーダ割り二杯んでん。席から立って注文してん,ほしたらおれせえ高いん分かって店員おれのことアホみたいに未成年や思えへんやん。ほんでしばらくパチもんども見とってん。おれの隣のやつ,連れてきたこおにめちゃめちゃ口から出まかせ言うとおんねん。そいつ女にずっと,きみ貴族みたいなてえしてるわとか言うとおんねん。びびったわ。バー・カウンターの遠いほうの端,おかま集まっとってん。そいつら見た目おかまて感じせえへんねん──髪の毛ばしたりしてへんかってん──けど見たらおかまて分かった思うわ。そんなんしてたらルースてん。

ルースや。かなんやつやで。おれウートンおったとき,あいつ上級生としておれの相談とか受ける係やってんけど,夜おそうあいつの部屋に何人かおるときセックスのはなししてただけやってん。あいつセックスのこといろいろ知っとってん,とくに変態のこととか。いっつもえげつないやつらのはなししとおったわ,羊とやったやつとか,帽子の裏地に女のパンツいつけとおるやつとか。ほんで,おかまとレズビアンや。ルース,合衆国でだれがおかまかレズビアンかみんな知っとおんねん。だれかの名前うただけで──だれでもええねん──そいつおかまかどうかルース教えてくれんねん。ときどき信じられへんかったわ,あいつ言うやつ。映画俳優とかそんなんが,おかまとかレズビアンいうん。あいつがおかま言うなかに結婚してるやつとかおんねんで。「ジョー・ブローおかまなん? ジョー・ブローやで。いっつもギャングとかカウボーイやってる,でっかいごっついやつやで」とかずっと言うとったわ。ほたらルース「論をたず」言いよんねん。あいついっつも「論をたず」言うとってん。結婚してるかどうかは関係ない言うとったわ。世界中で結婚してる男の半分はおかまやねんけど,本人がきいついてへん言うとったわ。もしおかまの素質そしつあったら実際一晩ひとばんでおかまなることある言いよんねん。めちゃめちゃ怖かったわ。おれ,急におかまなるんちゃうかてずっと待っとってん。けどおもろいんは,あいつ自身ある意味おかまなんちゃうかっておれおもとってん。おれら廊下あるいとったら,いっつも「この大きさで入るか」言うて,後ろからケツ思いっきり指で突いてきよんねん。ほんであいつ便所ったら,いっつもアホみたいにドア開けたままにして,おれらはあ磨いたりしてんのに話しかけてきよんねん。そんなん,おかまっぽいやん。ホンマ。おれ学校とかでホンマのおかまいっぱい知ってて,そいつらいっつもそんなんしよるから,せやからおれずっとルースうたごうとってん。けど頭ええやつやってん。ホンマ。

あいつ,ひとにうても挨拶せえへんねん。座ってまず,二,三分しかおられへん言いよんねん。デートある言うとったわ。ほんでドライ・マーティニ注文しよってん。めちゃくちゃドライにしてくれ,オリーヴ要らん言うとったわ。

「ちょっと,おかま見つけときましたよ」おれ言うてん。「このバー・カウンターの端おるやつ。いま見たあきません。先輩のためにとっときました」

「めちゃくちゃおもろい」あいつ言いよってん。「あいかわらずコールフィールドや。いつ大人なんねん」

おれ,おもんないこと言うてもてん。ホンマ。けど,あいつおれのこと笑わしよってん。あいつとはなししてたら,おれわろてまうねん。

「最近,性生活どうですのん」おれ訊いてん。そんなん訊いたら嫌がりよんねん。

「落ちつけ」あいつ言いよってん。「ちゃんと座って落ちつけアホ」

「落ちついてますやん」おれ言うてん。「コロンビアどうですか。気に入ってます?」

「論をたず。もし気に入ってなかったら,とっくに行ってへんやろ」あいつ言いよってん。そんなん言うても自分でもおもんないのに,ときどきそういうことも言いよんねん。

「なに専攻してはるんですか」おれ訊いてん。「変態ですか」ふざけとっただけやねんけど。

「分からん。もしかしておまえ,おもろいこと言おうとしてんのか」

「ちゃいますやん。冗談ですやん」おれ言うてん。「ちょっと聞いてくださいよ。ルースさん頭ええやないですか。おれの相談ってくださいよ。おれいま──」

あいつでっかい声で,うーんてうなりよってん。「あんなコールフィールド。おまえもしここ座って静かになごやかに一杯みたいんやったら,ほんで静かになごやかにおれとはなししたいんやったら──」

「分かりました,分かりました」おれ言うてん。「落ちついてください」あいつおれと真剣なはなししたがってへんかった思うわ。ああいう頭ええやつ,それがこまんねん。あいつら自分にそのきいなかったら,だれとも真剣なはなししよれへんねん。しゃあないから,どうでもええ話はじめてん。「マジで最近,性生活どうですのん」おれ訊いてん。「ウートンときのこおいまでも付きおうてます? あのすごい──」

「やめてくれ,そんなんとっくに付きおうてへんわ」あいつ言いよってん。

「なんでですか。いまあのこおなにしてるんですか」

「ぜんぜん知らん。おまえ訊くから言うけど,おれの知ってるかぎりやと,あいついまごろたぶんニュー・ハンプシャーの売春婦コンテストで優勝してるわ」

「そら残念ですね。もしあのこお先輩にいっつもスケベエな気持ち起こさせるようなできたこおやったとしたら,先輩あの子のことすくなくともそんなふうに言わんでしょ」

「こら困った」ルース言いよってん。「いまから典型的なコールフィールドばなし始まるんか。いますぐ教えといて」

「そんなんちゃいますやん」おれ言うてん。「けど残念ですよ。もしあのこお先輩にいっつも──」

「おれはおまえの気色きしょく悪い思考の流れをおまえと追わなあかんのか」

おれ返事せえへんかってん。黙らんかったら,あいつ立って帰りよるんちゃうかおもてん。しゃあないから,もう一杯注文してん。さけくそなるぐらい酔いたかってん。

「いまだれと付きおうてますのん」おれ訊いてん。「教えてくれません?」

「おまえ知らんやつや」

「ええ,けどだれですのん。おれ知ってるかもしれませんやん」

「ヴィレッジに住んどおる。彫刻家や。そんなん聞いてどうすんのか知らんけど」

「え? マジですか? そのこおいくつですか?」

「訊いたことないわアホ」

「まあ,いくつぐらいですか」

「おれの想像やと三十代後半やな」ルース言いよってん。

「三十代後半? え? そんなん好きなんですか?」おれ訊いてん。「そんな年とってる女きなんですか?」おれそんなん訊いたん,あいつセックスのこととかホンマよう知ってるからやねん。セックスのことよう知ってるておれがおもてる数少ないやつやってん。あいつ童貞てたん十四歳んときやねん,ナンタケットで。ホンマ。

「おれは成熟した人物が好きやねん,それがもしおまえの訊きたいことやったら。御意ぎょいや」

「ホンマですか? なんで? マジ,そのほうがセックスとかええんですか?」

「なあ,ひとつはっきりさせとこ。今日は典型的なコールフィールドばなしに,おれひとつも答えるきいないで。おまえいったい,いつ大人なんねん」

おれしばらく黙っとってん。その話しばらくっといてん。ほしたらルース,マーティニもう一杯注文して,もっとずっとドライにしてくれてバーテンダーに言いよってん。

「聞いてくださいよ。その彫刻家の女といつから付きおうてるんですか」おれ訊いてん。ホンマ知りたかってん。「ウートンおったころから知りあいやったんですか」

「無理やな。二,三か月前に入国したとこやから」

「入国? どっから来たんですか?」

「あいつはたまたま上海シャンハイ出身や」

「マジで! 中国人ですか?」

しかり」

「マジで! それが気に入ってるとこなんですか? 中国人やいうんが?」

しかり」

「なんでですか? 教えてください,ホンマ知りたいですわ」

「おれにとってはたまたま東洋哲学が西洋哲学より満足のいくもんやってん。おまえが訊くから言うけど」

「ホンマですか? 『哲学』てどういう意味ですか? セックスとかのこと言うてるんですか? セックスは中国のほうがええんですか? そういう意味ですか?」

「中国だけとは言うてへんやろアホ。東洋うてん。おれはこの空疎くうそな会話をおまえと続けなあかんのか」

「聞いてくださいよ,おれ真剣ですから」おれ言うてん。「マジで。なんで東洋のほうがええんですか?」

「それ言いだしたら話がみいりすぎるわアホ」ルース言いよってん。「東洋ではたまたまセックスのこと肉体的な経験であると同時に精神的な経験でもあるて見なすいうことや。もしおまえが──」

「おれもそうですわ! おれもそう見なしてますわ,それ,なんて言いましたっけ──肉体的な経験と精神的な経験。ホンマ。けどそれ,だれとやるかによるでしょ。あんま好きでもない女とやっても──」

「そんな大きい声で言わんでええやろ,頼むで,コールフィールド。静かに喋られへんねやったら,そろそろ──」

「分かりました,けど聞いてくださいよ」おれ言うてん。だんだん興奮して声ちょっとでかなりすぎとったわ。おれ興奮したら声ちょっとでかなりすぎることあんねん。「けど,そこ教えてくださいよ」おれ言うてん。「セックスのこと肉体的とか精神的とか芸術的とか言うひとおるんは分かるんです。けど,それだれとでもできるわけちゃうでしょ──ペッティングとかしたからいうて──だれとやってもそうなるわけちゃうでしょ。だれとやってもそうなるんですか?」

「もうめとこ」ルース言いよってん。「それでええな」

「分かりました,けど聞いてくださいよ。先輩と中国人の女。ふたりにとって,なにがそんなええんですか」

「もうめとこ言うてん」

ちょっと個人的なとこ踏みこんでもうてん。いまはそれ分かるわ。けどそれルースのうっとしいとこやねん。ウートンおったころ,ルースみんなに個人的なこといろいろ言わせよんねんけど,だれかがルースのこと訊いたら怒りよんねん。ああいう頭ええやつら,全部自分で仕切ってるときしか頭ええはなししようてせえへんねん。あいつらいっつも,自分だまってるときはみんなも黙っとけおもとおるし,自分部屋へや戻るときはみんなも戻れ思いよんねん。おれウートンおったころ,ルース自分の部屋でおれらにセックスの話して,それ終わったあと,おれらそのままむらがってしばらくおれらだけで喋ってんの嫌がっとおってん──ホンマ,見たら分かった思うわ。ほかのやつの部屋で,ルース以外のやつらだけで喋ってんの嫌がっとおってん。あいついっつも,自分が中心の話わったら,みんな自分の部屋もどって黙っとけおもとおってん。あいつ,だれかが自分より頭ええこと言うん怖かったんや思うわ。ホンマ笑わしてくれるわ。

「ほしたらおれたぶん中国きますわ。おれの性生活カスみたいですから」おれ言うてん。

「当然。おまえのものの考えかたが未成熟やねん」

「そうです。ホンマ。分かってます」おれ言うてん。「おれの問題なにか教えてほしいですか? おれ,そんな好きちゃう女にホンマにスケベエな気持ちなれませんねん──ホンマにスケベエには。めちゃくちゃ好きならなあきませんねん。せやなかったら,性欲アホみたいになくなってまうんですよ。ううわあっ,そのせいでおれの性生活どんだけぐちゃぐちゃか。おれの性生活,腐ってますわ」

「当然やアホ。前におまえにうたとき,おまえになにが必要か言うたやろ」

「精神分析士にてもらえてことですか」おれ言うてん。前あいつおれにそうせえ言いよってん。あいつのお父さん,精神分析士やねん。

「それはおまえしだいやアホ。おまえがおまえの人生どうすんのか,おれには関係ないわ」

おれしばらく黙っとってん。考えとってん。

「もしぼくがお父さんとこ行って精神分析してくださいとか言うたら」おれ言うてん。「おれ,なにされるんですか。つまり,おれなにされるんですか」

「アホみたいになんかするいうんちゃうねん。精神分析士はおまえにただ話をして,おまえは精神分析士にはなしすんねんアホ。ほんで精神分析士は,たとえば,おまえの思考様式をおまえ自身が認識する手助けをすんねん」

「なにを認識するんですか?」

「おまえの思考様式や。思考いうんはな──あんな,おれ精神分析の基本課程の授業してるんちゃうねん。もし興味あったら,うちの父親に電話して予約れ。もし興味なかったら,そんなんせんでええ。率直そっちょくに言うて,おれはどっちでもええ」

おれ,あいつの肩にてえ載せてん。ううわあっ,どんだけ笑わせてくれよったか。「先輩ホンマ親切な嫌なやつですわ」おれ言うてん。「自分で分かってますか」

あいつ腕時計とおってん。「ほな行くわ」あいつ言うて立ちよってん。「楽しかった」あいつバーテンダー呼んで「勘定して」言いよってん。

「あの」おれ,あいつがなんか言うまえに言うてん。「先輩のお父さんて,先輩のこと精神分析したことありますのん?」

「おれ? なんでそんなん訊くねん?」

「なんでいうことないんですけど。けど,しました? したことありますのん?」

「正確に言うとない。うちの父親は,おれが一定程度まで適応すんの手助けしてくれたけど,いままで詳細しょうさいな分析が必要なったことはない。なんでそんなん訊くねん?」

「なんでいうことないんですけど。どうなんかなあおもたんですよ」

「まあ,気にすんな」あいつ言いよってん。ティップ置いて出ていくとこやったわ。

「もう一杯だけ飲みましょうよ」おれ言うてん。「お願いします。おれめちゃめちゃ淋しいんですよ。マジで」

けどあいつ無理や言いよってん。もう遅刻してんねん言うて出ていきよったわ。

ルース。あいつまさにケツからぶりぶりて出したいやつやけど,あいつの語彙ごいたしかになかなかやったわ。おれウートンおったとき,あいつ語彙ごいいっちゃん豊富ほうふやってん。おれらテスト受けさせられたから。

20

おれ酔うとったからそこ座ったままティナとジャニン出てきてなんかやんのん待っててんけど,あのふたりもうおれへんかってん。髪ウェーヴかかってるおかまっぽいやつ出てきてピアノ弾いて,ほんでヴァレンシアいう新しいこお出てきてうとてん。どっこも上手いとこなかったけど,ティナとジャニンに比べたら上手かったし,すくなくともええうたうととったわ。ピアノ,おれ座ってるバー・カウンターのすぐ隣あって,ヴァレンシアおれのホンマすぐ横っとってん。おれそいつにめえで合図おくっとってんけど,そいつおれのこと見えてへんふりしとおってん。たぶんおれそんなんするつもりなかってんけど,めちゃめちゃ酔うとってん。そいつ歌わったらすぐ部屋ていきよったから,おれごいっしょに一杯いかがて誘う暇なかってん。せやからヘッドウェーター呼んで,ヴァレンシアによかったらおれといっしょに一杯どうですかて訊いて言うてん。ヘッドウェーター,かしこまいりました言いよったけど,たぶんあいつそれ伝えてへんわ。だれもなんも伝えよれへんねん。

ううわあっ,おれ一時かそれぐらいまでアホみたいにバーで座っとってん。アホみたいに酔うとってん。なんかめえ回っとったわ。けどおれ酔うて羽目はめ外さんようにめちゃめちゃきいつけとってん。だれにも見つかりとなかったし,おまえ何歳やて訊かれたなかってん。けど,ううわあっ,めえ回んねん。おれホンマに酔うてもうて,あの腹に弾丸ろたアホなん,また始めてん。このバーで腹に弾丸ろてんのん,おれだけや。てえ上着んなか入れて腹とか押さえて,あちこちにちい垂れんようにしとってん。負傷してることだれにも知られたなかってん。おれが負傷野郎いう事実,秘匿ひとくしとってん。そんなんしとったら,ジェーンに電話してもう家おるかどうか確かめたなってん。せやから勘定とか済ませてバー出て,ホテルの電話あるとこ行ってん。ずっとちい垂れんように上着んなかてえ入れとってん。ううわあっ,おれどんだけ酔うとったか。

けど電話ブース入ったら,ジェーンに電話しよいうきいもうあんまなくなっとってん。いまおもたら,酔っぱらいすぎとってん。ほんでサリー・ヘーズに電話してん。

ちゃんとした番号にかけんの二十回ぐらいダイアル回したわ。ううわあっ,めえ見えてへんかってん。

「もしもし」だれか出たから,おれ言うてん。でかい声で言うた思うわ。酔うとったから。

「どなたさんだす」めちゃくちゃ冷たい声で女のひと言うてん。

「おえです。ホーウデン・コーウフィーウドです。サイーに替わって,たのんます」

「サリーはもうとこいてます。わたしはサリーの祖母です。ホールデン,なんでこんな時間に電話してきはったん。いま何時か分かってはりますの」

「うん。サイーに言いたい。めちゃくちゃ大事な話。サイー出して」

「サリーはとこいてる言うてます。明日かけなおしとくなはれ。ほな,おやすみなさい」

「サイー起こして! 起こして! なんちゅやっちゃ」

ほしたら違う声してん。「ホールデン,わたし」サリーやってん。「なに思いついたん?」

「サイー? おまえか?」

「そう。怒鳴らんといて。酔うてんのん?」

「うん。聞いて。聞いて,なあ。おえクイスマス・イヴ行くわ。かめへんか? トゥイーのかざいつけやったうわ。かめへんか? かめへんか,なあサイー?」

「ええよ。酔うてるやん。もう寝たほうがええわ。どこおんのん。だれとおんのん」

「サイーか? おえトゥイーのかざいつけしに行ったうわ,かめへんか? かめへんか,なあ?」

「かまへんよ,来て。けどいまは寝たほうがええよ。どこおんのん。だれとおんのん」

「だえともおあん。おえと,ぼくと,わたしや」ううわあっ,どんだけ酔うとったか。おれそんときも腹さえとってん。「やあえた。ロッキーとこのやつあにやあえた。かうか? サイーかうか?」

「聞こえへん。もう寝たほうがええよ。もう切るわ。また明日電話して」

「なあサイー! おまえおえにトゥイーかざいに来て言うてんのん? おえに来て言うてんのん? なあ?」

「そうやで。おやすみ。うち帰って寝て」

あいつ電話りよってん。

「おやすみ。おやすみサイーちゃん。いとしのサイーちゃん」おれ言うてん。おれどんだけ酔うてたか想像つく? ほんでおれも電話ってん。たぶんあいつデートから帰ってきたとこやなおもてん。ラントとかといっしょにみんなで,ほんであのアンドーヴァーのやつもいっしょなってどっか行っとおってん。みんなでアホみたいに紅茶のポットんなかでぐるぐる泳いで,お洒落しゃれ台詞せりふ言いおうて,ひとのめえ引いて,パチもんなっとおんねん。あいつに電話せんといたらよかったおもたわ。おれ酔うたらきちがいなってまうねん。

おれしばらくアホみたいに電話ブースおってん。ずっと電話つかんで,きい失わんようにして。そんとき,おれあんま爽快な気分ちゃうかってん,マジで。けど結局,電話ブース出て便所って,アホみたいにふらふらしながら洗面台のボールに冷たい水めてん。ほんで,ざぶんて耳まで頭っこんでん。かわかそとか思えへんかったわ。れたかったられとけおもとってん。ほんで窓んとこのラディエーターまで歩いていって,そのうえ座ってん。ぬくかったし気持ちよかったわ。アホみたいに震えとったから気持ちよかってん。おもろいわ,おれ酔うたらいっつもめちゃめちゃ震えんねん。

なんもすることなかったから,おれずっとラディエーター座って床のちっこい白の正方形かぞえとってん。体だんだん濡れてきてん。水一ガロンぐらい首かられてえりとかネクタイにみこんどってんけど,っといてん。酔いすぎてて,なんもでけへんかってん。ほしたらちょっとして,ヴァレンシアの伴奏でピアノ弾いてたやつ,あの髪にウェーヴめちゃくちゃかかってたおかまっぽいやつ入ってきて,金髪のふさふさ,くしきだしよってん。そいつくしれとおるあいだちょっとはなししたけど,あんまおれに好意的ちゃうかったわ。

「なあ。バー戻ったらヴァレンシアにうたりする?」おれ訊いてん。

「その確率は大きいな」そいつ言うてん。頭ええひねくれた嫌なやつやったわ。おれ会うのん頭ええひねくれた嫌なやつばっかりや。

「聞いて。ヴァレンシアに,おれがめとった言うといて。ほんで,あのアホのウェーターおれの伝言ヴァレンシアに伝えたかどうか訊いといて,頼むわ」

「もううち帰ったらどや,にいちゃん。にいちゃん,いくつやねん」

「八十六や。聞いて。ヴァレンシアにおれがめてた言うといて。かめへんか?」

「もううち帰ったらどや,兄ちゃん」

「おれは帰らんで。ううわあっ,お兄さんめちゃくちゃピアノ弾けるやん」おれ言うてん。べんちゃら言うたってん。マジで言うと,そいつのピアノ腐っとったわ。「ラジオ出たらええのに」おれ言うてん。「お兄さんみたいな男前。きれいな金髪。マネージャー要らんか?」

うち帰れや,にいちゃん,おとなしゅうして。うち帰ってえ」

「帰るうちなんかあれへんわ。嘘ちゃうで。マネージャー要らんか?」

そいつ返事せえへんかってん。黙って出ていきよったわ。髪の毛くしいてポンポンて叩いて出ていきよってん。ストラドレーターみたいやったわ。ああいう男前のやつらて,みんなおんなじやねん。アホみたいに髪の毛くしいてもうたら,もう他人のことなんかどうでもええねん。

やっとラディエーター降りてクロークルーム行ったら,おれ泣いてもてん。いまなったらなんでか分からんけど,泣いてもてん。アホみたいに悲しかったし淋しかったからちゃうか。ほんでクロークルーム行ったら,おれあずかりふだアホみたいにどっかやってもてん。けどクローク係の女のひと,めちゃくちゃええ感じで応対してくれてん。とにかくおれのコート返してくれてん。ほんで「リトル・シャーリー・ビーンズ」のレコードも──おれそれまだ持ちあるいとってん。おれようしてもうたからクローク係の女のひとに一ドル出してんけど,受けとってくれへんかったわ。うち帰ってよ寝てくださいねてずっと言うとったわ。おれそのひとに,お仕事わったらおれとデートしませんかてさそてんけど,断られたわ。わたしお客さまのお母さまみたいな年齢としですよ言われてん。おれアホみたいに白髪せて四十二です言うてん──ふざけとっただけやねんけど,当然。けどあのひと感じよかったわ。おれアホみたいに赤いハンティング帽せたら,めてくれたわ。おれホテル出ていくまえ,そのひとおれに帽子かぶらせてくれてん。髪の毛まだかなり濡れとったから。ええひとやったわ。

たらちょっと酔いめとったけど,まためちゃくちゃさむなっとったから,はあがちがち鳴りだしてん。自分で止められへんかったわ。マディソン・アヴェニューまで歩いて,ちょっとバス待っとってん。もうカネほとんどなくなっとって,タクシー代とか節約せなあかんようなっててん。けどなんかバス乗りたい気分ちゃうかってん。そもそも,おれどこ行ったらええか分からんかってん。せやからおれ公園ザ・パークまで歩いていこおもてん。あの小さい池んとこ行って,鴨なにしとおんのか見てこよ,そのあたりに鴨おるかどうか確かめよおもてん。おれそんときまだ鴨そのへんおるかどうか分かってなかってん。公園ザ・パークまでとおなかったし,ほかとくに行くとこなかってん──まだどこで寝るかも決めてなかってん──せやから行ってん。眠たいとかなかったわ。めちゃくちゃきい重かったけど。

公園ザ・パーク入るとこで,とんでもないこと起きてもうてん。フィービーのレコード落としてもうてん。五十個ぐらいの欠片かけらに割れてもてん。でっかい封筒みたいなんに入っててんけど,それでも割れてもてん。アホみたいに泣きそうやったわ。ひどい気分なったわ。けどおれその欠片かけら封筒から出してコートのポケット入れてん。もうそんなんなんの役に立つもんでもなかってんけど,捨てたなかってん。ほんで公園ザ・パーク入ってん。ううわあっ,暗かったわ。

おれ生まれてからずっとニュー・ヨーク住んどって,セントラル・パークのこと自分の手の甲みたいに知ってんねん。子どもんときいっつもそこでローラースケートしとったし,自転車ったりしとったから。せやのにその夜は池つけんのにそれまでなかったぐらいすっごい苦労してん。どこあるかちゃんと分かっとってんけど──セントラル・パーク・サウスのすぐ近くやん──せやのに見つかれへんかってん。自分でおもてたより酔うとったんや思うわ。ずっと歩いて歩いて,だんだんくらなって,だんだん不気味なってきてん。公園ザ・パークおるあいだ,おれだれにも会えへんかったわ。いま考えたら,だれにも会わんでよかったわ。もしだれかにうとったら一マイルぐらい跳びあがってた思うわ。ほんでやっと池つけてん。池,半分こおって,半分こおってなかったわ。けど鴨そのへんに一羽もおれへんかってん。おれ池のまわりアホみたいに一周あるいてん──アホみたいに一回はまりそうなったわ──けど鴨一羽もおれへんかってん。どっかおるとしたら,たぶん水辺の近くの,草むらの近くで寝とったりするんちゃうかおもてん。ほんで池はまりそうなってん。けど一羽もおらんかったわ。

ほんでおれベンチ座ってん。そこあんまくらなかってん。ううわあっ,おれそのときでもずっとアホみたいに震えとったわ。ハンティング帽かぶっとったけど,頭の後ろのほうの髪の毛に小さい氷のかたまりいっぱい付いとってん。おれ心配なってん。おれたぶん肺炎なって死ぬわおもてん。ほんでアホが何百万人もおれの葬式とかんのん想像してみてん。デトロイトのおじん,バス乗ったら通りの数ずっと声して数えよるし,それと,おばさんら──おれ,おばさん五十人ぐらいおんねん──ほんでカスみたいないとこら。どんだけ集まってきよるか。そいつらみんなアリー死んだときもよってん,あのアホみたいな親戚一同。ひとり口臭こうしゅうきついアホのおばさんおって,このこお安らかに眠ってるわあてずっと言うとったて,D.B.言うとったわ。おれ行けへんかってん。そんときまだ入院しとったから。てえ怪我けがしたから入院せなあかんかってん。とにかく髪のけえこんな氷のかたまり付いとって,ずっと肺炎なるんちゃうか,もう死ぬんちゃうかて心配しとってん。おかんとおとんに申しわけないおもたわ。とくにおかんに。アリーのことあって,いまでも立ちなおってへんから。おれ死んだら,おかん,おれのスーツとか運動用具とかどうしてええか分からんで困るやろなおもて,めえ浮かんだわ。ひとつ安心やったん,おかん,フィービーはまだ小さいから言うておれの葬式させへんの分かってたことやねん。それだけは安心できるとこやってん。ほんで親戚一同でおれのことアホみたいに共同墓地とか入れて,おれの名前いた墓石ぼせきとか載せるとこ想像してん。死んだら,死んだやつらに囲まれんねんで。ううわあっ,死んでもうたら,えらいやつらといっしょにおらなあかんねん。もしおれ死んだら,だれかまともな感覚ってるやつ,おれのこと川ててくれたらええ思うわ。アホみたいに共同墓地れられるんちゃうかったらなんでもええわ。日曜なったらだれか来て腹のうえに花束いていきよんねん。そんなウンコみたいなめえうねん。死んだあと花束しいやつおるか。そんなやつおらんわ。

天気かったら,おとんとおかん,しょちゅう花束ってアリーの墓きよんねん。おれも二回いていったことあるけど,もうめてん。そもそも,おれアリーとそんなアホな墓地で対面しても,よかった思われへんねん。死んだやつらとか墓石ぼせきとかに囲まれて。ひい出てたらまだええねんけど,二回──二回とも──おれら行ったら雨ってきてん。ひどかったわ。アリーのカスみたいな墓石ぼせきに雨って,アリーの腹のうえの芝生しばふに雨って。そこら中に雨っとってん。墓参りとったひとら,めちゃくちゃ走って車りよんねん。おれきい狂いそうなったわ。墓参り来たやつらは,車ってラジオ聞いて,ほんでどっかええとこ晩飯ばんめし食いに行けるわ──けどアリーは行かれへんやん。そんなん耐えられへんかってん。墓地にあるんは肉体だけで魂は天国ってるとか,そんなウンコみたいなこと分かってるけど,とにかく耐えられへんかってん。おれいまでも,アリーあんなとこにおらんかったらええのに思うわ。みんなアリーのこと知らんやん。もしアリーのこと知っとったら,おれなに言うてんのか分かってもらえる思うわ。ひい出てたらまだええねんけど,ひいは出たいときしかよれへんねん。

しばらくして,肺炎なるとか気にすんのめよおもて,街灯のカスみたいなあかりのしたでカネ出して数えてみてん。残ってたん,一ドル札が三枚,二十五セント玉五個,五セント玉一個だけやったわ──ううわあっ,おれペンシー出てからひと財産使つこてもうてん。ほんで池の近く行って,二十五セント玉全部と五セント玉,水切りみたいにして池の凍ってないとこ投げたってん。なんでそんなんしたんかもう分からんけど,そうしてん。そんなんしたら,肺炎なって死ぬいう心配えるんちゃうかておもたんちゃうかな。消えへんかったけど。

おれ肺炎なって死んだらフィービーどう思うやろて考えてん。そんなん子どもじみた想像やけど,想像してもうてん。もしそんなん起こったら,フィービーかなりきい重なるわ。フィービーおれのこと好きやねん。ようなついてんねん。ホンマ。とにかくおれ肺炎なって死ぬかもしれんおもとったから,死ぬんやったらそのまえにうち忍びこんでフィービーにうとこおもてん。うちの鍵は持っとったから,静かにアパートメント忍びこんで,しばらくフィービーとはなしでもしょうおもてん。心配なん,うちの部屋のドアだけやったわ。アホみたいにぎいぎい鳴りよんねん。けっこう古いアパートメントで管理人てえ抜いとったから,どこもかしこも,きいきいぎいぎい鳴りよんねん。おれ忍びこんだら,その音おとんおかんに聞かれるかもしれんかってん。けどとにかく行ってみよおもてん。

せやからおれ公園ザ・パーク出て,うち行ってん。ずっと歩いていってん。あんまとおなかったし,眠たなかったし,もう酔うてなかってん。ただめちゃくちゃ寒かったし,うちまでだれにも会えへんかったわ。

21

ここ何年かで最高についとったわ。うち着いたらピートいういつもの夜番やばんのエレヴェーター・ボーイおれへんかってん。おれうたことない,なんか新しいやつおってん。せやから,おとんおかんとはちわせとかせえへんかったら,フィービーにうて出ていっても,おれ来たことだれにもばれへんおもてん。ホンマすごいついとったわ。せやし,新しいエレヴェーター・ボーイちょっとアホやってん。おれめちゃくちゃ気さくに,ディックステーンさんとこ頼むわ言うてん。うちある階,うちとディックステーンさんとこ住んでんねん。ハンティング帽そんとき脱いどったわ,あやしいとか思われたらあかんおもて。おれすごい急いでるふりしてエレヴェーター乗ってん。

そいつドアとか全部めて,ほんでエレヴェーター動かそかいうときなって,おれのほう向いて言いよってん。「ディックステーンさんとこ,お留守ですけど。十四階のパーティー行ってはりますわ」

「かめへん」おれ言うてん。「ちょっと待ってる言うたあんねん。おれおいやねん」

そいつアホなりにおかしいぞいう顔しよってん。「ほたらロビーで待ってはったほうがええんちゃいますか」そいつ言いよってん。

「できるもんならそうしたいねんけど──ホンマ」おれ言うてん。「けどおれ脚わるいねん。脚じっとしとくときの姿勢まってんねん。せやから上のドアんとこある椅子すわってるほうが具合ええ思うねん」

そいつ,おれがなに言うてんのか分からんいう顔して,「ああ」言うてエレヴェーター動かしよってん。ううわあっ,かなりうまいこといったわ。いま考えてもおかしいわ。だれにもわけ分からんこと言うたら,みんなそのとおりにしてくれよんねん。

おれうちの階で降りて──アホみたいに脚ひきずりながら──ディックステーンさんのほうちょっと歩いてん。ほんでエレヴェーターのドア閉まる音してから,反対いてうちのほう行ってん。うまいこといったわ。酔いもうめとったわ。ほんで鍵して,めちゃくちゃ静かにドア開けてん。ほんで,めちゃくちゃ,めちゃくちゃきいつけて中はいってドア閉めてん。ホンマおれ泥棒なれるやんおもたわ。

あたりまえやけどうち入ったらめちゃめちゃ真っ暗で,あたりまえやけど電気けられへんねん。なんかぶつかって音てたらあかんおもきいつけとってんけど,うち帰ってきたおもたわ。うち入ったら,ほかでどっこもないヘンなにおいすんねん。なんのにおいか分からんけど。カリフラワーでもないし香水でもないし──どう言うてええんか分からんわ──けどそのにおいしたらいっつもうち帰ってきた思うねん。コート,入口のクローゼット掛けとこおもて脱ぎかけてんけど,クローゼット開けたらハンガーいっぱいでアホみたいにがちゃがちゃ鳴りよるから,コート着たまま,また,めちゃくちゃ,めちゃくちゃゆっくりフィービーの部屋のほう進んでん。メード音てても聞こえへんのん分かっとってん。鼓膜こまくかたっぽないねん。子どもんときお兄さんが耳の奥にわら刺したからや言うとったわ。せやから,耳かなり聞こえへんねん。けどうちの親,とくにおかん,アホみたいにブラッドハウンドみたいな耳しとおんねん。せやから親の部屋の前とおるとき,めちゃくちゃ,めちゃくちゃゆっくり進んでん。息も止めとったわ。おとん椅子で頭なぐっても起きひんけど,おかん,シベリアでせきしてもきいつきよんねん。めちゃめちゃ神経質やねん。しょっちゅう一晩中きて煙草うとおんねん。

フィービーの部屋くまで一時間ぐらいかかったわ。けど,フィービーおれへんかってん。おれ忘れとってん。D.B.ハリウッドとかどっか行ってるあいだ,フィービーいっつも兄貴の部屋でとおんの忘れとってん。うちでいっちゃん広い部屋やから気に入っとおんねん。その部屋,D.B.フィラデルフィアの大酒飲みの女からうてきた古いでっかいきちがいみたいな机あって,ほんでベッド,幅十マイル長さ十マイルぐらいあるでっかい巨大なやつやねん。ベッドどこでうてきたかは知らんわ。とにかく,D.B.おれへんとき,フィービー兄貴の部屋でたがりよんねん。ほんで兄貴がええ言うとおんねん。あのアホみたいな机でフィービー宿題とかやってんの見てほしいわ。机,ベッドよりひと回り小さいだけやねん。フィービー宿題やっててもどこおんのか分かれへんねん。けどフィービーそんなん好きやねん。自分の部屋せますぎる言いよんねん。要るもん全部して広げたいねんて。びびったわ。広げなあかんもんてなにあんねん。なんもないやん。

とにかくおれ,めちゃめちゃ静かにD.B.の部屋はいって,机のランプけてん。フィービー起きひんかったわ。電気けてしばらく,おれフィービーの寝顔とってん。枕の端に顔せてとってん。口がばあ開いとってん。おもろいわ。大人てるとき口がばあ開けてたらカスみたいに見えるやん,けど子どもはちゃうねん。子どもはかめへんねん。枕じゅうよだれらしとっても,かめへんねん。

おれめちゃくちゃ静かに部屋んなか歩いて,しばらくいろんなもん見とってん。気分わって元気なっとったわ。もう肺炎なるとかの心配えとってん。調子うなっとってん。フィービーの服,ベッドの横の椅子にまとめたあってん。子どもにしては,めちゃくちゃきっちりしてんねん。子どもて脱いだもんそのへんっときよるやつおるけど,フィービーちゃうねん。だらしなないねん。おかんカナダでフィービーにうたベージュのスーツの上着,椅子のせえ掛けたあってん。ほんでブラウスとか椅子に置いたあんねん。靴と靴下,椅子の真下の床にそろえて置いたあんねん。おれその靴はじめて見たわ。新しかってん。おれがいまいてるみたいな焦茶こげちゃのローファーで,カナダでおかんにうてもうたベージュのスーツにてたわ。おかんフィービーの服えらぶん上手いねん。ホンマ。おかん,ある分野のことやったら,すごい見る目あんねん。アイス・スケートの靴うとかそんなんぜんぜんあかんねんけど,服えらめえは完璧やわ。せやからフィービーいっつもびびる服とおんねん。子どもてたいてい,親どんだけ金持ちでも,ろくでもない服てんのんふつうやん。おかんカナダでうたスーツ,フィービー着てるとこ見てほしいわ。マジで。

おれD.B.の机すわって,机に置いたあるもん見てん。ほとんどフィービーの学校のもんやったわ。ほとんど本やったわ。いっちゃん上に『算数は楽しい!』いう本あってん。始めのページ開けてよう見たら,フィービーなんか書いとおってん。

フィービー・ウェザーフィールド・コールフィールド
4B-1

びびったわ。フィービーのミドル・ネーム,ジョゼフィンやねん。せやのにウェザーフィールドて。フィービー,ミドル・ネーム気に入ってなかってん。会うたびいっつも新しいミドル・ネーム自分で付けとおんねん。

算数の本のした地理の本で,地理のしたつづりの本やったわ。フィービーつづりめちゃくちゃ得意やねん。どの教科もめちゃくちゃ得意やねんけど,つづりいっちゃん得意やねん。ほんでつづりの本のしたにノート何冊か積んだあってん。フィービー,ノート五千冊ぐらい持っとおんねん。あんないっぱいノート持ってるこお見たことないわ。いっちゃん上のノートの始めのページ開けたら,こんなん書いたあってん。

バーニス休み時間に話あんねん。とてもとても大事な
用事あんねん。

そのページ,それしか書いたあれへんねん。次のページにこんなん書いたあってん。

南東アラスカに何故そんなに多くの缶済めcaning工場があるか?
鮭が沢山いるから
そこには何故貴重な森林があるのか?
それは気候がぴったりだから
アラスかのalaskanエスキモーの生活を昔より楽にする為に
私達の政府は何をして来たか
明日それを調べる!!!
     フィービー・ウェザーフィールド・コールフィールド
     フィービー・ウェザーフィールド・コールフィールド
     フィービー・ウェザーフィールド・コールフィールド
     フィービー・W・コールフィールド
     フィービー・ウェザーフィールド・コールフィールド殿
  シャーリーに回して下さい!!!!
  シャーリーあんたい手座sagitarius言うとったけど
ちょっと足らんから牡牛座taurusやん家来るとき
スケート持って来て

おれD.B.の机すわって,そのノート一冊まるごと読んでん。そんな時間かからんかったし,おれ子どものノートとか,フィービーのんでもほかのこおのんでも,一日中んでられんねん。子どものノート,びびるわ。ほんでおれまた煙草けてん──最後の一本やったわ。おれその日,三カートンぐらい煙草うた思うわ。ほんでとうとうフィービー起こしてん。一生その机すわってるわけにもいかんかったし,せやし急に親はいってくんのちゃうかおもとったから,そうなるまえにフィービーに挨拶ぐらいしときたかってん。せやから起こしてん。

フィービーいっつも簡単に起きよんねん。大きい声とか出さんでええねん。ホンマ,ベッド座って「フィーブ,起きて」言うだけで,ぱっと分かってめえ覚ましよんねん。

「ホールデンやん!」フィービーすぐ言いよってん。おれの首んとこ抱きついてきよったわ。フィービー,愛情表現おおきいねん。子どもにしては,かなり愛情表現おおきいねん。ときどき大きすぎんねん。おれフィービーにキスしたら,「いつ帰ってきたん?」言いよってん。おれ来たからめちゃめちゃ嬉しがっとってん。そうやった思うわ。

「大きい声さんと。さっき。元気か」

「元気や。手紙とどいた? 五ページも書いてんで──」

「うん──大きい声さんと。ありがと」

フィービーおれに手紙いてきよってん。おれ返事く機会なかってんけど。学校でやる芝居のこと書いたあったわ。金曜日デートの予定とか入れんといてな,せやないと芝居られへんでて書いたあったわ。

「芝居どうなん?」おれ訊いてん。「なんちゅう芝居やっけ?」

「『アメリカ人のためのあるクリスマス祭り』。くさい芝居やけど,わたしベネディクト・アーノルドやんねん。ホンマいちばんでっかい役やねん」フィービー言いよってん。ううわあっ,ばちいめえ覚ましとったわ。そんなはなししとったら,めちゃくちゃ興奮しよんねん。「わたし死にそうなってるとっから芝居はじまんねん。クリスマス・イヴに幽霊て,なんか恥じることないかてわたしに訊いてくんねん。ほら。祖国うらったこととか。見に来る?」フィービー,ベッドで起きあがって座っとったわ。「それ全部手紙に書いたやん。見に来る?」

「見に行く。ちゃんと行く」

「お父さんられへんねん。飛行機ってカリフォルニア行かなあかんねんて」フィービー言うてん。ううわあっ,ばちいめえ覚ましとったわ。めえ覚ますん二秒ぐらいしかかかれへんねん。フィービー,ベッドで起きあがって──ていうかひざから下げて座って──おれのてえ握りよってん。「なあ。お兄ちゃん水曜に帰ってくるてお母さん言うてたで」フィービー言うてん。「水曜うてたのに」

よ終わってん。大きい声さんと。みんな起きてまうから」

「いま何時? お母さん,めちゃくちゃおそなる言うてたわ。お父さんお母さんコネティカットのノーウォーク,パーティー行ってんねん」フィービー言うてん。「今日ひるからわたしなにしてたか分かる? なんの映画たか。当てて!」

「分からん──聞いて。お父さんお母さん,何時に帰るて──」

「『医師』」フィービー言いよってん。「リスター財団でしかやってへん映画やねん。一日しかやれへんねん──それが今日やってん。ケンタッキーのお医者さん,障害あって歩かれへん女の子の顔に毛布かけてまうねん。ほんで刑務所おくられんねん。ええ映画やったわ」

「ちょっと聞いて。お父さんお母さん,何時に帰るて──」

「お医者さん,かわいそうやおもてんねん。せやから女の子の顔に毛布とかかけて窒息ちっそくさせんねん。ほんで終身刑なんねんけど,頭に毛布かけられたこお,ずっとそのお医者さんとこ来てお医者さんに感謝すんねん。慈悲じひにもとづく殺人やってん。せやけど,神様が決める運命をお医者さんが勝手に変えたらあかんから,そのお医者さん,自分は刑務所かなあかんおもてんねん。うちの組の子のお母さん連れてってくれてん。アリス・ホームボーグ。わたしその子といっちゃん仲ええねん。その子──」

「ちょっと待って,頼むわ」おれ言うてん。「ひとつ訊いてええか。お父さんお母さん何時に帰るて言うてた,言うてなかった?」

「何時とは言うてへんけど,めちゃくちゃおそなんで。お父さん車で行ってん。汽車の時間とか気にせんでええように。車,ラジオ付いてんで! けどお母さん,車でどっか行くときラジオつけたらあかん言うねん」

それでちょっと安心したわ。家で親につかまるかどうかて,もう心配すんのめてん。そのことめちゃくちゃ考えとってんけど。つかまったらつかまったや。

そんときのフィービー見てほしかったわ。青いパジャマ着て,えりんとこに赤い象おんねん。フィービー,象にいかれてんねん。

「ほしたら,それええ映画やってんな」おれ言うてん。

「ばっちりや,けどアリス風邪ひいてて,おばさんずっとアリスにインフルエンザちゃうか訊いとってん。映画やってんのに。大事なとこでいっつもおばちゃん,体ばしてアリスにインフルエンザちゃうかて訊くから,わたしなんも見えへんかってん。いらついたわ」

おれフィービーにレコードのはなししてん。「聞いて,おまえにレコードうてきてん」おれ言うてん。「けどうち来る途中で割れてもうてん」おれコートのポケットからレコードの欠片かけら出してフィービーに見せてん。「酔うとってん」おれ言うてん。

「それちょうだい」フィービー言うてん。「割れたん,とっとくわ」フィービーおれのてえからレコードの欠片かけら取って,ナイト・テーブルの引きだし入れよってん。いっつも,びびることしよるわ。

「D.B.クリスマス帰ってくんの」おれ訊いてん。

「どうなるか分からんてお母さん言うてた。仕事しだいやて。ハリウッドでアナポリスの映画の脚本かなあかんかもしれんねんて」

「アナポリスて!」

「恋愛もんやて。だれ出るか当ててみ。映画スターだれ出るか。当てて!」

「興味ないわ。アナポリスて。D.B.アナポリスのことなに知ってんねん? そんなん兄貴いてる短編小説となに関係あんねん」おれ言うてん。ううわあっ,おれそんなん腹つねん。ハリウッドのアホめ。「腕どないしたん?」おれ訊いてん。ひじにでっかい絆創膏ばんそこ貼ったあってん。フィービーのパジャマそでないから分かってん。

公園ザ・パークの階段りてるとき,うちの組のカーティス・ワイントローブいう男子わたしのこと押しよってん」フィービー言うてん。「見る?」ほんで,アホみたいに絆創膏ばんそこがしだしよってん。

「そのまましとき。そのこおなんでおまえのこと階段で押したん?」

「知らん。わたしのこと嫌いなんちゃう」フィービー言うてん。「セルマ・アタベリーいう子とわたし,そいつのウィンドブレーカーにインクかけたったから」

「それはうないわ。そんなことすんの何者なにもんや,子どもか」

「ちゃうわ,けど公園ザ・パークおったら,あいつどこ行ってもわたしのあと付いてきよんねん。いっつもあと付けてきよんねん。いらつくわ」

「たぶんそのこおおまえのこと好きなんちゃう。けどウィンドブレーカーにインクかけるて──」

「あんなやつに好きなってほしないわ」フィービー言うてん。ほんで,にやにやしながらおれの顔よってん。「ホールデン」フィービー言いよってん。「なんで水曜に帰ってけえへんかったん?」

「なにが?」

ううわあっ,フィービーに油断したらあかんわ。フィービーのことごまかせるおもてんねやったら,頭おかしいで。

「なんで水曜に帰ってけえへんかったん?」フィービー訊きよってん。「退学とかなったんちゃうよね?」

「さっきも言うたやん。よ帰れるようなってん。全員──」

「退学なったんや! 退学や!」フィービー言いよってん。ほんでこぶしでおれの脚なぐってきよってん。フィービーそのきいなったらめちゃくちゃなぐってきよんねん。「退学や! うわ,ホールデン!」ほんでてえで口さえよってん。めちゃくちゃ気持ちあふれておさえられへんようなりよんねん,ホンマ。

「おれ退学なったてだれ言うた。だれも言うてへん──」

「退学やわ。退学や」フィービー言いよってん。ほんでまたこぶしで殴ってきよってん。それいたないおもてんねやったら,きいくるてるで。「お父さんそんなん聞いたら,お兄ちゃん殺されてまうやん」フィービー言いよってん。ほんで,ベッドにぽんとうつせなって,アホみたいに枕で頭かくしよってん。そんなんようしよんねん。ときどきホンマきちがいなりよんねん。

「もうそんなんめて」おれ言うてん。「おれはだれにも殺されへんて。だれも──なあ,フィーブ,そのアホみたいなん取って顔してくれ。おれはだれにも殺されへんて」

けどフィービーそのまましとおってん。あいつが嫌やおもたら,だれも言うこときかされへんねん。ずっと「お兄ちゃん,お父さんに殺されてまうやん」言うとってん。どういうつもりで言うとおったんか,アホみたいに枕で頭かくしとおったから,よう分からんかったわ。

「おれはだれにも殺されへんて。頭使つかえや。そもそもおれ,ここ出ていくねん。たぶん牧場かどっかでしばらく働く思うわ。知りあいに,おじいさんコロラドに牧場ってるいうやつおんねん。そこまで行って働くことなる思うわ」おれ言うてん。「むこう行ってもおまえとかにはずっと連絡するわ,もし行ったとしても。なあ。顔してえな。なあ,おい,フィーブ。頼むわ。頼むわ,お願いや」

けどフィービーそのまましとおんねん。枕っぱったけど,あいつめちゃめちゃ力あんねん。あいつと喧嘩けんかしたら疲れんねん。ううわあっ,あいつが枕で頭かくしたいおもたら,だれもめさせられへんねん。「フィービー,頼むわ。ほら顔して」おれずっと言うとってん。「なあ,おい... おい,ウェザーフィールド,顔して」

けど出しよれへんかってん。あいつ言うても分からんときあんねん。しゃあないから,おれ立ってリヴィング・ルーム行って,テーブルの箱から煙草して何本かポケット入れてん。煙草れとったから。

22

部屋もどったらフィービーもう枕で頭かくしてへんかってん──そうやろおもとってん──けどあいつおれのことよれへんねん。あおけにころんどったのに。おれベッドの横ってまた座ったら,あいつアホみたいに顔反対はんたい向けよってん。あいつおれのことめちゃめちゃ陶片追放とうへんついほうしとおってん。おれ防具とか全部地下鉄に忘れたときの,ペンシーのフェンシング部のやつらみたいに。

「ヘーゼル・ウェザーフィールド元気なん?」おれ言うてん。「あの子の話また書いた? 前おくってくれたやつ,おれスーツケース入れたあんねん。いま駅にあるわ。あれめちゃくちゃよかったわ」

「お兄ちゃん,お父さんに殺されてまうわ」

ううわあっ,あいつ頭なんか浮かんだら,ホンマそればっかりおもとおんねん。

「そんなことないて。どんだけわるうても,お父さんまためちゃめちゃ怒って,おれアホみたいに軍隊の学校かされるぐらいやわ。お父さんすんのんそれぐらいやわ。せやし,そもそもおれもうおれへんようなんねん。出ていくねん。コロラドの牧場くわ──たぶん」

わらかさんといて。お兄ちゃん馬よう乗らんやん」

「だれがやねん。乗れるわ。論をたずや。二分ぐらい教えてもうたら乗れるようなんねん」おれ言うてん。「それ取ったらあかんで」あいつ腕の絆創膏ばんそこ取ろうてしとってん。「だれに髪ってもうたん」おれ訊いてん。あいつアホな髪型なってんのん,そんとききいついてん。短すぎてん。

「そんなん関係ない」あいつ言いよってん。ときどきめちゃくちゃ偉そうに言いよんねん。かなり偉そうに言いよんねん。「わたしの見立てやと,また全教科としたな」あいつ言いよってん──めちゃくちゃ偉そうに。けど,ある意味おもろかったわ。あいつ,ときどき学校の先生みたいな口調くちょうなんねんけど,小さい子どもやん。

「そんなことないわ」おれ言うてん。「英語とおったわ」ほんでおれ,たいした意味なしに,あいつのケツひねったってん。あいつ横向きにころんどったから楽勝やってん。あいつ,ケツなんかほとんど膨らんでへんねんけど。思いっきりひねったわけちゃうけど,あいつおれのてえ殴ろうてしよってん。けど当たれへんかったわ。

ほしたら急にあいつ言いよってん。「うーわ,なんでそんなことしたん」なんでまた退学なったんいう意味で。その言いかた聞いて,おれ悲しなったわ。

「なあ,あかん,フィービー,そんなん訊かんといて。みんなにそれ訊かれて,おれ気持ちわるなってんねん」おれ言うてん。「理由は百万ぐらいあるわ。あそこ,おれいままで行ったなかで最悪の部類の学校やってん。パチもんだらけやってん。ほんでずるいやつらも。ずるいやつらあんないっぱいおんの,人生でこれまで見たことない思うわ。たとえばだれかの部屋で男ばっかり集まってはなししとって,だれか入ってこよてしたとき,そいつがなんかアホなニキビだらけのやつやったら,だれも入れたりよれへんねん。だれか入りたがってるとき,いっつもみんなドアに鍵しよんねん。ほんであいつらアホみたいな秘密結社つくっとおんねん。おれ根性ないから入らんわけにいかんかったけど。それ入りたい言うたニキビだらけのおもんないやつおってん。ロバート・アクリーいうねんけど。そいつずっとはいろうてしててんけど,だれもれたりよれへんかってん。そいつがおもんないしニキビだらけやからいう理由だけで。そんなんはなししてるだけで嫌なってくるわ。あの学校くさっとってん。正味しょうみ

フィービー黙っとったけど,おれの話いとおってん。首の後ろ見てたら,あいつ話いてるん分かってん。あいつになんか言うてるとき,あいつ話いとおんねん。ほんでおもろいんは,たいていなんの話かあいつ分かっとおんねん。ホンマ。

おれずっとペンシーのはなししてん。ペンシーのはなししたかってん。

「先生んなかにもええ先生ふたりだけおったけど,そいつらもパチもんやってん」おれ言うてん。「年寄りのスペンサー先生いうんおってん。奥さんいっつもココアとか出してくれんねん。奥さんも先生もホンマかなりええひとらやねん。けど歴史の授業中に校長のサーマー入ってきて教室の後ろ座ったときのこと見てほしかったわ。サーマーいっつも教室はいってきて教室の後ろ三十分ぐらい座っとおんねん。そこおれへんことなってんねん。ほんでしばらく座って,スペンサー喋ってんのに割りこんでしょうもないジョークいっぱいかましよんねん。スペンサー,ホンマ自分ころして,サーマーがアホな王子様かなんかみたいに,声してわろたり顔だけでわろたりしよんねん」

「あんま下品な喋りかたしたらあかんで」

「あんなん見たらゲエ吐くで,ホンマ」おれ言うてん。「ほんで卒業生のひいや。卒業生のひいなったら,一七七六年ごろペンシー卒業したみたいなアホなやつらみんな,嫁さんとか子どもとかみんな連れて学校もどってきて,そこらじゅう歩きまわりよんねん。ひとり五十ぐらいの年寄りのおっさん,見てほしかったわ。そいつ,おれらの部屋はいってきて,ノックして便所りてかまいませんかておれらに訊きよってん。便所,廊下の突きあたりあんねん──なんでそんなんおれらに訊きよったんか,いまでも分からんわ。ほた,そのおっさんなに言うた思う? 便所のとおのどっかにそいつのかしら文字もじまだ残ってるかどうか見たい言いよってん。九十年ぐらい前にそのおっさん便所のとおのどれかにアホみたいにかしら文字もじりよってん。それまだ残ってるかどうか見たい言いよんねん。せやから,ルームメートとおれとおっさん便所まで案内して,おっさん便所のとおいっこずつ調べてかしら文字もじ探しとおるあいだ,おれらそこ立ってなあかんかってん。おっさん,そのあいだずっとおれらにはなししとおってん。ペンシーおったころが人生でいっちゃん幸せな時期やった言うて,将来のこといろいろ忠告してきよってん。ううわあっ,悲しなったわ! そのおっさん嫌なやつやった言うてんのちゃうねん──嫌なやつちゃうかってん。けど嫌なやつちゃうかっても,そいつのせいで悲しなることあんねん──ええやつのせいでも悲しなることあんねん。便所のとおったかしら文字もじ探しながらパチもんの忠告いっぱいするやつおったら,そいつのせいで悲しなんねん──そんなんだれがやっても悲しなんねん。なんでか分からんけど。もしそのおっさん息れてなかったら,たぶんまだましやったかもしれんわ,絶対。おっさん階段のぼっただけで完全に息れとってん。かしら文字もじ探しとおるあいだ,ずっと音てて息しとおってん。鼻の穴,おもろい形なったり悲しい形なったりしとってん。せやのにストラドレーターとおれに,ペンシーで身につけれるもんは全部身につけとけよ言いよんねん。あかん,フィービー! おれ,よう説明せんわ。ペンシーで起こってることなにもかも嫌いやってん。よう説明せんわ」

そんときフィービーなんか言いよってんけど,聞こえへんかってん。あいつくちの端っこ枕にべたあて付けとったから,なに言うてるか聞こえへんかってん。

「なに?」おれ言うてん。「口はなしてえや。口そんなんしとったら聞こえへんやん」

「お兄ちゃん,起こってることなにもかも嫌いやん」

あいつそんなん言いよったから,おれもっと悲しなったわ。

「そんなことないわ。そんなことないわ。絶対そんなことないわ。そんなん言うなよ。なんでそんなん言うねん」

きろてるからやん。どこの学校も嫌いやん。嫌いなこと百万個あんねやろ。なんでも嫌いやん」

「そんなことないて! それは違うわ──それは完全に違うわ。なんでそんなこと言うねん」おれ言うてん。ううわあっ,あいつのせいでどんどん悲しなったわ。

「なにもかもきろてるからやん」あいつ言いよってん。「なんかひとつ言うてみ」

「ひとつ? おれの好きなもんひとつ?」おれ言うてん。「わかった」

けど,おれあんま集中でけへんかってん。ときどき集中でけへんことあんねん。

「おれがめちゃめちゃ好きなもんひとつ言うたらええねんな」おれ訊いてん。

けどあいつ返事せえへんかってん。ベッドの向こう側に体半分はんぶんだらんてらしとおってん。千マイルぐらい離れてるきいしたわ。「なあ返事せえや」おれ言うてん。「おれがめちゃくちゃ好きなもんか,ちょっとでも好きやったらええんか」

「めちゃくちゃ好きなもん」

「わかった」おれ言うてん。けどおれ集中でけへんかってん。思いついたん,あのよれよれのわらかごで募金しとった尼さんふたりぐらいやったわ。とくに鉄縁てつぶちの眼鏡かけたほうの。それからエルクトン・ヒルズで知ってたやつと。エルクトン・ヒルズにジェームズ・キャッスルいうやつおって,そいつフィル・スタビルいうめちゃくちゃイキってるやつのことけなしたん撤回せえへんかってん。ジェームズ・キャッスル,そいつのことめちゃくちゃイキってる言いよってん。ほしたらスタビルのカスみたいな友だち,スタビルんとこ行ってそれ密告しよってん。ほんでスタビル,汚いやつら六人れてジェームズ・キャッスルの部屋って,アホみたいに鍵めて発言撤回てっかいさせようてしよってんけど,ジェームズ・キャッスル嫌や言いよってん。ほんでそいつら,かかっていきよってん。そいつらなにしたか全部は言わんとくわ──気分わるなるだけや──けどジェームズ・キャッスル撤回せえへんかってん。どんなやつかてほしかったわ。せえ低いガリガリの弱そうなやつで,手首なんか鉛筆みたいに細かってん。ほんでとうとう,発言撤回てっかいせんまま,そいつ窓から跳びおりよってん。おれシャワー浴びとってんけど,それでもジェームズ・キャッスル地面ぶつかった音こえたわ。けど,ラジオか机かなんか窓から落ちてんやろぐらいしか思えへんかってん,人間て思えへんかってん。ほしたら,みんな廊下はしって階段りる音こえたから,おれもバスローブ着て下ったら,石段とこにジェームズ・キャッスル倒れとってん。死んどってん。はあとかちいとか飛びちっとったわ。ほんで,だれも近づこてせえへんねん。ジェームズ・キャッスル,おれ貸したったとっくりのセーターとってん。その部屋おったやつら,退学なっただけ。刑務所ったやつなんか,だれもおれへんわ。

けど,思いついたん,それだけやってん。朝飯あさめしんときうた尼さんふたりと,エルクトン・ヒルズんときのジェームズ・キャッスルいうやつと。おもろいんは,おれジェームズ・キャッスルのことほとんど知らんねん,マジで。すごいおとなしいやつやってん。数学の授業でいっしょやってんけど,教室の反対側すわっとったし,てえ挙げて答え言うたりとか黒板ったりとかほとんどせえへんやつやってん。学校に,てえ挙げて答え言うたりとか黒板ったりとかせえへんやつて何人かおるやん。なんか喋ったんて,そいつがおれにとっくりのセーター貸して言うてきたときだけやった思うわ。おれ言われたときアホみたいに倒れて死にそうなったわ。びっくりしてん。覚えてるわ,おれ便所ではあ磨いとったとき言われてん。いとこ来て車でどっか連れてってくれるとか言うとったわ。おれとっくりのセーター持ってんの,そいつ知ってるいうことも知らんかったわ。おれ,そいつのことで知ってたん,出席とるときいっつもおれのいっこ前のやついうだけやってん。ケーベルCabel,R。ケーベルCabel,W。キャッスルCastleコールフィールドCaulfield──いまでも覚えてるわ。マジで,おれセーター貸さんとこかおもてん。よう知らんかってんもん。

「なに」おれフィービーに言うてん。なんか言いよってんけど,聞こえへんかってん。

「ひとつも言われへんやん」

「言えるわ。言えるわ」

「ふーん,ほた言うて」

「おれ,アリー好きやわ」おれ言うてん。「ほんで,いまこうやってることが好きやわ。おまえといっしょにおって,ここ座って,はなしして,いろいろ考えて──」

「アリーは死んでんで──お兄ちゃん,いっつもそんなんばっかり言うてんねん! ひとが死んで天国ってもうたら,もうホンマは──」

「アリー死んだことは分かってるわ。おれがそんなんも分かってへんおもてんのか。けどいまでもアリーのこと好きやねん,それあかんか。ひとが死んだから言うて,そいつのこと好きなんめたらあかんやろ,アホ──とくにその死んだやつが,生きてる知りあいの千倍ぐらいええやつやったら」

フィービー黙っとったわ。あいつ,なんも言うこと思いつけへんかったら,アホみたいになんも言いよれへんねん。

「ほんで,いまここでしてることが好きやわ」おれ言うてん。「まさにいま。おまえといっしょにここ座って,喋って──」

「それ,ホンマのことちゃうやん!」

「ホンマのことやん。論をたず。どこがホンマちゃうねん。みんな,なんのこともホンマやおもとおれへんねん。アホ,おれもう気分わるなってきたわ」

「下品な喋りかた,やめてえや。分かったから,別のもん言うて。なになりたいか言うて。科学者とか。それか弁護士とかそういうん」

「科学者は,なりとうても無理やわ。おれ理科あかんねん」

「ふーん,弁護士は──お父さんとかみたいに」

「弁護士やったらなんとかなる思うわ──けど,なりたい思わんわ」おれ言うてん。「そら,いっつも無実のひとらの命すくて回ってるとかやったらええけど,弁護士てそんなんしてへんやん。カネ儲けてゴルフやってブリッジやって車うてマーティニ飲んでひとから偉そうに見られるようにしとおるだけやん。せやし,もし無実のひとらの命すくて回ってるとしても,それ,ホンマにそのひとらの命すくいたいおもてやってんのか,それかアホな映画みたいに裁判わったとき法廷でみんなに,記者とかに,おめでとうて背中たたかれるすごい弁護士なりたいおもてやってんのか,自分でも分からんようなってくんねん。自分パチもんなってもうてるかどうかて,どうやったら分かる。分かれへんようなんねん」

そんなん言うたけど,フィービーに伝わったかどうかよう分からんわ。まだ小さい子どもやからな。けど,すくなくともあいつ,おれの話いとったわ。話いてたいうことは,あんま怒ってへんいうことやん。

「お兄ちゃん,このままやとお父さんに殺されてまうやん。お兄ちゃん,殺されてまうやん」あいつ言いよってん。

けどおれあいつの言うこと聞いてへんかってん。ほかのこと考えとってん──きいくるてること。「おれなになりたいか言うたろか」おれ言うてん。「おれなになりたいか言うたろか,もしおれがアホみたいに好きなもん言うてええんやったら,なになりたいか」

「なんやのん。下品な喋りかたせんといてや」

「『ライ麦る子とらわば』いう歌あるやん。それ──」

「それ,『ライ麦る子とわば』やん」フィービー言いよってん。「それしいやん。ロバート・バーンズの」

「ロバート・バーンズのしいいうんは,おれかて知ってるわ」

あいつの言うとおりやってん。たしかに「ライ麦る子とわば」やねん。けどおれ,そんときそれ知らんかってん。

「『とらわば』やおもとったわ」おれ言うてん。「とにかく,ライ麦のでっかい畑とかで小さい子どもらがみんななんかして遊んでるとこ,おれよう想像すんねん。小さいこお何千人もおって,まわりだあれもおれへんねん──大人おれへんねん──おれ以外。ほんでおれアホみたいながけの端んとこ立ってんねん。子ども崖から落ちそうやったら,おれそのこお捕まえんねん,それがおれの役やねん──子ども走っとって,そっち行ったらどうなるか見てへんかったら,おれどっかから出ていって,そのこお捕まえんねん。おれ一日いちんちじゅうそれだけやってんねん。おれライ麦畑でそうやって子ども捕まえるやつとかなりたいねん。きいくるてるんは分かってるけど,おれホンマなりたいんてそれだけやねん。きいくるてるんは分かってるけど」

フィービーしばらく黙っとおってん。ほんでなんか言うおもたら,「お兄ちゃん,お父さんに殺されてまうやん」言いよってん。

「殺されても文句ないわ」おれ言うてん。おれベッドから立ってん。エルクトン・ヒルズで英語の先生やったアントリーニ先生に電話しょうおもてん。先生,ニュー・ヨーク住んではってん。エルクトン・ヒルズめて,ニュー・ヨーク大学で英語おしえてはってん。「ちょっと電話せなあかんとこあるから」おれフィービーに言うてん。「戻ってくるから,んといてな」おれリヴィング・ルーム行ってるあいだに,あいつに寝てほしなかってん。よれへんおもてたけど,はっきりさせとこおもて言うてん。

おれドアのほう歩いてたら,フィービー「ホールデン!」言いよったから,振りむいてん。

あいつベッドで座っとってん。すごいかわいかったわ。「わたしフィリス・マーギュリーズに,げっぷなろてんねん」あいつ言いよってん。「聞いて」

おれ聞いてん。なんか聞こえたけど,げっぷの音ちゃうかったわ。「上手いやん」おれ言うてん。ほんでリヴィング・ルーム行って,アントリーニ先生に電話してん。

23

おれ電話できるだけよ切りたかってん。電話してるとき,おとんおかん帰ってきよるかもしれんおもとったから。帰ってけえへんかってんけど。アントリーニ先生,ええひとやったわ。来たかったら,いますぐでもおいで言うてくれてん。いま考えたら,おれたぶん先生と奥さん起こしてしもてん,絶対。電話るまで,めちゃめちゃ時間かかってん。なんかあったんかてまず先生いて,なにもありません言うてん。けど,ペンシー退学なりました言うてん。先生には言うといたほうがええおもてん。先生,「うわ,こらえらいこっちゃ」言いはったわ。ユーモアのセンスあったわ。来るんやったらすぐおいで言うてくれてん。

アントリーニ先生,いままでおれなろたなかでいっちゃんぐらいええ先生やってん。けっこう若いねん,兄貴のD.B.よりそんな上いうことないわ。先生のこと偉いおもてても,ふざけてられんねん。さっき言うてた窓から跳びおりたやつ,ジェームズ・キャッスルのこと,みんな遠巻きに見てるときに抱きあげたん,先生やってん。アントリーニ先生,脈とか取って,自分のコート脱いでジェームズ・キャッスルにかけて,保健室までずっと抱えていきはってん。コート血だらけなんの気にしてはれへんかったわ。

おれD.B.の部屋戻ったら,フィービー,ラジオつけとってん。ダンス音楽かかっとってん。メードに聞こえへんように音ちいさしとったけど。そんときのフィービー見てほしかったわ。ベッドのまんなかで,カヴァーのうえ座って,ヨガやってるみたいに脚んどってん。ほんで音楽いとってん。びびるわ。

「おい」おれ言うてん。「踊ろか」あいつすごい小さい子どもやったころ,おれ踊り教えたってん。あいつめちゃくちゃ上手いねん。おれ教えたん,ちょっとだけやねんで。ほとんど自分でできるようなりよってん。踊りてホンマは教えられへんもんやん。

「お兄ちゃん,靴いたままやで」あいつ言いよってん。

「脱ぐわ。ほらこっち」

あいつベッドからホンマに跳んで降りて,おれ靴ぐん待っとおってん。ほんでおれ,あいつとしばらく踊ってん。ホンマ,アホみたいに上手いねん。おれ,小さいこおと踊るやつ嫌いやねん。そんなん見たら,たいてい気色わるいやん。どっかのレストラン行ったら,どっかのおじん小さいこお連れてダンス・フロア行ったりしよるやん。だいたいおじんちごうて子どもの服の背中ずり上げたままで,子ども踊りなんかぜんぜんでけへんねん。あんなん気色わるいわ。おれ,みんな見てるとこでフィービーと踊れへんねん。うちで遊びで踊るだけやねん。あいつは違うねん,踊れるから。なに仕掛けても,付いてきよんねん。めちゃくちゃぐって引きよせたら,こっちの脚のほうがかなり長いん関係なくなんねん。ぴたっと付いてきよんねん。あし交差しても,しゃがんでも,ちょっとジルバやっても,付いてきよんねん。タンゴやってもやで。

おれら四曲ほど踊ってん。曲と曲のあいだんとき,あいつめちゃめちゃおもろいねん。ずっと準備の姿勢しとおんねん。喋ったりもしよれへんねん。ふたりとも,オーケストラまた演奏はじめんの待って,姿勢たもってなあかんねん。びびるわ。わろてもあかんねん。

とにかく四曲ほど踊って,おれラジオ切ってん。フィービー,ベッド跳んで戻ってカヴァーんなか入りよってん。「わたし上手うまなってへん?」あいつ訊きよってん。

上手うまなったわ。しかもこんなに」おれ言うてん。おれまたベッドのあいつの隣すわってん。ちょっと息れとったわ。アホみたいに煙草うとったから,すぐ息れてん。あいつ全然いきれしてなかったわ。

「おでこ触って」あいつ急に言いよってん。

「なんで」

「触って。ええから触ってみて」

おれ触ってんけど,なんもなかってん。

「めちゃくちゃ熱てない?」あいつ言いよってん。

「いや。熱あるんか?」

「うん──わたしいま熱そてしてんねん。もっかい触って」

ほんでまた触ってんけど,やっぱりなんもなかってん。けど「いま出はじめたとこや思うわ」言うてん。あいつにアホみたいに劣等コンプレックス持ってほしなかってん。

そや,てあいつうなずきよってん。「わたしタンオンケー越すぐらい熱せんねん」

たいおんけいな。だれそんなこと言うてん」

「アリス・ホームボーグにやりかた教えてもうてん。脚んで息めて,めちゃくちゃ,めちゃくちゃ熱いもん思いうかべんねん。ラディエーターとか。ほた,おでこ全体めちゃめちゃあつなって,ひとのてえ火傷やけどさせられんねん」

びびったわ。おれ,危ないっいうふりして,あいつのでこからてえ引っこめてん。「それ言うてくれて助かったわ」おれ言うてん。

「いや,お兄ちゃんのてえ火傷やけどさせたろとはおもてなかったわ。あつなったらめたろおも──シー」ほしたら,急にばって起きあがってベッドのなかで座りよってん。

突然なんやおもて,おれめちゃめちゃびびったわ。「なんや。なんか問題あんのか」おれ言うてん。

「うちのとおや!」あいつ息だけではっきり聞こえるように言いよってん。「帰ってきた!」

おれ跳びあがって,走って机の電気しに行ってん。ほんで煙草くつで消してポケット入れてん。ほんで煙そうおもて空気めちゃめちゃあおいでん──アホやわ,あそこで煙草うたらあかんかったわ。ほんで靴ってクローゼット入ってとお閉めてん。ううわあっ,心臓アホみたいにばくばくいうとったわ。

おかん入ってくる音こえてん。

「フィービー」おかん言いよってん。「隠してもあかんよ。あかいてんの見えてましたよ」

「おかえり!」フィービーの声こえてん。「寝られへんかってん。おもしろかった?」

「楽しかったわあ」おかん言いよってんけど,そんなん本気ちゃうねん。おかんどこ行っても,あんまくつろいでへんねん。「なんでこんな時間に起きてはるんですか。寒かった?」

「ぬくかった。ただ寝られへんかってん」

「フィービー,ここでいま煙草うてた? ほんまのこと教えてちょうだい」

「なにが」フィービー言いよってん。

「聞こえてたでしょ」

「一秒だけひいけてみてん。一服だけ吸うてみてん。ほんで窓から捨ててん」

「なんでそんなことしはったんですか」

「寝られへんかってん」

「わたしはそんなん嫌やわ,フィービー。わたしはそんなん嫌やわ」おかん言いよってん。「毛布もう一枚ってこよか」

「要らん,ありがと。おやすみ!」フィービー言いよってん。おかんのことよ部屋から出そてしてたんや思うわ。

「映画はどうやったん」おかん言いよってん。

「よかったわ。アリスのお母さん以外は。お母さん,映画やってるあいだずっとみい乗りだしはってな,アリスにインフルエンザちゃうかて訊いてはってん。うちまでタクシーで帰ってきてん」

「おでこ触らせてくれる」

「わたしなんもうつってへんで。アリスもなんもひいてへんかってん。お母さん言うてはっただけやねん」

「そう。ほなよ寝ましょ。晩ごはんはどうやったん」

「カスみたいやったわ」フィービー言いよってん。

「そんな言葉づかいしてるから,こないだお父さんに注意されたんでしょ。なにがカスみたいやったん。ラム・チョップおいしなかった? わたしレキシントン・アヴェニューまで行って──」

「ラム・チョップおいしかったけど,シャーリーンがなんか下ろすとき,いつもわたしに息かけんねん。ごはんとかにも全部いきかけんねん。なんでも息かけんねん」

「そう。ほな寝ましょ。お母さんにキスして。お祈りはした?」

「トイレでした。おやすみ」

「おやすみなさい。よ寝なさいね。頭れそう」おかん言いよってん。おかん,しょっちゅう頭いたい言うとおんねん。ホンマ。

「アスピリン呑んだら」フィービー言いよってん。「ホールデン,水曜に帰ってくんねんなあ」

「わたしはそう聞いてます。中はいって。下まですっぽり潜ってね」

おかん出ていってドア閉める音こえてん。おれ二分ぐらい待ってクローゼットから出たら,出たとこでフィービーとぶつかってん。めちゃくちゃ暗かったし,あいつベッド出てこっちとおってん。「痛かった?」おれ言うてん。ひそひそごえしゃべんなあかんかってん。おとんおかん帰ってきとったから。「ほなおれ行くわ」おれ言うてん。おれ暗いなかでベッドの端っこ見つけて,そこ座って靴きだしてん。かなり焦ったわ。認めるわ。

「いま行かんほうがええんちゃう」フィービー,息だけで言いよってん。「お父さんら寝るまで待ったら」

「いや。いまや。いまがいっちゃんええわ」おれ言うてん。「もうすぐお母さん風呂はいるし,お父さんニュースかなんかけるわ。いまがいっちゃんええわ」おれ靴のひもなかなか結ばれへんかってん。アホみたいに焦っとってん。うちでおとんおかんに捕まったら殺されるとかおもてたわけちゃうけど,もし捕まったらめちゃくちゃ気まずいやん。「おい,どこや」おれフィービーに言うてん。暗いから,どこおるか見えへんかってん。

「ここ」あいつ,おれのすぐ隣っとってん。せやのに見えへんかってん。

「おれカバン駅に置いたままやねん」おれ言うてん。「なあ。おカネ持ってる? おれマジ破産してもうてん」

「クリスマスのづかいやったらあるで。プレゼント買うのん。まだなんもうてへんねん」

「ああ」おれあいつのクリスマスのづかもらいたなかってん。

「なんぼか要る?」あいつ言いよってん。

「クリスマスのづかもうたらあかんわ」

「ちょっとやったら貸したんで」あいつ言いよってん。ほんであいつD.B.の机んとこ行って引きだし百万個ぐらい開けて手探りしてる音こえてん。真っ暗やってん。部屋んなかめちゃくちゃ暗かってん。「行ってまうんやったら,わたしの劇られへんなあ」あいつ言いよってん。なんか口調くちょうおかしかったわ。

「いや見るわ。芝居るまではけへんわ。おれが後悔したがってる思うか」おれ言うてん。「たぶん火曜の夜までアントリーニ先生とこ泊めてもうて,それからうち帰ってくるわ。かけられそうやったら電話するわ」

「はい」フィービー言いよってん。おれにお金わたそうてしとってんけど,おれのてえどこあるか分かれへんかってん。

「どこ」

あいつおれの手にお金せよってん。

「おい,こんな要らんわ」おれ言うてん。「二ドルだけちょうだい,そんだけあったら足りるわ──ほら」おれ返そうてしてんけど,あいつ受けとりよれへんかってん。

「全部っていきいや。あとで返してくれたらええわ。劇んときに」

「おまえこれなんぼあんねん?」

「八ドル八十五セント。六十五セント。ちょっと使つこてもてん」

ほしたらおれ急に泣きそうなってん。我慢でけへんかったわ。だれにも聞こえへんようにしてたけど,泣いてもてん。おれ泣いてたらフィービーどうしたらええか分からんようなって,おれんとこ来て泣きやませようてしてんけど,いっかい泣いてもうたら,アホみたいにすぐに止まれへんやん。おれそんときまだベッドの端すわっとって,あいつおれの首に抱きついてきて,おれもあいつに抱きついてんけど,しばらく泣きやまれへんかってん。おれ息でけへんようなって死んでまうんちゃうかおもたわ。ううわあっ,かわいそうにフィービーどうしてええんか分からんかった思うわ。アホみたいに窓いとって,あいつ震えてんの分かったわ,あいつパジャマしか着てへんかったから。おれあいつベッドに戻らせようてしてんけど,あいつ戻りよれへんかってん。やっと泣きやんでんけど,長いこと,長いことかかったわ。ほんでおれコートのボタン留めてん。あいつに,おまえとは連絡るわ言うてん。あいつ,ここでいっしょに寝ていったら言いよってんけど,おれ断わってん。急いだほうがええ,アントリーニ先生おれのこと待ってるから言うてん。ほんでおれコートのポケットからハンティング帽して,あいつにあげてん。あいつ,そんなアホみたいな帽子きやねん。あいつ断わりよってんけど,むりやり受けとらせてん。あいつその帽子かぶって寝た思うわ。ホンマそんな帽子きやねん。ほんでまた,かけれそうやったら電話するわ言うて,うち出てん。

入るときに比べたら出ていくんめちゃめちゃ簡単やったわ。そもそも,もしおれ捕まってももうあんま文句ないわおもとってん。ホンマ。捕まったら捕まったやおもとってん。ある意味,捕まえてほしいぐらいやったわ。

下までエレヴェーター乗らんとずっと歩いて降りてん。裏の階段。ごみバケツ一千万個ぐらいあって,つまづいて首りかけたけど,なんとか無事に外てん。エレヴェーター係,会えへんかったわ。あいつたぶんいまでもおれディックステーンさんとこおるおもとおるわ。

24

アントリーニ先生とこ,サットン・プレースのほうのめちゃくちゃ気取ったアパートメントにあってん。リヴィング・ルームはいんのに階段二段りるようなってて,ほんでバーとかあんねん。おれ前にしょっちゅう先生とこ行っとってん。エルクトン・ヒルズやめたあと,アントリーニ先生おれのようす見にしょっちゅううちまで来てくれて,うちで晩ごはん食べたりしとってん。そんとき先生まだ結婚してはれへんかってん。ほんで先生結婚したあと,おれロング・アイランドのフォレスト・ヒルズまで行って,ウェスト・サイド・テニス・クラブで先生と奥さんとしょっちゅうテニスしとってん。奥さんそこの会員やってん。腐るほどカネ持ってはんねん,たぶん。奥さん,先生より六十歳ぐらい年上やねんけど,仲うやってはったわ。ふたりともめちゃくちゃ知的やから,とくにアントリーニ先生が。まあ先生,いっしょにおったら知的いうより頭の回転はやいいう感じやねんけど,D.B.みたいに。奥さん,真面目やねん。喘息ぜんそくひどいねん。ふたりともD.B.の短編小説全部んでて──奥さんも読んでて──D.B.ハリウッド行くとき,先生D.B.に電話して行くな言いはってん。それでも兄貴ってまいよったけど。D.B.みたいにもの書ける人間ハリウッドなんか行かんでええて先生いはってん。まさにおれと意見おんなじやねん,ホンマ。

おれ先生とこまで歩いて行きたかってん,フィービーのクリスマスのづかい使わんで済むんやったら使いたなかったから。けど外たら,おれ調子おかしかってん。ちょっと目眩めまいしてん。せやからタクシーひろてん。乗りたなかってんけど,乗ってん。タクシー見つけるだけでもめちゃめちゃ時間かかったわ。

ドアのベル鳴らしたら,アントリーニ先生ドアまで出てきはってん──その前にエレヴェーター動かして言うて係のアホともめてんけど。先生,バスローブ着てスリッパいて,てえにハイボール持ってはったわ。めちゃくちゃ上品なひとやねんけど,めちゃくちゃ酒みはんねん。「ホールデン,よう!」先生いはってん。「こいつまた二十インチせえ伸びよったわ。おひさしぶり」

「先生,おひさしぶりです。お元気ですか。奥さん,お変わりありませんか」

「ふたりともあいかわらずかっこええで。さあ,そのコートこっち貰お」先生,おれのコート吊るしてくれはってん。「昨日まれた赤ちゃん抱いて来るんかおもとったわ。帰るとこなし。まつに雪けて」先生めちゃくちゃ頭の回転はやいてときどき思うわ。先生,振りむいて大きい声で台所のほうに言いはってん。「リリアン! コーヒーどないなってますか」リリアンいうんが奥さんの名前な。

「みな出来てます」奥さんの声こえてん。「ホールデン来たん? こんばんは,ホールデン!」

「こんばんは,お邪魔します」

先生とこ行ったら,いっつも大きい声さなあかんねん。ふたりがおんなじ部屋おることないねん。それ,なんかへんやったわ。

「まあすわりいや」アントリーニ先生いはってん。ちょっと酔うてはった思うわ。部屋んなか,さっきパーティー終わったとこいう感じやってん。そこら中にグラス置いたあって,ピーナッツ入ってる皿あちこち残っててん。「散らかってて申しわけない」先生いはってん。「さっきまで,奥さんのバッファローの友だち何人か来とってん。じつは奥さんの友だち,バッファローやってん」

おれわろてたら,奥さん台所からおれになんか言いはってんけど,聞こえへんかってん。「いまなんて言いはりました」おれアントリーニ先生に訊いてん。

「そっち行くとき顔んといて,やて。さっきまでとってん。煙草どない。もう煙草うてんのん」

「ありがとうございます」おれ言うてん。先生がこっち寄せてくれた箱から,煙草一本ってん。「ときどき吸うてます。たしなむ程度ですけど」

「そやおもたわ」先生いはってん。ほんでテーブルのでっかいライター持って,おれにひい点けてくれはってん。「そうか。されば,きみとペンシーは,はや一体にあらず,か」先生いはってん。先生いっつもそんな言いかたしはんねん。笑えるときもあったし,笑われへんこともあったわ。ちょっとやりすぎなとこあんねん。頭の回転はやないとか言うてるんちゃうねん──早いねん──けど「されば,きみとペンシーは,はや一体にあらず」みたいなこといっつも言われたらいらつくことあんで。D.B.もそんなんばっかり言うことあんねん。

「問題はなんやってん」アントリーニ先生いはってん。「英語はどないやってん。もし英語としたんやったら,ただちにこっから出てってもらうで,作文のエースくん」

「ええ,英語はちゃんと通りました。けど,ほとんど文学やったんです。今学期,全部で作文ふたつぐらいしか書いてません」おれ言うてん。「けど口頭表現は落としました。必修で口頭表現いうんあって。それ落としました」

「なんで」

「え,分かりません」おれあんまそんなはなししたなかってん。そんときなってもずっと目眩めまいみたいなんしとったし,急にめちゃめちゃ頭いたなってきてん。ホンマ。けど先生きたそうにしてはったから,ちょっとはなししてん。「その授業,生徒が一人ずつ立って,なんかについてはなしするんです。分かります? 自発的にはなしするんです。ほんで,話がちょっとでも主題かられたら,聞いてるやつすぐ『逸脱!』言わなあきませんねん。頭おかしなりました。F付けられました」

「なんで」

「え,分かりません。そういう逸脱とか,ぼくいらつくんです。分かりませんけど。問題は,ぼく,ひとの話が逸脱すんの好きなんです。そのほうが聞きたなるんです」

「ひとがなんかの話をするとき,話がぴったり主題に沿うてんのがきみは嫌なんか」

「いや,そんなことありません! 話が主題に沿うてんのはええことや思います。けど,ぴったりしすぎは嫌なんです。分かりませんけど。ずっと主題に沿うた話ばっかりされんのが嫌なんや思います。口頭表現で成績優秀のやつらて,ずっと主題に沿うたはなししよるんです──それは認めます。けど,リチャード・キンセラいうやつおって,そいつ主題に沿うた話あんまでけへんかったから,いっつもみんなに『逸脱!』言われとおったんです。かわいそうやったんです,そいつめちゃくちゃあがり症で──ホンマめちゃくちゃあがり症やったんです──はなしする順番たらいっつも唇ふるえてて,教室の後ろのほう座ってたらなに言うてんのか聞こえへんぐらいやったんです。けど,唇ふるえんのちょっと止まったときのそいつの話,おれいっちゃん好きでした。けど,そいつもその授業,実質的に落ちよったんです。いっつも『逸脱!』言われとったから,Dプラス付けられよったんです。たとえば,そいつ,お父さんヴァーモントでうた農場のはなししたことあったんです。そいつそのはなししてるとき,みんなずうっと『逸脱!』言うとって,ヴィンソンいう先生,そんときF付けたんです。その農場でどんな動物うてるかとか,どんな作物そだててるかとか言えへんかったいうて。そんときそいつ,リチャード・キンセラ,そんなはなししかけたんですけど──急にお母さんとこに伯父さんから手紙た言いだして,伯父さん四十二歳で小児しょうに麻痺まひかかって,装具そうぐ付けてるとこ見られんの嫌やからだれも病院に見舞いさせへんいうはなししよったんです。たしかにその話,農場にあんま関係ありませんけど──それは認めます──けど,ええ話やったんです。ひとの叔父さんの話って,ええ話おおいんですよ。とくに,お父さんの農場のはなしするはずやったのに,急に叔父さんのはなししたなったときは。ひとがええはなしして必死なってんのに,そいつに『逸脱!』言いつづけんの汚い思うんですよ。分かりませんけど。説明すんの,むつかしいですけど」あんまり説明しよいう気もなかってんけど。なんでかて,急にめちゃくちゃ頭いたなってん。奥さんよコーヒー持って来ておもたわ。そういうん,おれめちゃくちゃ苛々すんねん──コーヒー出来てます言うたのにホンマは出来てへんのとか。

「あんな,ホールデン。ひとつ短い,あんま手ごわない,教師側からの質問やけどな。なんにでも時と所があると思わんか? お父さんの農場のはなししだしたんやったら,それについてなんかを言うべきで,叔父さんの装具の話はそのあとでしたらええ思わんか? それか,もし叔父さんの装具の話がそんなに感情さぶるんやったら,そのひとはハナからそれを主題にしといたらよかったんちゃうか,農場の話なんかせんと」

おれあんまり考えたり返事するきいなれへんかってん。頭いたかったし,カスみたいな気分やってん。いいいたなってきてん,マジで。

「思います──分かりませんけど。そうすべきや思います。叔父さんの装具の話いっちゃんしたいんやったら,農場のことなんか言わんと,叔父さんを主題にしとくべきやった思います。けど,あんま興味ないこと話しだしてからやないと自分がホンマはなんのはなししたいんか分からんことって,けっこう多い思うんですよ。それ,しゃあないときかてある思うんです。せやから,ひとが聞きたなる話そいつがしてて,そいつが必死でそのはなししてるんやったら,そのままにしといたったらええ思うんですよ。ぼく,ひとが必死なってんの好きなんです。感じええんですよ。先生,ヴィンソン先生のこと知らんから。その先生の授業けてたら,頭おかしなることあるんです。先生自身も,クラス全員も,おかしなるんです。先生いっつも,主題をひとつにして,ほんで簡潔に,言いはるんです。けど,言われてもでけへんことかてありますやん。主題をひとつにして,簡潔に,てだれかに言われても,そんなんなかなかできませんやん。先生,ヴィンソン先生のこと知らんから。その先生めちゃくちゃ頭ええ思いますけど,あんま脳みそない思うんですよ」

「コーヒーお持ちしました,おふたりさん,えらいお待たせ」奥さん言いはってん。お盆にコーヒーとかお菓子とか載せて,入ってきはってん。「ホールデン,こっち向かんといてや。いま,わやくちゃなってるさかい」

「こんばんは」おれ言うてん。立ちあがろてしたら,先生おれの上着っぱって座らされてん。奥さん,髪の毛いっぱいにあのアイロン・カーラーのやつ付けとって,口紅とか塗ってへんかってん。あんま美人て感じせえへんかったわ。えらい老けた感じしたわ。

「ここ置いときます。ふたりで取って」奥さん言いはってん。ほんで小さいテーブルの邪魔なグラス押してどけて,お盆きはってん。「お母さんのおかげんはいかが」

「元気です,ありがとうございます。最近うてませんけど,前に──」

「なあ,ホールデンがなんか要る言うたら,シーツ入ってる棚に全部そろてるから。てっぺんの棚に。ほな寝るわ。もうくたくたや」奥さん言いはってん。たしかに,くたくたそうやったわ。「その寝椅子,自分らでちゃんと寝られるようにできる?」

「こっちで全部やるわ。もうねえ」先生いはってん。先生,奥さんにキスして,奥さん,おれにおやすみ言うて寝室きはってん。あのふたり,いっつも人前でキスしはんねん。

おれ,ちょっとコーヒー飲んで,お菓子半分ほど食うてんけど,石みたいに固かったわ。けど,アントリーニ先生,そっちてえ付けんと,またハイボール飲んではってん。ふだんから濃いのん飲んではる思うわ。きいつけんと,アルコール依存症なるかもしれんわ。

「二週間ほど前,きみのお父さんと昼ごはんご一緒したんや」先生,急に言いはってん。「それ聞いた?」

「いえ,知りません」

「お父さん,きみのことえらい心配してはんねん,分かってるやろうけど,もちろん」

「分かってます。せや思います」おれ言うてん。

「お父さんが電話くれはってな,たぶん,お父さんとこに,きみの元校長先生から,長い,心をかきむしる手紙が届いたからや思うわ。きみがまったく努力してへんて書いたあったそうや。授業をさぼる。どの授業にも予習せんと来る。全般的に──」

「授業はさぼってません。さぼったらあかんことなってたんです。ときどき出席せえへんかった授業はちょっとありましたけど,さっき言うてた口頭表現とか。けど,ぼく授業はさぼってません」

おれ,言いあいする気なかってん。コーヒー飲んだらいいの具合ちょっとましなってんけど,ずっと頭痛しとってん。

先生,また煙草にひいけはってん。鬼みたいに煙草うてはったわ。ほんで言いはってん。「率直に言うと,ぼくはきみになにを言うたらええんかよう分からんねん」

「分かります。ぼく,話相手に向いてない思います。分かってます」

「きみはなんか恐ろしい,恐ろしい転落みたいなもんを目指して駆けてるんやないかて,ぼくは感じてんねん。けど正直うて,それがどんな... 話いてるか?」

「はい」

先生,集中しようとしはったんや思うわ。

「三十歳ぐらいで,どっかのバー座って,客がまるで大学でフットボールの試合やってましたみたいな顔で入って来たら,そいつらのこといちいち嫌うようになる転落かもしれん。けどあいにくきみは教育を受けて,『絶対せやねん。ちゃうか。たぶんせやで』とか言うようなひとらのことを嫌うようにもなってるやろ。それか,きみはどっかの会社はいって,近くのタイピストにクリップ投げつけるような人間になりはててるかもしれん。ぼくには分からんわ。なんのはなししてるか分かるか?」

「はい。分かってます」おれ言うてん。ホンマ分かっててん。「ひとのこと嫌ういうんは,ちゃう思います。フットボールの選手きらうとか。ホンマちゃいます。おれ,嫌いなやつそんないてません。たしかに,そういうやつらのこと,しばらくきろてることありますけど。ペンシーで知りおうたストラドレーターとか,もうひとりロバート・アクリーみたいに。ぼく,そいつらのことときどききろてましたけど──それは認めます──そんなんあと引きません,ホンマに。しばらくそいつらに会えへんかったら,そいつら部屋えへんかったら,それか食堂で昼も夜も見かけへんかったら,そいつらのこと思いだして会いたなるんです。ホンマ,ある種,会いたなるんですよ」

アントリーニ先生,しばらく黙ってはってん。立って,グラスにごっつい氷れて,また座りはってん。なんか考えてはったんや思うわ。おれ,話の続き,いまやのうて,明日の朝にしてくれたらええのにてずっとおもとってんけど,先生あつなっとってん。だいたいみんな,ひとがはなししたないときに,あつなんねん。

「分かった。ちょっとこれは聞いて... これ覚えといてほしいねんけど,いまは覚えてもらえるようにぼくが言葉えらばれへんかもしれん。明日かあさってに,手紙に書きなおしてきみに送るわ。ほしたら,ちゃんと意味かるやろ思うねん。けど,とにかくちょっと聞いて」先生また気持ち集中させて言いはってん。「きみがこてるとぼくがおもてる転落は──特殊な転落やねん,恐ろしいやつや。落ちてる人間は,自分が底にぶつかったと感じることも,その音を聞くことも,許されてへんねん。ただ落ちて落ちていくだけや。人生のなんらかの時期に,そのひとの暮らしてる環境で手にはいらんもんを探してた人間が,そういうめえうねん。自分の環境では手にはいらんと自分でおもてたもん,言うてもええわ。せやから,探すのやめてしもてん。ホンマになんか始めるまえにあきらめてしもてん。話,付いてきてるか」

「はい,聞いてます」

「ホンマに」

「はい」

先生,立って,グラスにまた酒そそぎはってん。ほんでまた座りはってん。長いこと黙ってはったわ。

おどかすつもりはないねんけど」先生いはってん。「ぼくはな,きみが,ほぼあたいせん理由のために,ある意味でだこう死につつあるとはっきり見えてるんや」先生,そう言うて,おれにおもろい顔してきはったわ。「きみになんか書いたら,よう読んでくれるか。ほんで,取っといてくれるか」

「はい,分かりました」おれ言うてん。ほんで,そうしてん。そんときもうた紙,いまでも持ってるわ。

先生,部屋の隅の机まで行って,立ったまま紙になんか書きはってん。ほんで戻って来て,その紙ったまま座りはってん。「不思議なことに,これ書いたひとは,いわゆる詩人やないねん。これ書いたひとは,精神分析士で,ウィルヘルム・ステッケルいうねん。これがな──大丈夫か,付いてきてるか」

「はい,大丈夫です」

「そのひとが,こんなこと言うてはんねん。『未成熟な人間の特徴は,なんらかの理由をつけてだかく死にたがることであり,他方,成熟した人間の特徴は,なんらかの理由をつけていやしく生きたがることである。』」

先生,みい乗りだして,その紙おれにくれはってん。おれそれもうて,すぐ読んで,ありがとうございます言うてポケットてん。そんだけ手間かけてくれはったん,ええひとや思うわ。ホンマ。けどおれ,あんま集中できる気分ちゃうかってん。ううわあっ,急にアホみたいにねむたなってん。

けど,先生ぜんぜんねむたなかった思うわ。酔うて機嫌うなってはったから。「そのうち」先生いはってん。「きみは自分がどっちこて進みたいか分かるやろ思うわ。ほしたら,それが分かったとっから,やり直さなあかん。それやったら,いますぐ進みだしたらどや。一分でももったいない。きみにそんな余裕はない。あれへんで」

おれ,うなずいてん。先生,おれのこと正面から見てはったから。けど,なに言うてはんのか,あんまよう分からんかってん。いや,分かっててんけど,そんときそんな気分ちゃうかってん。おれアホみたいにねむたかってん。

「ほんで,こんなこと言いたないねんけど」先生いはってん。「自分がどっち行きたいかはっきり分かったら,まず始めにせなあかんのは,学校に適応することや思うで。そうせなしゃあないねん。きみにはまだ学ぶべきことがあんねん──そういう考えがきみに訴えるかどうかは別にして。知識を愛してみ。ヴィンス先生みたいなひとらの授業いっかいひと通り受けて,その先生らの口頭表現──」

「ヴィンソン先生です」おれ言うてん。先生,ヴィンソン言うつもりでヴィンス言いはってん。けどおれ,口はさまんほうがよかったおもたわ。

「そうか──ヴィンソン先生。いったんヴィンソン先生みたいなひとらの授業全部けたら,きみは,きみの心にめちゃくちゃ,めちゃくちゃしっくりくる種類の情報にだんだん,だんだん近づきだすねん──もしきみがそれを欲して,探して,待ってたらな。他人の人間的な行動によって,精神を乱されたり,脅威を感じたり,あるいは病気になりさえしたんは,きみが最初やない,いうことも分かるはずや。せやからきみは,ぜんぜん孤独やないねん。そういうことが分かってきたら,俄然がぜんおもしろなってくるし,突きうごかされるように知りたい思うようなるわ。これまで仰山ぎょうさん仰山ぎょうさんのひとらが,世のなかはこんなんでええんかとか,ひとの魂はこんなんでええんかいうて,ちょうどいまのきみとおんなじように問題にぶつかってきてん。さいわい,そのうちの一部のひとらは,その記録を残してくれてんねん。そっから学ぶもん,ある思うで──もしきみが学びたい思うねやったら。ほんで,もしきみがほかのひとらに残せるもんを持ってるんやったら,いつかだれかがきみからなんかを学ぶことやろ。それは,美しいしゅうせいのつながりや。ほんで,それは教育ちゃうねん。それは歴史やねん。それはしいやねん」先生そこで話めて,ハイボールぐう飲みはってん。ほんで,また喋りだしはってん。ううわあっ,ホンマどんだけあつなってはったか。話めてもらおうとかせんでよかったおもたわ。「誤解してほしないねんけどな」先生いはってん。「教育を受けて学識のあるひとだけが,価値あるもんを世界に残せる言うてんのとちゃうねん。せやないねん。けどな,教育を受けて学識のあるひとが,もともと頭うて創作に向いてたら──残念ながら,そんなことはめったにないねんけど──たんに頭うて創作に向いてるひとらより,かぎりう高い価値のある記録をあとへ残しがちやねん。そういうひとらは,自分の考えをほかのひとらより明確に表現するし,それを徹底的に展開したいいう情熱ってんのがふつうやねん。ほんで──いっちゃん大事なこっちゃ──そういうひとらは十中八九,学識のない思想家より謙虚やねん。話,付いてきてるか」

「はい,付いていってます」

先生また長いこと黙ってはってん。そんなんしたことあるかどうか知らんけど,ひとがなに言おうか考えてんのとかずっと待って座ってんのって,ある意味きついで。ホンマ。おれずっと欠伸あくびがまんしとってん。話おもんなかったわけちゃうけど──それはちゃうかってん──けどおれ急にアホみたいにねむたなってん。

「学校教育がきみの役に立つことは,それ以外にもあんねん。学校教育で相応のとこまで進んだら,きみの思考能力の大きさがどれぐらいか分かるようなんねん。きみの思考能力がなにに向いてるかとか,それから,なにに向いてへんいうこともたぶん分かるわ。しばらくしたら,自分の思考能力がちょうどこんな大きさやから,それに合わせてこんな考えかたを身にまとたらええて分かるわ。そうするとひとつええんは,きみに合えへん考えかた,きみには身に付かん考えかたを試すのにかかる,異常に膨大な時間が節約できんねん。自分のホンマの大きさが分かるようなって,それに合わせて思考能力に服せていくようなるわ」

そんとき急に,おれ欠伸あくびしてん。なんちゅう無作法なやっちゃ。けど,がまんでけへんかってん。

けど,アントリーニ先生,わろてはったわ。「さあ」先生うて,立ちはってん。「そろそろ,きみの寝床いっしょに作ろか」

おれ付いていったら,先生,棚んとこ行って,いっちゃん上の段のシーツとか毛布とか下ろそうてしはってんけど,ハイボールのグラス持ってはったから,下ろされへんかってん。せやから先生,それ飲んで,グラス床いてから,シーツとか下ろしはってん。おれ,寝椅子んとこまで,それ先生と持ってってん。ほんで先生とおれで,寝椅子れるようにしてってん。先生,あんまやる気なかったわ。シーツとか,あんまきつ引っぱりはれへんねん。けどおれ,そんなんどっちでもよかってん。めちゃくちゃ疲れとったから,立ってでも寝れた思うわ。

「女の子らみなどうしてんの」

「元気にしてます」おれ,カスみたいな返事しとったわ。けどおれ,はなしするきいなれへんかってん。

「サリーは元気にしてる?」先生,サリー・ヘーズ知ってはってん。いっかいおれ紹介してん。

「元気です。おれあいつと今日,昼からデートしてました」ううわあっ,もう二十年前のことちゃうかおもたわ。「もうおれら,共通の話題とかあんまありませんねん」

「めちゃくちゃかわいいこおやないか。もうひとりの子はどないしてんの。前うてたメーン州のこお

「ああ,ジェーン・ギャラガー。元気です。たぶん明日,電話する思います」

ほんで寝椅子の仕度したくできてん。「好きなように使つこて」アントリーニ先生いはってん。「その長い脚どうするつもりか,ぼくにはさっぱり分からんけど」

「大丈夫です。短いベッド慣れてますから」おれ言うてん。「ありがとうございました,先生。先生と奥さんのおかげで,ぼく今夜,命拾いしました」

「トイレどこか分かってるよな。なんか要るもんあったら,大きい声で言うて。ぼくはしばらく台所おるわ──電気けとったらまぶしいか?」

「いえ,ぜんぜん。ありがとうございます」

「よし。ほな,おやすみ,ハンサムくん」

「おやすみなさい。ありがとうございました」

先生,台所って,おれトイレ行って服いでん。歯ブラシ持ってなかったから,はあ磨かれへんかってん。パジャマもなかってん。アントリーニ先生,貸してくれんの忘れとってん。せやからリヴィング・ルーム戻って,寝椅子んとこあった小さいランプ消して,パンツ一丁で寝転んでん。寝椅子かなり短かったけど,おれホンマまばたきひとつせんと立ったまま寝れそうやってん。寝転んで二秒ぐらいめえ覚ましとったわ。アントリーニ先生うてくれはったこと思いだしながら。思考能力の大きさ分かるとかいうの。ホンマ頭ええひとやわ。けどおれめえ開けてられへんようなって,寝てもてん。

ほしたら,あれ起こってん。あれ,はなしすんのも嫌やねんけど。

おれ急にめえ覚めてん。何時ごろやったか分からんけど,とにかくめえ覚めてん。ほしたら,なんかおれの頭さわっとってん。だれかのてえやってん。ううわあっ,ホンマ怖かったわ。ほしたらそれ,アントリーニ先生のてえやってん。先生,寝椅子の横で床すわって,真っ暗んなかでおれの頭あいしとってん。それか,触っとってん。ううわあっ,おれ千フィートぐらい跳びあがった思うわ。

「なにしてはるんですか」おれ言うてん。

「なにて! ただ座って,かわいい──」

「ちょっと,なにしてはるんですか?」おれ,また言うてん。なんて言うたらええか分からんかってん──めちゃくちゃ焦ったわ。

「小さい声でしゃべろ。ぼくはただここで──」

「ぼくもう行かなあきませんわ」おれ言うてん──ううわあっ,どんだけ動揺しとったか。真っ暗んなかでズボン穿おもてんけど,動揺してなかなか穿かれへんかってん。おれ学校とかで,どんな知りあいより仰山ぎょうさんアホみたいな変態てきたけど,あいつら,おれのおるところでだけ変態性発揮はっきしよんねん。

「行くて,どこへ」アントリーニ先生いはってん。先生めちゃくちゃいつもどおり,落ちついてしゃべろてしてはったけど,ぜんぜん落ちついてはれへんかったわ。これはおれの言うこと信用して。

「駅にカバンとか置いたままにしたあるんです。たぶんそろそろ取りに行ったほうがええ思うんです。なんやかや入ってるから」

「それは朝なってからでかまへんやろ。ほら,もっかいねえ。ぼくも寝るわ。なにが問題やねん」

「なんも問題ありません。カバンふたつあって,その片っぽに,お金とか細々こまごましたもんとか全部れたあるんです。すぐ戻って来ます。タクシーでまっすぐ戻ってきます」おれ言うてん。ううわあっ,真っ暗んなか,どんだけこけそうなったか。「問題は,それぼくのお金ちゃうんです。母親のんなんです。ぼく──」

「アホなこと言わんと,ホールデン。もっかいねえ。ぼくも寝るわ。お金は朝までそこ置いといたら安全──」

「いやホンマ,そろそろ行かなあきません。ホンマに」おれほとんど服ててんけど,ネクタイだけ見つかれへんかってん。どこ置いたか思いだされへんかってん。しゃあないからネクタイなしで上着とか着たわ。アントリーニ先生,そんとき,おれからちょっと離れた大きい椅子すわって,おれのことじっと見てはってん。暗かったし,先生のことあんま見えへんかってんけど,それでもおれのこと見てはんの分かったわ。そんときも酒んではってん。相棒のハイボールのグラス持ってはんの見えてん。

「きみはめちゃくちゃ,めちゃくちゃ変わったこおやな」

「分かってます」おれ言うてん。もうネクタイ探すのめてん。ネクタイなしで行くことにしてん。「さようなら,先生」おれ言うてん。「ありがとうございました,ホンマに」

おれ入口のドアんとこ行くのに,先生ずっと付いてきはってん。エレヴェーターのベル鳴らしても,ドアんとこいてはったわ。もっかい「めちゃくちゃ,めちゃくちゃ変わったこお」言いはって,それ以外なんも言いはれへんかったけど。変わってるて,アホか。ほんでアホみたいなエレヴェーター来るまで,先生ドアんとこずっといてはってん。人生であんな長いことエレヴェーター待ったことなかったわ。ホンマに。

エレヴェーター待ってるあいだ,おれなに言うたらええんか分からんかってん。先生そこ立ってはるから,おれ言うてん。「これからええ本むようにします。ホンマです」なんか言わなしゃあなかってん。めちゃくちゃ気まずかったわ。

「カバン取ったら,またすぐ戻ってこいよ。鍵けとくから」

「ありがとうございます」おれ言うてん。「さよなら!」やっとエレヴェーター来てん。おれ乗って,下りてん。ううわあっ,おれきちがいみたいに震えとったわ。汗も,びしょうかいとってん。あんな変態行為に遭遇したら,おれアホみたいに汗てくんねん。そんなん,子どもんときから二十回ぐらいうてんねん。耐えられへんわ。

25

たら,ちょうど明るなりかけとってん。けっこう寒かったけど,めちゃくちゃ汗かいとったから,気持ちよかったわ。

おれ行くあてなかってん。またホテル泊まってフィービーのづかい全部使つかいたなかったし。ほんで結局レキシントンまで歩いて,地下鉄でグランド・セントラル行ってん。そこ行ったらカバンあるし,待合室にベンチあるからあっこで寝れるやろおもてん。ほんでホンマに寝てん。ちょっとのまあやったら,そんなわるなかったわ。あんまひとおれへんかったから,足げてられたし。けど,良かった言いたいわけちゃうねん。そんなうなかったわ。あんなん,やらんほうがええで。マジで。悲しなんで。

結局,九時ごろまでしか寝られへんかってん。待合室にひと百万人ぐらい入って来て,足ろさなあかんかってん。足ゆか着けてたら,おれあんま寝られへんねん。せやから,ちゃんと座ってん。まだ頭痛しとったわ。前よりひどなっとってん。ほんで,いま考えたら,そんとき人生でいちばん悲しなっとった思うわ。

アントリーニ先生のこと考えたなかってんけど,思いだしてもて,奥さん,おれ寝てへんとかきいついたとき,先生なんて言いはんねやろおもてん。けど,それあんまり心配ちゃうかったわ。先生めちゃくちゃ頭ええから,なんか上手いこと言いはるて分かってたから。おれがうち帰ったとか。それあんま心配ちゃうかってん。気になったん,おれめえ覚めたとき,なんで先生おれの頭ぽんぽんてでてんやろいうことやってん。先生おれにおかまみたいに迫ってきたおもたん,たぶん誤解やったんちゃうかとか考えてん。先生たぶん寝てるやつの頭さわんの好きなだけちゃうかとか。そんなん,はっきりしたこと分かる? 分からんで。おれカバン取ったら,先生に言うたとおり,先生のうち戻ったほうがええんちゃうかとかおもとってん。かりに先生おかまやとしても,先生めちゃくちゃええひとやんおもてん。あんな夜おそう電話したのに嫌がらんと,来たかったらすぐ来い言うてくれたし。あんだけ手間かけて思考能力の大きさ分かるいうはなしてくれたし,前うたジェームズ・キャッスル死んだとき先生以外だれも近寄りさえせえへんかったし。そんなこと考えとってん。考えたら考えるほど,悲しなったわ。おれたぶん先生のうち戻るべきなんちゃうかおもとってん。たぶん先生,おれの頭でとったん,たいした意味なかってん。けど,そう考えとったら,だんだん悲しなってきて,だんだん苦しなってきてん。せやし,こんどはめえアホみたいにいたなってきてん。あんま寝てへんかったから,焼けるみたいにいたなってきてん。それだけやったらええねんけど,おれ風邪ひきかけとって,ハンカチ持ってなかってん。スーツケースんなかはいっとったけど,金庫からスーツケース出して人前で開ける気せえへんかってん。

ベンチの隣に,だれか置いてった雑誌あったから,先生のこととかほか百万ぐらいのこと考えるんちょっとのあいだだけでもめられるんちゃうかおもて,それ読みだしてん。けど,始めに読んだアホみたいな記事のせいで,余計よけ気分わるなるとこやったわ。ホルモンのこと書いたあってん。ホルモンの調子かったら,顔とかめえとかどうなるとか書いたあってんけど,おれぜんぜんそうなってへんかってん。おれ,その記事で,ホルモン,カスみたいなってるやつそのものやってん。ほんでホルモンのこと心配なってん。ほんで別の記事に,癌なってるかどうかどうやって分かるか書いたあってん。口んなかすぐ治れへん痛みあったら,たぶんそれ癌なってる兆候やて書いたあってん。おれ,唇の内側に二週間も痛いとこあってん。せやからおれ癌なってんねやおもてん。あんま楽しない雑誌やったわ。結局それ読むんめて,散歩しに外てん。おれ癌やから二か月もしたら死ぬやろ思いながら。ホンマに。そのほうがええおもたわ。たしかに,あんまええきいせんかったけど。

なんか雨りそうやってんけど,そのまま歩いとってん。朝飯うたほうがええおもてん。ぜんぜん腹ってなかってんけど,ちょっとでもなんか食うといたほうがええおもてん。せめてなんかヴィタミン入ってるもん食うといたほうがええおもてん。東のほうにかなり安い食堂あるから,そっちのほう歩いてってん,あんまお金使つかいたなかったから。

歩いてたら,おっさんふたりトラックからこんなでっかいクリスマス・トゥリー降ろしとってん。ひとりのおっさん,もうひとりに「このアホみたいなやつ,立てて抱えて! 立てんかい,あほんだら!」言うとおってん。クリスマス・トゥリーのこと言うてんのに,えらい言いかたやったわ。けどおもろかってん,ひどい言いかたやったけど,ある意味。ほんで,おれ笑いかけてん。けど考えられるなかで,それ最悪の選択やったわ。笑おてしたら,吐きかけてん。ホンマに。吐く寸前のとこまでいったけど,収まったわ。なんでか分からん。不衛生なもんとか食うたわけちゃうし,おれふだんいいかなり丈夫やねん。とにかく,吐き気おさまって,なんか食うたほうが気分うなるやろおもてん。せやから,安そうな食堂はいって,ドーナッツとコーヒー注文してん。けど,そのドーナッツ食えへんかってん。うまいこと呑みこめそうになかってん。なんか悲しいことあったら,もの呑みこむんめちゃくちゃきついねん。けどウェーター,めちゃくちゃええやつやったわ。ドーナッツ下げて,その分お金れへんかってん。おれコーヒーだけ飲んでん。ほんで店て,五番街のほう歩いていってん。

月曜で,もうじきクリスマスやったから,みせ全部いとってん。せやから五番街あるくん,あんまわるなかったわ。ホンマ,クリスマスっぽかったわ。痩せたサンタ・クロースかど立って鈴らしてるし,救世軍の女の子らも,口紅とか塗ってへんこおらが,鈴らしとってん。前の日に朝飯うてるときうた尼さんふたりおれへんかなてちょっと見ててんけど,見つからんかったわ。ニュー・ヨークで学校の先生する言うてはったから無理やろおもとってんけど,いちおう探してん。とにかく,急にめちゃくちゃクリスマスっぽなってん。子どもら百万人ぐらい,お母さんといっしょににぎやかなとこでバス乗ったり降りたり店はいったり出たりしとってん。フィービーおったらええのにおもたわ。あいつ,もう玩具おもちゃ売場でめえ見開くような年齢としちゃうねんけど,ひとのことおちょくって,そのようす見んの好きやねん。二年前のクリスマスに,あいつ買いもん連れてってん。めちゃくちゃおもろかったわ。ブルーミングデール行ったんちゃうかな。靴売場って,フィービー,雨降り用のめちゃくちゃせえ高い靴うふりしよってん。靴紐とおす穴,百万個ぐらい開いてるやつ。かわいそうに,店員だんだん必死なりよってん。フィービー,二十そくぐらい試しにいて,そのたびに店員靴紐くつひもずっと上まで通さなあかんかってん。悪いやつやけど,フィービーめちゃめちゃおもろがっとったわ。おれら結局モカシンうて,ツケにしてもうてん。店員めちゃくちゃええひとやったわ。おれらおちょくっとったん,店員かってた思うわ。フィービーいっつも笑いよるから。

とにかくおれ,五番街どんどん歩いとってん。ネクタイとかせんと。ほしたら急に,めちゃくちゃ不気味なこと起こってん。交差点のとこまで来て歩道の縁石りるたび,おれ交差点の向こうまで行かれへんのちゃうかて感じしてん。だんだん落ちて,落ちて,落ちてって,もうだれもおれの姿えへんようなるんちゃうかおもてん。ううわあっ,どんだけ怖かったか。想像でけへん思うわ。おれアホみたいに汗かきだしてん──シャツ一面とかパンツとか全身に。せやから,おれアリーにはなししてみてん。交差点くたび,いま弟のアリーにはなししてるて信じこむことにしてん。「アリー,おれのこと消さんといて。アリー,おれのこと消さんといて。アリー,おれのこと消さんといて。お願いします,アリー」いうて。ほんで消えんと交差点わたったら,アリーにありがとう言うてん。ほんで次の交差点いたら,それの繰りかえし。歩くんはめへんかってん。なんかまるん怖かったんや思うわ──覚えてへんけど,マジで。六十何番街のあたりまで止まれへんかったん覚えてるわ,動物園とか通りこして。ほんでベンチ座ってん。息れとったし,そんときもアホみたいに汗かいとってん。そこで一時間ぐらい座っとったんちゃうかな。ほんで結局おれ,どっか行ってまおおもてん。もううち帰らんと,もう別の学校とかも行かんと。フィービーにだけはうて,そのこと言うて,クリスマスのづかい返したら,そのあとヒッチハイクして西部おもてん。ホランド・トンネル行って車せてもうて,ほんで次の車せてもうて,ほんでまた乗せてもうて,乗せてもうて,二,三日したらどっか西部の,めちゃくちゃ天気ええ,だれもおれのこと知らんとこ着くやろから,ほしたらそこではたらおもてん。どっかのガソリン・スタンドで,ひとの車にガソリン入れたりオイル入れたりする仕事つかるやろおもてん。けど,なんの仕事でもよかってん。だれもおれのこと知らんと,おれもだれのことも知らんかったら。おれそこで,耳こえへんし喋られへんふりしよおもてん。アホみたいな意味ない会話せんでええように。だれかおれになんか言うことあんねやったら,いっかい紙に書いてそれ持ってこなあかんねん。しばらくしたら,みんなそんなん飽きてまうやん。ほしたら,おれ残り一生だれとも会話せんでええようなんねん。みんなおれのこと,耳こえへん喋られへんかわいそうなアホやおもて,っといてくれるやん。そいつらの間抜けな車にガソリンとかオイル入れて,それで給料もうて,そうやって稼いだカネでどっかに自分で小さい小屋てて,残りの一生そこおもてん。森のすぐ近くがええわ。森んなかは嫌やな。いっつも日当たりええんがええやん。料理は全部自分ですんねん。ほんでしばらくして,結婚とかしたいおもたら,やっぱり耳こえへん喋られへんかわいいこお見つけて結婚すんねん。その子と小屋でいっしょに暮らすねん。その子も,おれになんか言いたいことあったら,アホみたいに紙かなあかんねん,ほかのやつらみたいに。子どもできたら,隠して育てるわ。本いっぱいうて,読み書きは自分らで教えんねん。

そんなん考えとったら,おもろなってきてん。ホンマ。耳こえへん喋られへんふりするってアホやおもとったけど,そのこと考えとったらおもろかってん。けどおれホンマ西部おもてん。せやから,フィービーに別れの挨拶だけしときたかってん。ほんで急に,頭おかしなったみたいに走って通り渡って──もうちょっとでアホみたいに死ぬとこやったわ,マジで──文房具屋はいって便箋びんせんと鉛筆うてん。別れの挨拶してクリスマスのづかい返したいからどこどこでおてフィービーに手紙いて,それ学校ってって,校長室におるだれかに言うてフィービーに渡してもらおおもてん。けどおれ便箋びんせんと鉛筆ポケット入れて,アホみたいに早足で学校のほう歩いていってもうてん──よ行かなおもて,文房具屋んなかで手紙くん忘れとってん。フィービー昼ごはん食べにうち帰るまえに,おれ手紙わたしたかったから,急いどってん。あんま時間なかってん。

学校の場所かってたわ。あたりまえやん,おれ子どものころかよとった学校やねんから。学校いたら,おもろかったわ。学校んなか,どうなってるか覚えてるかなおもたけど,覚えとったわ。なにもかも,おれがかよとったころとおんなじやったわ。でっかい中庭,あいかわらずで,いっつもなんか薄暗いねん。かごみたいななかに電球はいってんねん,ボールぶつかっても割れんように。床のそこらじゅうに,ゲームとかに使う白い円いたあるんも,変わってなかったわ。ネットないバスケットボールのリングも──バックボードとリングだけの。

だれもおれへんかったわ。たぶん休み時間ちゃうかったし,まだ昼休みなってなかったし。小さい男のこお,黒人のこお,便所くん見ただけやったわ。きいで作った通行証,ケツのポケット入れとおってん。おれらんときと,いっしょや。便所ってええ許可とかもうてるいうしるしやねん。

おれそんときも汗かいとったけど,もうあんまひどなかってん。階段とこ行って,いっちゃん下の段すわって,さっき買うた便箋びんせんと鉛筆してん。階段の臭い,おれかよてたころといっしょやったわ。だれかさっき小便しょんべん漏らしたみたいな。学校の階段て,いっつもそんな臭いすんねん。とにかく,そこ座って,こんな手紙いてん:

フィービー様,
僕はもう水曜日まで待ってられないので,たぶん今日の昼過ぎにヒッチ・ハイクで西へ向かいます。もし来られるならば,12時15分に美術のほうのミュージアムの入口あたりで会いましょう,クリスマスのづかいを返します。あんまり使っていません。
愛をこめて,         
ホールデン

学校,美術館のホンマすぐ近くあって,昼飯いにうち帰るんやったら,どっちみちその前とおらなあかんから,会えるやろおもてん。

ほんでおれ階段のぼって校長室ってん。フィービーの教室まで持ってってくれるひとに手紙わたおもて。だれもひらけへんように十回ぐらい折ったわ。学校におるやつ,だれも信用でけへんやん。けど,兄弟やったら手紙わたしてくれるんは分かっててん。

階段のぼってるとき,急にまた吐きそうなってん。大丈夫やってんけど。一瞬へたりこんで,ほしたらましなってん。けど座りこんでるとき,びっくりするもん見えてん。だれか壁に「おめこ」て書いとおってん。おれアホみたいに焦ったわ。こんなんフィービーとかほかの小さいこお見たらどうすんねんおもたわ。どういう意味やろて考えるやろし,そのうちだれかスケベエな子がみんなに言いよんねん──どうせでたらめやねんけど──どんな意味やて。それ聞いてみんなどう思うねやろ,たぶん二,三日こわがるんちゃうかおもてん。だれ書きよってん,殺したろかおもたわ。どっかの変態夜中よなか学校しのびこんで,小便しょんべんとかして,壁にあれ書きよったんやろおもてん。そいつそんなんしてるとこ,おれ捕まえて,そいつの頭いしの階段にごんごんぶつけて,ぐったり血まみれで殺すとこ想像してん。けどおれそんな根性ないいうんも分かってたわ。それは分かってたわ。せやから,余計よけ悲しなってん。マジでおれ,壁でそれこすって消す根性もないとこやったわ。おれがこすって消してるとこ,だれか先生に捕まったら,おれ書いた思われるやん。けど,おれ結局こすってそれ消してん。ほんで校長室がっていってん。

校長先生おれへんみたいやったけど,百歳ぐらいの女のひとタイプライターんとこ座っとってん。おれそのひとに,4B-1のフィービー・コールフィールドの兄です言うて,すいませんけどフィービーにこの手紙わたしてください,お願いします言うてん。めちゃくちゃ大事な手紙なんです,母が具合わるなって昼ごはん作られへんようなったんで,フィービーぼくといっしょにドラッグストアで昼ごはん食べなあかんようなって,その待ちあわせの連絡です言うてん。そのひと,ええひとやったわ,おばあちゃん。おれの手紙けとって,隣の事務室から別の女のひと呼んで,そのひとがフィービーに手紙っていってくれてん。ほんでおれ,その百歳ぐらいのおばあちゃんとちょっとはなししてん。おばあちゃん感じよかったから,ぼくもこの学校かよてました,うちの兄弟も,言うてん。いまはどこの学校かよてはんのん言うから,ペンシーです言うたら,めちゃくちゃええ学校やないの言いはってん。おれがもしそのきいなっても,おばあちゃんの誤解く力なかった思うわ。せやし,もしそのおばあちゃんペンシーええ学校やおもてんねやったら,もうそう思わせといたったらええやん。百歳ぐらいのひとに新しいこと言うたかてあかんて。言うても聞けへんて。しばらくして,おれ校長室ていってん。おもろかったわ。おばあちゃん,でかい声でおれに「幸運をグッド・ラック!」言いはってん。ペンシー出ていくとき,スペンサー言うたみたいに。ホンマどっか出ていくとき「幸運をグッド・ラック!」言われんの,どんだけ嫌か。悲しなんで。

別の階段りてたら,また壁に「おめこ」て書いたあってん。またてえでこすっておもてんけど,こんどナイフかなんかで彫ったあってん。消えそうになかったわ。どっちみち絶望的やねん。もし百万年かけたとしても,世界中の「おめこ」の落書き半分も消されへん思うわ。無理やねん。

校庭の時計たら,まだ十一時四十分やったから,フィービーに会うまでしばらく時間つぶさなあかんかってん。けどとにかく美術館のほう歩いてってん。ほか行くとこなかったから。電話ボックスあったら,西部くヒッチハイクするまえにジェーン・ギャラガーに電話しとこかおもてんけど,そんな気分なれへんかってん。あいつ休みでもううち帰ってるんかどうかも分からんかったから。せやから,まっすぐ美術館って,うろうろしとってん。

美術館の入口のなかんとこでフィービー待っとったら,小さいこおふたり,おれのほう来て,ミイラどこおるか知ってるて訊いてきてん。おれに訊いてきたほうのこお,ズボンいとったわ。ズボンいてんで言うたら,そのこお,おれとはなししてるその場でボタン閉めよってん──柱とかの陰くとかしよれへんかってん。びびったわ。笑おかおもたけど,また吐きそうなったら嫌やから,やめといてん。「なあ,ミイラどこおるん?」そのこおまた訊いてきてん。「知らん?」

おれ,その子らちょっとおちょくったってん。「ミイラ? なんやそれ?」おれ,訊いてきた子に言うてん。

「知らん? ミイラやん──死んでるひとらやん。オナカとかに埋められてるやつ」

オナカ。びびったわ。お墓うつもりやってん。

「きみらなんで学校ってへんの?」おれ言うてん。

「今日,学校やすみやねん」さっきからはなししてるほうのこお言いよってん。そいつ絶対うそついとったわ,悪いやっちゃ。けどおれフィービー来るまですることなかったから,いっしょにミイラ探したってん。ううわあっ,おれミイラどこあるか昔ちゃんと知っててんけど,もう何年も美術館てなかってん。

「きみらミイラ好きなん?」おれ言うてん。

「うん」

「きみのお友だちは喋れへんの?」おれ言うてん。

「友だちちゃうわ。弟や」

「弟,喋れへんの?」おれ,喋ってへんほうのこお見てん。「ぜんぜん喋られへんの?」おれ,その子に訊いてん。

「喋れるわ」そのこお,言いよってん。「喋る気せえへんねん」

ほんでやっとミイラあるとこ分かって,なかはいってん。

「エジプト人,どうやって死体めたか知ってる?」おれ,その子に訊いてん。

「いいや」

「ほしたら覚えとかな。めちゃくちゃおもしろいねん。顔ぬのおおうねんけど,その布,秘密の薬品しみこませたあんねん。そうしといたら,死体,何千年はか埋めといても,顔くさったりとかせえへんねん。そのやりかた知ってんのん,エジプト人だけやねん。現代科学でも解明でけへんねん」

ミイラんとこおもたら,めちゃくちゃ狭い入口とおっていかなあかんねん。ファラオの墓から持ってきた石んだあるとこ。けっこう薄気味悪いとこで,あんだけイキっとおったふたり,あんま楽しなさそうやったわ。ふたりともおれにぴたあひっついて,ぜんぜん喋れへんほうのこお,ずっとおれの袖つかんどってん。「もうこ」そのこお,お兄ちゃんに言いよってん。「おれ,もう見たわ。なあ,こ」そのこお,振りかえって逃げていきよってん。

「あいつどんだけびびりやねん」お兄ちゃん言いよってん。「ほなな!」その子も逃げていきよってん。

ほんで墓んなかおんの,おれだけなってもてん。ある意味,良かったわ。居心地ええし,ほっとしたわ。ほしたら急に,なに見えた思う? 壁にまた「おめこ」て書いたあってん。石のしたの,壁,ガラスなってるとこのすぐしたに,赤のクレヨンかなんかで書いたあってん。

これが困るとこやねん。居心地ええ,ほっとするとこなんか,絶対つかれへんねん。そんなとこ,あれへんねん。あるおもてるかもしれんけど,そこ着いたら,ひとが見てへんあいだにだれか忍びこんで,ひとの鼻のしたに「おめこ」て書いていきよんねん。いつか試してみたらええわ。もしおれ死んで墓められて,墓石とか飾ってもうて,「ホールデン・コールフィールド」て書いてもうて,何年に生まれて何年に死んだとか書いたあるそのしたに,「おめこ」て書かれんねん。いや,実際そうや思うわ。

ミイラんとっから出てきたら,便所きたなってん。ちょっと下痢気味やってん,マジで。下痢はどうでもよかってんけど,別のこと起こってん。便所からおもたら,ドアの手前で,おれちょっと気絶してん。けどおれ,ついとったわ。床にまともにぶつかったらおれ死んどったかもしれんけど,脇腹から倒れてん。けど,おもろかったわ。気絶したら,そのあと気分ましなってん。ホンマに。腕から倒れたから,腕ちょっと痛かったけど,アホみたいな目眩めまいとかもうせえへんようなってん。

そんとき十二時十分ぐらいやったから,入口もどってドアんとこ立ってフィービー待ってん。もう会うん最後なんねやろなおもとってん。家族のだれと会うんも。たぶんまた会うねんやろけど,何年も経ってからやわ。おれが三十五ぐらいなって,だれか病気なって死ぬまえにおれに会いたい言うて,ほんでおれうち帰んねん。おれが小屋はなれてうち帰る理由あるとしたら,それだけやおもたわ。おれうち帰ったとこ想像してみてん。おかん,めちゃくちゃあたふたして泣きだして,このままうちおってくれ,小屋もどらんといてくれ言う思うけど,おれ出ていくねん。めちゃくちゃふつうに。おれ,おかんなだめて,リヴィング・ルームの反対のほう行って,シガレット・ケース取って煙草けんねん,めちゃくちゃ冷静に。ほんで,そこおるみんなに,おれの小屋たいんやったらいつでも来てくださいね言うねん。けど,絶対てとか言えへんねん。フィービーやったら,夏とかクリスマス休みとかイースター休みんときに,来てもらうわ。D.B.も,もの書くんにええ,静かな場所さがしてるんやったら,しばらく来てもうてええわ。せやけど,おれの小屋で映画の脚本くん禁止やねん。短編小説か長編小説しか書いたらあかんねん。おれの小屋おるときは,だれもパチもんのことしたらあかんて規則あんねん。パチもんのことしよてしたら,だれであっても出て行ってもらうねん。

手荷物預かり所の時計ぱっと見たら,十二時三十五分やってん。校長室のおばあちゃん,もうひとりの女のひとに,手紙フィービーに渡すな言うたんちゃうかて心配なってきてん。手紙やしてまえとか言うたんちゃうかて。ホンマめちゃくちゃ心配なったわ。おれ旅るまえにホンマ,フィービーにうときたかってん。クリスマスのづかい持ったままやったから。

やっとフィービー来てん。ドアのガラスんとっからフィービー見えてん。フィービーやて分かったん,あいつ,おれのハンティング帽かぶっとおったからやねん──あんなん十マイル離れてても分かるわ。

おれドアの外て,石の階段りて,あいつ迎えに行ってん。分からんかったんは,あいつこんなでっかいスーツケース持ってきとおってん。五番街わたってんのに,アホみたいにでっかいスーツケース引きずってきとおってん。あんなもん,引きずんのもたいへんやった思うわ。近く寄ってみたら,それ,おれが昔使つこてたスーツケースやってん。ウートン行ってたとき使つこてたやつ。なんでそんなもん持ってきとおんのか,分からんかったわ。「お待たせ」近づいてきて,あいつ言いよってん。スーツケースのせいで,完全に息れとったわ。

「もうえへんのちゃうかおもとったわ」おれ言うてん。「それ,なにはいってんねん。おれ,なんも要らんで。このまま行くねん。駅に置いたあるカバンも持っていけへんわ。それ,なに持ってきてん?」

あいつ,スーツケース下ろしよってん。「わたしの服」あいつ言いよってん。「わたしもいっしょに行くわ。ええ? かめへんやろ?」

「なんやて?」おれ言うてん。それ聞いたとき,おれ倒れそうなったわ。マジで。目眩めまいしてきて,また気絶かなんかするんちゃうかおもたわ。

「シャーリーンに見られんように裏のエレヴェーターで降りてきてん。重たないで。入ってんの,服二着,モカシン,下着,靴下とかそんなもんや。持ってみ。重たないで。いっかい持ってみ... なあ,いっしょに行ってええ? ホールデン? かめへんやろ? お願いします」

「あかん。うるさい」

おれつめとなって気絶するんちゃうかおもたわ。あいつにうるさいとか言うつもりなかってん,けどまた気絶するんちゃうかおもてん。

「なんであかんの? お願いや,ホールデン! 邪魔せえへんて──いっしょに行くだけやん,それだけやん! あかんねやったら服いてくわ──わたし──」

「なんも持っていくな。おまえは行けへんねん。おれひとりで行くねん。せやから黙っとけ」

「お願いや,ホールデン。わたしも行かせて。わたし,めちゃめちゃ,めちゃめちゃ──」

「おまえは行けへんねん。うっさいねん! そのカバン貸せ」おれ言うてん。ほんで,あいつからスーツケース取ってん。おれ,あいつのこと殴る体勢なってたわ。おれあいつに平手打ちかまそかおもたわ。ホンマ。

あいつ泣きだしよってん。

「おまえ,学校で劇とか出んのちゃあうんか,その芝居でベネディクト・アーノルドやる言うとったんちゃあうんか」おれ言うてん。めちゃくちゃ憎たらしい言いかたで言うてん。「それどうすんねん? 芝居んでええんか,頼むでアホ」そう言うたら,あいつもっと泣きよってん。おれ嬉しかったわ。急におれ,目玉ちるまでこいつ泣かしたろおもてん。マジで腹てとったかもしれんわ。おれといっしょに来たら芝居られへんのに,こいつなに言うとおんねんて腹ったんや思うわ。

「ちょっと来て」おれ言うてん。ほんでまた美術館の階段のぼってん。あいつ持ってきたでっかいスーツケース手荷物預かり所に預けて,学校わって三時なったらまた取りにこれるようにしとこおもてん。そんなん学校ってったらあかんて分かってたから。「なあ,ちょっと来て」おれ言うてん。

けどあいつ,階段のぼってけえへんかってん。おれのほうえへんかってん。けどおれ,とにかく階段がって,手荷物預かり所にカバン持ってって預けて,また降りてきてん。あいつずっと歩道んとこ立っとおったわ。けど,おれ下りてきたら,あいつおれに背中けよってん。そんなことしよんねん。そのきいなったら,ずっとひとに背中けよんねん。「もうおれどっこも行けへんわ。もうめや。せやから,泣くんめて,黙って」おれ言うてん。おもろかったんは,おれそう言うたとき,あいつもう泣いてなかってん。けどとにかくそう言うてん。「なあ,来て。学校まで送って行くわ。なあ,来て。遅刻すんで」

あいつ返事とかするきいなさそうやってん。あいつのてえつかもうてしてんけど,つかませよれへんかってん。ずっと顔そむけとおってん。

「昼ごはん食べた? 昼ごはんもう食べたん?」おれ訊いてん。

あいつ,ぜんぜん返事するきいなさそうやってん。そのかわりに,おれの赤いハンティング帽──おれがあげたやつ──脱いで,おれの顔にぶつけてきよってん。ほんでまた背中けよってん。びびりかけたけど,おれなんも言えへんかってん。帽子ひろて,コートのポケット仕舞しももてん。

「なあ,来てえや。学校までいっしょに行こ」おれ言うてん。

「わたしもう学校けへん」

おれ,なんて言うたらええか分からんかってん。二分ぐらい黙って立っとってん。

「学校は行かなあかんわ。あの芝居たいねんやろ。ベネディクト・アーノルドやりたいねんやろ」

「やりたない」

「やりたいわ。しかりや。なあ来て,ほら。こ」おれ言うてん。「そもそも,おれもうどっこも行けへんねん,言うたやん。おれうち帰るわ。おまえが学校もどったらすぐ,おれうち帰る。まず駅ってカバンとってそのまままっすぐ──」

「わたしもう学校けへん言うてんねん。お兄ちゃん,なんでも好きなようにしいや,けどわたしもう学校けへんねん」あいつ言いよってん。「うるさいねん」あいつがおれにうるさい言うたん初めてやったわ。嫌な感じやったわ。ホンマ,嫌な感じやったわ。ののしられるより嫌やったわ。あいつ,ずっとおれのこと見てなかったし,肩とかにてえ載せよてしても,させよれへんかってん。

「ほな散歩でも行こか」おれ言うてん。「動物園まで散歩せえへんか。昼から授業んでええておれ言うて,散歩ったら,こんなんやめにしてくれるか?」

あいつ返事するきいなさそうやったから,おれもっかい言うてん。「昼から学校さぼってええ言うて,ちょっと散歩したら,こんなんやめにしてくれるか? 明日はちゃんと学校ってくれるか?」

「さあ。どうしよ。分からんわ」あいつ言いよってん。ほんでアホみたいに走って通り渡りよってん,車てるかどうか見んと。あいつときどき頭おかしなりよんねん。

けどおれ追いかけへんかってん。あいつ,おれに付いてくるやろおもとったから,動物園のほう歩いてってん。通りの公園側のほう。ほしたらあいつも,アホみたいに反対側の歩道おんなじほうに歩きだしよってん。あいつ,おれのほうとおれへんかったけど,おれがどっちこてるか,たぶん視界ぎりぎりのとこでずっととった思うわ。とにかく,おれらずっとそうやって動物園まで歩いてってん。二階建てバス通ったときだけは困ったわ。向こうの歩道えへんようなって,あいつどこおるかぜんぜん分からんようなってん。けど動物園いたときだけ,でっかい声で言うてん。「フィービー! 動物園はいんぞ! 来いよ!」あいつ,おれのほういひんかったけど,おれの声こえてた思うわ。おれ,動物園く階段りるとき振りむいたら,あいつ通り渡って付いてきとったわ。

カスみたいなひいやったから,動物園あんまひとおれへんかってんけど,アシカのプールのへんにちょっとひとおってん。通りすぎよおもたら,フィービー止まって,アシカ餌うん見だしよってん──おっさんアシカに魚げとおってん──せやから,おれ戻ってん。フィービーとまたはなしするええチャンスやおもたわ。おれ,あいつのほう近づいてって,後ろ立って,肩に両手せてんけど,あいつ膝げて,おれのてえから逃げよってん──あいつ,そのきいなったら,めちゃくちゃ嫌なやつなりよんねん。アシカ餌もうてるあいだ,あいつずっとそこ立っとって,おれその後ろおってん。もう肩にてえ載せたりせえへんかったわ。もしそんなんしたら,あいつホンマに逃げるかもしれんかったから。子どもて,おもろいわ。そんなんきいつけなあかんねん。

アシカの餌やり終わっても,あいつ,おれの隣あるこうてせえへんかってん。けど,あんま離れてなかったわ。ひとつの歩道の端あいつ歩いて,おれがその反対の端あるく感じやってん。あんまたいしたことなかったけど,その前みたいに一マイルぐらい離れて歩くんに比べたらましやったわ。小さい丘のぼってしばらく熊てんけど,あんま見るもんなかったわ。外てんの一頭だけやってん,北極熊のほう。もう一頭の茶色いやつ,アホみたいに洞窟はいって出てけえへんねん。尻尾んとこしか見えへんかってん。おれの隣に小さいこお立っとって,そのこお両方の耳まですっぽりカウボーイ・ハット被っとってんけど,お父さんにずっと「あの熊して,お父さん。あの熊そと出して」言うとってん。おれフィービー見たら,あいつ笑おうともしてへんかったわ。子どもが怒ってるときて,そんなんやん。笑おうてしよれへんねん。

たあと,動物園て,公園ザ・パークんなかの小さい道わたって小さいトンネルくぐってん。そこいっつも,だれか小便しょんべんしたみたいな臭いしてんねん。それ,回転木馬く道やってん。フィービーまだおれと話するきいなさそうやったけど,なんかおれの隣あるくようなってたわ。たいした意味なしに,あいつのコートの背中んとこのベルトつかんでんけど,やっぱりあいつ逃げよってん。あいつ,「手を伸ばさないでください,よろしくお願いします」言いよってん。まだおれに怒っとおったわ。けど前ほど怒ってへんかったわ。とにかく,おれらどんどん回転木馬のほう歩いとって,いっつもかかってるにぎやかな音楽こえてきてん。そんとき「オー,マリー!」かかっとったわ。五十年ぐらい前の,おれが子どもやったときとおんなじ曲かかっとってん。それ,回転木馬のええとこやわ,いっつもおんなじ曲かかってんの。

「冬やから回転木馬やってへんおもとったわ」フィービー言うてん。実質的にもの言うたん,ひさしぶりやったわ。おれに怒ってることなってんの忘れよったんや思うわ。

「たぶんもうじきクリスマスやからやろ」

おれ言うたら,あいつなんも言いよれへんかってん。たぶん,おれに怒ってることなってんの思いだしよってん。

「あれ乗りたい?」おれ言うてん。たぶん乗りたい言うおもてん。あいつ小さい子どもやったとき,アリーとD.B.とおれ,あいつ連れてよう公園ザ・パーク行ってん。そんときあいつ回転木馬アホみたいに好きやってん。あいつ引きはなすん,アホみたいにたいへんやってん。

「わたしもう大人やん」あいつ言いよってん。返事せえへんおもとったら,しよってん。

「そんなことないわ。ほら,乗ってこいや。おれ待ってるから。乗ってこいや」おれ言うてん。ほんでちょうど回転木馬んとこ着いてん。乗ってるこお,ちょっとだけで,ほとんどめちゃくちゃ小さいこおで,親何人なんにんか外でベンチ座ったりして待っとってん。おれ切符ってる窓までがって,フィービーに切符うてん。ほんでそれ,あいつにあげてん。あいつ,おれの真横っとったわ。「ほら」おれ言うてん。「ちょっと待って──おまえのづかいの残りも渡すわ」おれ,あいつに借りたづかいの残り返そうてしてん。

「持っといて。わたしの代わりに,持っといて」あいつ言うてん。ほんで,そのあとすぐ言いよってん。「お願いします」

おれ,ひとに「お願いします」言われたら悲しなんねん。それがフィービーでもだれでも。めちゃくちゃ悲しなんねん。けどおれ,そのづかいポケット戻してん。

「お兄ちゃんも乗れへんの?」あいつ訊いてきよってん。おもろそうな顔してこっちとったわ。もうあんまおれに怒ってなさそうやったわ。

「おれはまた今度。おまえ乗ってんのとくわ」おれ言うてん。「切符った?」

「うん」

「ほな行ってこい──おれ,あっこのベンチおるわ。おまえのこと見てるわ」おれそっち行ってベンチ座って,あいつ回転木馬の台りよってん。あいつ一周しよってん。いっかいわざわざぐるっと周り歩きよってん。ほんで,でっかい,茶色の,見た目ぼろぼろの馬りよってん。ほんで回転木馬うごきだして,あいつがぐるぐる,ぐるぐる回んの,おれとってん。乗ってるこお,五,六人ぐらいしかおれへんかって,「煙が目にしみる」かかっとってん。めちゃくちゃ派手なおもろい演奏やったわ。乗ってるこおらみんなずっと金の輪つかもうてしてて,フィービーもしとってん。フィービー,アホみたいに馬から落ちるんちゃうかておれ心配なってんけど,おれなんも言えへんかったし,なんもせえへんかってん。子どもが金の輪つかみたいおもてんねやったら,そうさせたらなあかんねん。なんも言うたらあかんねん。馬から落ちるときは落ちるけど,なんも言うたらあかんねん。

回転木馬わって,あいつ馬から降りて,おれんとこよってん。「こんどはお兄ちゃんも乗りいや」あいつ言いよってん。

「いや,おれ見てるだけにしとくわ。おまえのこと見てるだけにしとくわ」おれ言うてん。おれ,あいつのづかいから,またお金わたしてん。「ほら。また切符うてこいよ」

あいつ,それ受けとりよってん。「わたしもうお兄ちゃんのこと腹ってへんわ」あいつ言いよってん。

「分かってる。よせな──また始まんで」

ほしたら急にあいつ,おれにキスしよってん。ほんでてえ伸ばして言いよってん。「雨や。雨ってきた」

「分かってる」

ほんであいつ──おれアホみたいにびびりそうなったわ──おれのコートのポケットてえ突っこんで,おれの赤いハンティング帽して,おれの頭かぶせよってん。

「もう要らんのん?」おれ言うてん。

「しばらく被らせといたるわ」

「よっしゃ。けどよせな。んの間に合えへんで。好きな馬られへようなんで」

けどあいつ動けへんかってん。

「さっき言うたん本気? ホンマにどっこも行けへん? ホンマこのあとうち帰るん?」あいつ訊いてきよってん。

「おお」おれ言うてん。本気で言うてん。嘘つけへんかってん。ホンマそのあとうち帰ってん。「よせな,ほら」おれ言うてん。「もう始まんで」

あいつ走って切符うて,ぎりぎりアホみたいに間にうてん。ほんでまたわざわざ一周して,さっきの馬えらびよってん。ほんで乗りよってん。あいつおれにてえ振って,おれも振りかえしてん。

ううわあっ,アホみたいに雨ってきてん。バケツで何杯も水かけられたみたいやったわ,ホンマ。親とかお母さんとかみんな,ずぶ濡れならんように回転木馬の屋根いてるとこ行って立っててんけど,おれけっこう長いことそこのベンチおってん。けっこう濡れたわ,首とかズボンとかとくに。ある意味,ハンティング帽ホンマにおれ守ってくれてんけど,それでも濡れたわ。けど,濡れるぐらいどうでもよかってん。フィービーぐるぐる,ぐるぐる回ってんの見てたら,おれ急にめちゃめちゃアホみたいに幸せな気分なってきてん。もうちょっとでアホみたいに叫びそうなったわ,めちゃめちゃアホみたいに幸せな気分なってん,マジで。なんでか分からんわ。フィービー,めちゃめちゃアホみたいに感じよかってん,ぐるぐる,ぐるぐる回ってんの,青いコートとか着て。ホンマ,それ見てほしかったわ。

26

おれはなしするつもりなん,こんだけやねん。うち帰ったあとどうしたとか,そのあと病気なったとか,ここ出たらこんど秋からどこの学校くことなってるかとか,たぶんはなししよおもたらできるけど,そんなきいなれへんねん。ホンマ。そんなん,いまあんま興味ないねん。

仰山ぎょうさんいろんなひと,とくにひとりここの精神分析士のひと,九月なったらこんどの学校で適応するかてずっとおれに訊いてくんねん。そんなんアホらしい質問やわ,おれの意見では。そんなん,やってみるまで,どうやって分かんねん。分からんやろ。おれは適応するつもりやけど,おれには分からんわ。ホンマ,アホらしい質問やわ。

D.B.ほかのひとらよりましやけど,それでもおれにいろいろ質問してくんねん。こないだ土曜に,いま脚本いてる新作映画るイギリス人のこお連れて車で来てん。かなり気取ったこおやったけど,めちゃくちゃ美人やったわ。とにかく,そのこおあっちのよくあるトイレ行ってるあいだに,D.B.おれに,おれここまではなししてきた体験どうおもてるて訊いてきてん。なんて言うてええか分からんかったわ。マジで,おれ自分がどうおもてんのか分からんねん。いろんなひとにこのはなししたん後悔してるわ。分かったんは,はなししたやつらと会われへんようなったん,ある意味さびしいいうことぐらいやな。たとえば,ストラドレーターとかアクリーでも。あのアホみたいなモーリスでも,はなししたら,淋しなったわ。おもろいわ。だれにもなんも言わんほうがええで。だれのことでも,はなししたら,そいつおらんで淋しなんで。