橋本治さんを偲びつつ

2019 年 2 月 7 日

「みんなのこどもちゃん」の「ほのか」と「しなもん」が出会った経緯について,二人はインタヴューで何度か話している。しなもんが,新宿歌舞伎町にある「みんなのこどもカフェ」に行った。そこでアルバイトをしている,ほのかに会うために。そのとき,しなもんは 13 歳になったばかり。3 年ほど不登校を続けて引きこもっていた。ほのかは 17 歳だった。

しなもんは,なぜ,ほのかに会いに行ったか。その数か月前,フジテレビの番組で,ほのかを見た。ほのかは,中学生のころからブログを書いていて,地下アイドルとして活動したこともあった。しなもんは,ブログを読んで,ほのかが歌舞伎町のカフェでアルバイトを始めたと知った。ある日,しなもんのお母さんが電話で,いま新宿にいると言った。しなもんは,新宿に行けばほのかに会えると気づいた。

寒い 1 月のその日,しなもんはきれいな服を着ていたことだろう。3 年も自宅にいた娘が外出すると言いだしたら,ご両親は,いちばんきれいな服を着せるはずだ。しかし行先は,歌舞伎町。彼女が会いたいと言っている 17 歳の相手は,いつもブログで,死にたいとつぶやいている。住所のとおり訪ねてみたら,「みんなのこどもカフェ」は,熟女パブやらなんやら歌舞伎町らしい飲食店に囲まれている。

しなもんは,ひとりで「みんなのこどもカフェ」に入ったという。お母さんは,建物の入口で,しなもんにお金を渡して,ひとりで行かせたそうだ。しなもんは,建物の三階に上がって,木製の扉を開けた。店にいた人々は,彼女が間違って入ってきたと思っただろう。だって,そこは歌舞伎町のおにいさんやおじさんが,カウンター越しに女のコとたわいのない話をするカフェ。きれいな身なりの 13 歳の女のコが千円札を手にしたままやって来るところじゃない。しかも,彼女は,あらぬほうを見ている。自堕落なアルバイト店員を。ここで合ってた,と思ったのは,しなもんだけだったろう。「本当に,ほのかがいる」と,しなもんは思ったそうだ。

小説やドラマならば,それはエンディングであってもよかった。引きこもりの中学生が,自分の意志で外出した。憧れのひとに会った。ハッピー・エンド。けれど,「みんなのこどもちゃん」は,その出会いから始まった。カフェのオーナー(ライヴ後の物販で下品なことを言いながらチェキを撮っているあのひと)が,しなもんとアルバイトみんなでアイドル・グループをやろうと言いだした。初期の「みんなのこどもちゃん」は,メンバーが定まってなかったと言われることがある。その理由は,その頃,カフェがそういう店だったからだ。その日,暇でアルバイト代が欲しい女のコが,先着順で働きにくればよかった。そんな店だったから,ほのかが働けた。初期の「みんなのこどもちゃん」は,その日,暇でアイドルをやりたい女のコが来てステージに上がればよかった。だれも言わないけれど,そこには思想がある。劇作家で演出家の平田オリザさんは,日本の演劇,舞踏,映画の裾野を広げ高みを目指すために,大きなお金の流れを作った人物だ。しかし,平田さんが長年拠点としてきたアゴラ劇場の受付には,TV モニターが設置されていて,お金のないひとは,そこで無料で演劇を見ることができる。受付の本棚には,平田さんが読んで当面不要の本がぎっしり詰まっていて,だれが読んでもかまわない。持ってかえってもいいのだろう。そこに平田オリザの思想があると言うなら,「みんなのこどもカフェ」にも思想がある。

オリジナル曲を作るにあたって,作編曲は Back Drop Bomb の JIN TANAKA さんが引きうけてくれることになった。聞くところによれば,歌詞は,ほのか以外のメンバーも書いてみたという。初のオリジナル曲のために「起きたら死んでたい」を書いてきたほのかより,それを採用したプロデューサー(チェキ撮ってるひと)のほうが常軌を逸している。その歌詞は遺書と読める。実際その頃,ほのかは死にたかったという。近頃は,「メンヘラ」とか「病んでいる」という表現があって,若いひとが死にたがるとそう言われる。そんなバカな。いつの間に,若いひと全員が生きたがらなきゃならない社会ができあがったのか。20 世紀にそんなことはなかった。大学の哲学科の学生たちがだれひとり自殺も発狂もせずに卒業したら,今年はおかしいと言われた。J. D. サリンジャーは The Cathcer In The Rye で,「若いひとの特徴は,なにかと理由をつけて高貴に死にたがることだ」と書いた。

ほのかの表現には,アイロニーがない。アイロニーとは,自分の欲望を隠して,あるいは欲望に気づかず,反対のことや別のことを言うことだ。アイロニーを含んだ表現は昔も今も多いし,それを好む人々が大勢いる。どうせわたしなんか死んだほうがいい,というたぐいの表現は,だいたいそれだろう。「起きたら死んでたい」は,一見それらに似ているが,次に起きたら生きてるのはもう嫌だなと言っている。そもそも起きるつもりがあるらしい。だから二曲目の「朝を殺したい」で,「生きているのが辛い」と言いかえている。それは,アイロニーではない。初期のブルーズに近い。米国で支配階級から人間扱いされなかった人たちの歌。朝起きたら,はブルーズの決まり文句だ。

みんなのこどもちゃんのライヴ会場でファンと話をすると,よそであまり聞かない感想を耳にする。「もう死んでもいい」とファンが言う。とくにバンド体制になってから,轟音とともに感情がむきだしでファンに浴びせられるから,そんな感想を聞く機会が増えた。

みんなのこどもちゃんは,いま,新曲制作とツアーのためのクラウドファンディングを行っている。ライヴで呼びかける。ツイッターで呼びかける。動画生配信を行って呼びかける。それ以外に,新宿駅前でチラシを配っている。たとえば,2018 年 12 月 28 日,昼過ぎから日が暮れるまで,ほのかとしなもんは新宿駅東口でチラシを配った。その日,東京の最高気温は,8.1 °C。そのときのツイートのひとつが,これだった:

合流? pic.twitter.com/v2hoor7a3y

— しなも ?? ??ん (@kodomochan_47) December 28, 2018

この日は,しなもんが先に着いてチラシを配っていた。ほのかが,用事を済ませてあとでやって来た。だから,しなもんが「合流!」とツイートして,ほのかの後ろ姿を撮影した(この「壁」を背負って,チラシを配る)。「合流!」という短いツイートに,どんな感情が込められているだろう:ひとりで心細かった;ほのかが来て安心;ほのかが来てうれしい;ほのか頼りになる;ほのかかっこいい;ほのかに付いていこう。気温は 8 °C から下がりつづける。命に別条があるわけじゃないが,夜になるまで外でチラシを配るなんて,はたから見ると心配だ。それを,このとき二人は始めようとしている。この写真から「もう死んでもいい」という小さい声が聞こえなくもない。

しなもんがカフェに行って,みんなのこどもちゃんが始まった。しなもんは,なぜ行ったか。ほのかに会うために。そのことは何度も語られている。じゃ,なんで,ほのかに会おうとしたか。それは,だれにも分からない。しなもん本人だって分からないだろう。

先日,小説家の橋本治さんが亡くなった。彼が 30 代のときに書いた長編小説「桃尻娘」シリーズには,四人の主要な登場人物がいる。頭のいい玲奈(女)。ぼんやりの磯村(男)。ゲイの源ちゃん。お嬢さま育ちの醒井さん。前者三人は,それぞれが社会と向きあって悪戦苦闘する(とくに源ちゃんのモノローグは圧巻だ)。しかし,最後の醒井さんだけは,前者三人につきあう必要がない。そんなことをしなくても,彼女は,親の敷いたレールに沿っていけば,人並み以上の幸せに至るはずだった。年をとってから,彼女はふと,なぜあの三人とつきあったのだろうと思いかえす。彼女には分からない。作者である橋本治さんは,「桃尻娘」シリーズが完結するまえの段階で,その答えを持っているとインタヴューで語っていた。けれど,彼は,それを小説に書かなかった。評論でなく,小説だからね。

しなもんがほのかに会いに行ったことは,評論でも小説でもなく現実なので,そこに作者はいない。ただ,みんなのこどもちゃんの軌跡は,なぜしなもんがほのかに会いに行ったかを表現しようとする試みになっている。だれかが意図したわけじゃないのに。苦しい,辛い,だれからも認めてもらえない──そう書いたのはほのかだけれど,その歌詞は,二人で歌うために書いたものだそうだ。実際,いくつもの重要な部分をステージで,CD で,しなもんが歌っている。

みんなのこどもちゃんのしなもんありがとう?(^.^) pic.twitter.com/Ri4VvlhgH2

— ( ^o^)⊃―☆*・。・゚* (@psycho_joy) March 5, 2016

(つづく)


本稿は個人の意見であり,みんなのこどもちゃんのメンバーやスタッフの見解ではありません。
あなたが好きなもの,および,その理由は,あなたにとって欠けがえのないものであり,本稿は,そのことを否定する意図を含みません(けど,たまにはおれの言うことも聞いとけ)。

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