2019 年 2 月 13 日分
小林秀雄「様々なる意匠」から引用しましょう:
人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、しかし彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である。
『小林秀雄初期文芸論集』(1980,岩波文庫),初出 1929 年
いま調べたら,これを書いた小林秀雄は 27 歳。大学を出て,フランス文学のことを書きながら定職に就かず,雑誌『改造』の懸賞に応募して,二位に選ばれました。「様々なる意匠」は,小林秀雄にとって,いわばメジャー・デビュー作です。知っているひとは知っている話ですが,このとき小林秀雄を抑えて一位に選ばれたのは,のちに日本共産党の議長になる宮本顕治でした。
ぼくはもう,正月に餅を食うと喉に詰まらせないように心配される年齢なので,ここで引用した小林秀雄の言っていることに切実さを感じません。なんにでもなれたと言われても,いまさら軍人になれません。ただ,若いひとが,自分というものがすっかり出来上がった(「人格の完成」といいます)あとで,社会でなにものかにならなければならない──つまり,人格が完成したあと,あらためてそれ以外のものにならなければならない──,そのとき抱く違和感をぼくは覚えています。上で引用した小林秀雄の文を,少女マンガ家の倉多江美先生が「ロングフォー」というマンガでパクっていて,ぼくは 15 歳のころそれを読みました。その作品を,先日亡くなった橋本治さんは,こう論じました:
「ロングフォー」の彼、但島庄司クンの場合は、“そりゃァ ぼくが生まれた時は ありとあらゆる可能性があったはず”と、既に過去形でありまして、それには更に“その気になりさえすれば”という条件がついております。仮定法過去完了です。
そして現在は、“いかに努力したって ぼくはぼく以外に絶対になれっこないってこと”で、“今やその前途可能な道はほとんど絶たれ”モロに“平均的高校生”である訳です。前途可能であった道とは、“絵かき・音楽家・探検家・スポーツ選手・ギャンブラー・小説家・パイロット・大学教授・政府高官えとせとら”であるそうです。
(略)
倉多さんの世界の男の子も女の子もみんな、「自分がそうありたいような自分になりたい」と思っていたのです。でも自分じゃ“そうありたいような自分”というのが、どういうことなのかよく分からないから、誰かに「じゃァそれは、具体的にどういうことなんだよ、言ってみな!」と言われるのを畏れて黙っていたのです。だから、みんなシランプリして不貞腐れていたのです。
それが、「甘っちょろいことだ」と言われるのが分っていても、でもその甘っちょろいことを信じたかったのです。そしてだからこそ、自分は絶対に甘っちょろくなんかないんだということを、倉多さんは、社会に向けて描いてみせなくちゃならなかったのです。
(略)
何故柄谷クン*が樫山めい*のことに首を突っ込んだのかというと、それが当り前のことだからです。自分の知ってる人間が自分の目の前でブッ倒れ、悩んでいる時に「どうしたの?」って聞いてみるのは、当り前のことじゃないですか? そうでしょ? そして、全疑**を捨てて「ボクはボク以外のものに断固としてならない!」と決めた人間にとって、何故それが当り前のことなのかを疑ってみる必要は、全然ないからです。
* 「柄谷クン」,「樫山めい」は『エスの解放』の登場人物** 倉多江美が描く登場人物は,ものごとに半信半疑でなく,全信全疑であると著者は言う(略)
アディラ=ミル***=倉多江美は救われることを願っていました。その救われ方は、自分が肯定されることでしかありませんでした。肯定してくれるのは他人です。でも、最終的に自分が自分を肯定できるのでなければ意味はありません。倉多さんはそのことを延々とマンガで描き続けたのです。倉多さんは、誰でもいいからマンガの中で、一人の人間を全面的に肯定しなければならなかったのです。*** 「アディラ=ミル」の登場人物
倉多さんが何故男の子をよく主役にしたのかといえば、現実に男の子の方が強いからです(それは勿論、筋肉ではなく世の中の力によってです)。男の子の方が、倉多さんにとっては肯定しやすかったのです。そして肯定される男の子は、いつも素敵でなければ意味はありませんでした。そして、もしも倉多さんに本当の意味でコウモリ傘を渡してくれる子がいたなら、その子は本当に肯定されて生きている子で、素敵な子だった筈なのです。たとえ他人がその子のことをどう言おうとも。
橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(1979,北宋社)
これを書いた橋本治さんは 30 歳。大学を出て定職に就かず,江戸時代の本を読みながら,イラストレーターとして生計を立てていました。ここで論じられている倉多江美さんのマンガは,倉多先生がだいたい 20 歳から 25 歳にかけて発表されたものです。
こういうものを,ぼくは中学生から高校生にかけて読んでいました。みなさんは,初めてご覧になったかもしれません。
みんなのこどもちゃんの「少女 A」を知っているひとが,いま小林秀雄や橋本治や倉多江美を読んでどう思うのか,ぼくはよく分かりませんが,順番がその逆だったぼくは,「おうち」でほのかさんにコーヒーを淹れてもらいながら,「ほのかさんのことをだれかにたとえようとすると,お爺さんしか思いつかないんですよ」と言いました。いつもわけわかんないことばっかり言ってすいません。
(つづく)
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